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起業家に向く3つの特徴

40年前の今頃、わたしはアメリカ中西部にあるミシガン大学に留学していた。11月になるとその地域は氷点下に向けて一気に気温は下がっていく。温かい11月が過ごせる東京都とは気候が全く違う。いまでも覚えているのはこれほど寒いところに人が住めるのかということだった。ちゃんと住んでいる。

11月から翌年の5月上旬まではブリザードとアイスバーンで寒いときた。というわけでキャンパスのあるアン・ナーバーでは大学関係者3万人はどこもいくところがない。外に出れば一瞬のうちに凍り付く。なので家、キャンパス、図書館を往復するしかない。土曜日のフットボールは別としても。

それでも教室内での授業はどこか熱かった。教授は一生懸命に教え、学生は教授と対等に意見をかわす。それがわたしの眼には新鮮に映った。教室の外でも単位を取得するためにいっしょになって勉強をする。バーでも教授といっしょに議論する。野心にあふれた学生が多く、弁護士か医者をめざす。そのどちらかを目指さないはぐれものがいて、ビジネスで生計を立てる。ビジネスを目指す学生はいなかった。

そんなわけで大企業に勤務するという学生はほとんどいなかった。ビジネスでこきつかわれるのはごめんというわけだ。どちらかというと独立心があり何か事を起こすという人たちであふれていた。

アメリカというところそういう雰囲気がどこにでもあって、特に北東部や西海岸には起業家が集まる。ただし起業といってもそれらの地域でさえ7割は成功しない。成功するのは3割だともいう。日本では成功確率は1%未満にまで下がる。

それでもアメリカではやることに対して前向きな人たちが集まってくる。あのミシガンですら起業家精神があったのだから、北東部や西海岸では起業というのはもっと受け入れられている。

一方で日本に目を向けるとあれから40年。日本経済はバブル崩壊後から失われた30年ともいわれ経済成長がほとんどなかった。特に2007~2009年にリーマンショックという金融を起点にした大きな事件により銀行が破綻した。失業が増えて慢性的に成長をしてこなかった。起業する人は変わり者といわれ、いつ路頭に迷うのかわからない。

そんなこともあったけど、どうやらこの日本、いや東京にもスタートアップというのがじわじわと増えてきている。大企業にはもはやたよることができないのも理由のひとつだ。たよってもいいのだけれど。日本の大企業でのんびりと仕事をするのもひとつであろう。それよりか忙しくしたい。

経営コンサルティングは忙しすぎていつまでも続かない。厳しすぎて疲れ果てる。要領よくやればそうでもないのだけれど。やがてどうするかというとそれらよりもさらに困難なスタートアップという選択肢をとるひとたちがいる。それは相当な覚悟が必要だろう。ところがこういうこともある。

文京区本郷にある東京大学。そこの経済学部のゼミ生のうち3割近くが大学生のうちからすでに起業をしているという。これは6年前、大手町で行われたスタートアップのイベントでたまたま立ち話をして聞いたものである。その話をしてくれたイベント参加者は当時、東大を卒業をして野村證券に勤務をしている証券マンだった。

その後は東大のゼミはどうなったのかはわからない。しかし、どうやら大学生のうちから起業をしている人がいる。大学卒業後に大企業や経営コンサルティングをするのではなくてスタートアップにいきたがるひともいるという。ほんとうだろうか。

そこでこの文章ではほとんど根拠があやふやではあろうけど、大学生に向けてちょっと変わったことを書いてみます。どこまで当たっているかはわかりません。よく起業家は先天的なのか後天的なのかという疑問があります。もともと持って生まれたのが起業家といえるのか。それとも本人の努力によって起業家として訓練すれば起業家になれるのか。

もちろん、スタートアップにいくひとは後者をとるでしょう。そうでなければ努力をしなくなってしまう。生まれながらに決まっていたのではそこで勝負がついてしまう。そんなつまらないことは考えたくないはずです。

