代理出産の争点をまとめる
1980年代に東京に引っ越してきた。あれから40年。最初の10年間は目まぐるしい日々を過ごした。仕事は多忙を極めた。80年代後半になると結婚をした。翌年妻が長男を出産。いろいろあったがなんとか無事に成人を迎えた。成人になるまでの過程でもう一人ほしかった。長男にとって兄弟姉妹がいることはなにかと助けになるはず。わたし自身も3人兄弟の末っ子として兄や姉の世話になった。そんなこともありもうひとりかふたりほしかった。
でも授かることはなかった。もうひとりいてもよかったけど。ただ養子や代理出産ということは考えなかった。
あるオンラインイベントで代理出産について話をする機会があった。英国では1985年にはじめて代理出産により子供が生まれた。すぐさまニュースが「売られるために誕生」と流れた。代理出産の商業化が懸念され規制がかかった。今日その数は年々増え続け20年前の100事例から4倍の400近くに増えているという。
そして同性愛の数は増える傾向。形態も増えて同棲・パートナーシップ・結婚で30万組以上になる。ゲイやレズビアンののカップルが子供をほしがるという。2014年に同性愛カップルにも親になる権利が認められた。さらに生命科学の発達により代理出産の市場ができあがってきたという。
このような代理出産の増加傾向はあるもののなにかしら課題はないのか。その争点を探ることをしてみた。問題は大きく二つあろう。ひとつは契約が不完全であること。親になるカップルと代理が十分な情報がないまま代理出産の契約を結んでしまう。もうひとつは代理出産になにかしらの価格がついて市場を形成しており精子・卵子・親権の売買につながってしまう。その懸念である。どういうことだろうか。
子供がほしいというカップルがいたとしよう。ただなにかしらの理由で子供ができないため代理出産を依頼する。それを調停する組織がある。相談しにいくと応募者を募ってくれる。代理の母が見つかる。そこで契約を結び精子と卵子を代理の母の子宮内で結びつける。9か月間の妊娠期間を経て出産する。こういった手続きであろう。
ところが代理の母が9か月の妊娠している間に赤ん坊に対して母性が芽生える。自然の中で培われた感情的な結びつきは強い。すると代理として引き受けた赤ん坊を引き取りたいという願いができる。依頼をしたカップルにやっぱり引き取りたいという願いを出す。するとカップルはちょっと困ってしまう。もともと親になりたいためにお願いをして代理として頼んだからだ。
それが法廷でもめるとなるとやっかいになる。法を適用しようにも双方が十分な情報を持たないまま合意に達して代理出産がなされてしまった。9か月の間に代理の母がどのような感情を持つかは契約には盛り込めない。法でどちらが正しいのかと裁くこともできない。
もうひとつは赤ん坊を売買していいのかという争点がある。アメリカでは代理出産を認めている州がいくつもある。中には代理として出産を引き受けた場合は約20万ドルが支払われるという。20万ドルというのは為替レートで換算すると2千6百万円である。9か月の妊娠期間の間に子供をお腹の中で育てる費用として計上される。この価格がつくことはどこかおかしくはないか。
まず20万ドルという価格がつく根拠は何なのか。その妥当性はあるのか。弁護士や調停組織が利益追求に走ることはないのか。おそらく弁護士は3分の1にあたる1千万円くらいの報酬を受け取るだろう。そういった争点がある。
こういった価格がつくことで代理の母になりたいというひとが出てくる。なにかしらのお金儲けの手段として悪用されるのではないか。この二つの争点はこれから十分に話し合われていくことであろう。
わたしは二人目の子供がほしかった。それは事実である。確かに兄弟がいたほうがいいことはわかっている。しかし代理出産をお願いしてまでほしいとは考えなかった。ちょっと行き過ぎであろう。
また同性愛のひとたちが子供がほしいという気持ちは認めるしその考え方には賛成する。しかし同性愛という結婚を認めた上でさらに代理出産による親になる権利まで認めるかというと少々行き過ぎではないか。そこまでするのかと懸念を持たざるを得ない。何かと理想を掲げるのはよい。健康保険や遺産相続にも影響は出よう。
ここまで読んで大学生の読者の方はどういった意見を持っているだろうか。これから同性愛は増える。すでに渋谷区では10%近い人口が同性愛だという。そのカップルが代理出産により子供を持って親として育てたい。少々リベラルすぎではないだろうか。