ところがどうもいろいろなところでいろいろな人の話を聞いて振り返ってみると先天的なものがある。そういった生体的特徴や好みがあるといってもいい。

丸顔
まず、起業家は丸顔であるということです。成功をした、あるいは成功している起業家の顔写真を見てください。ここで具体的な名前をあげることはあえてしません。東京でもアントレとして急成長をとげて新聞や雑誌に写真が出る人たちがいます。その人たちの顔の輪郭を見ると丸顔が多いのではないでしょうか。これはちょっと不思議なのですが実はアメリカにおいてもそういうことがいえる。

例えばビルゲイツは丸顔です。丸顔の人たちが多いということがいわれています。

一方でよく比較されるスティーブ・ジョブズは丸顔ではありませんでした。わたしは丸顔ですが決してアントレではないので起業をしているとはいえません。

さて読者の大学生の皆さんはどうでしょう。丸顔でないと起業に向かないといっているわけではないので注意してください。

脈拍数
次に若い時にいえることがあります。20代のころであり、50歳になった時のことをいっているわけではありません。大学生は20代ですから聞いてください。起業家は普段の脈拍数が平均よりもかなり低いということがいえそうです。普段からほとんど脈拍数があがらない。1分間45回とか50回以下で心拍数が上がらない。そのため何があってもほとんどびっくりすることがない。事件や事故を見ても驚かないという特徴があるようです。

起業では事件や事故が常につきまとう。そのためそんなことにいちいち驚いて反応していては起業どころでないといえましょう。生命の危険がせまっている。大金を失う危険性。そういったものは日常となりあわせであってそういうことに慣れている。むしろ脈拍数が低いので耐性がもともとあるという人なのでしょう。

なのでオカルト映画を見ても全然怖がらない。

例えばわたしが若いころにエクソシストという映画が上映されました。予告を見ただけでもわかります。とんでもない映画だ。こんな映画をお金を払って誰が見るものか。わたしはこのように反応していました。ところが周りを見ると結構見て楽しんでいる人たちがいる。しかも映画を見終わったあとで、ちょっと怖かったねで済ましている人がいた。

どういうことだろう。それはエクソシストを見てもほとんど何も怖くない人がいるということでした。

あるいはブレア・ヴィッチ・プロジェクトという映画があります。低予算で作られた映画です。こんなとんでもない映画を誰が見るものか。そう反応するでしょう。ところが予想に反して結構見る人がいて低予算にもかかわらず興行成績はよかった。そういうことがあります。普段から脈が低い人はあれを見ても怖がらないということがいえます。

ジャズ
最後にどうもこういうことが言えそうです。ジャズを好む。音楽として気にいているのはジャズ。クラッシックではない。クラッシックはオーケストラが演奏します。規律があり、指揮者に向かってそれぞれの楽器を持った人たちが音を奏でます。フルート、バイオリン、ピアノ、(ピアノはちょっと別かもしれません)、それぞれのパートを意識しながらも指揮者に向いています。楽譜を見ながらひとりの指揮者の振りに合わせていく。ちょっと軍隊のようです。

ところがジャズというのは指揮者はいないのです。だれがどうリードするのか。わたしは聞いていてよくわからない。おそらくはドラムのひとであるけれどもそこにはいろいろな楽器を持った人がそのときの雰囲気や気分に合わせて楽器を弾いているようでもあります。楽譜を見ながら指揮者に向かって奏でているようではない。聞くだけでなくて自分で演奏することもある。

起業家になるひとたちというのはジャズを好む。クラッシックの規律は逆に窮屈で耐えられないのではないか。どうもそういうことがいえそうです。

さて大学生の皆さんはどうでしょう。
丸顔でしょうか。脈拍はどうでしょう。ジャズを聴いていてください。クラッシックとどちらが好きですか。

こういったことは科学的な根拠はないのかもしれません。ただアントレ界隈ではよくいわれているようです。

アメリカ留学中には起業家精神というのはキャンパスの雰囲気の中でしか味わうことがありませんでした。言語化されてもおらず、また視覚化されてもいなかったのです。しかしその後大学院に留学しても起業家になりたいという人は多かった。友人は宇宙工学を専攻して卒業。いまでは日本橋でiSpaceという会社の代表を務めています。