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ショック・ドクトリン

1981年の7月。わたしは幸運にもアメリカに1か月いかせてもらった。愛知県にある名古屋放送株式会社、通称名古屋テレビがスポンサーとなって大学生10人を派遣する。大学生は中部地区の三県が対象。愛知県、岐阜県、三重県から3年生が選ばれた。しかも無料だった。ざっと計算をしても当時のお金でひとり100万円をかけていたのではないか。なんとも贅沢な視察旅行だった。

その企画は30年続いた。わたしはその19回目の派遣学生だった。渡航のハイライトはシカゴからボストンにいきそこから南下してニューヨーク、DCへといく。主な視察先は大学だった。ボストンについて2日目でMITのキャンパスにいった。そこで時間をとってくれたのはあの有名な経済学者のポール・サムエルソン博士だった。わたしはあのような著名が学者が1時間割いてくれるとは信じていなかった。日本の大学からの名にしれない学生にあってくれる。ほんとうに博士が教室にやってきた。

読書会前

あるオンラインイベントの読書会でショック・ドクトリンについて感想を話す機会がある。この本の書いたのはナオミ・クラインというジャーナリスト。著作が発表されてからベストセラーになった。この本を紹介する番組がNHKで放送された。4回にわたりわかりやすいゲストの説明だった。このドクトリンとは何か。この危険から身を守るにはどうしたらいいかという放送だった。

今週で放送は終わった。放送の内容はNHKテキストで紹介されている。

読書会ではどのような人が参加してきて何の話になるのかはわからない。さてこの本に書かれていることは信ぴょう性があるのだろうか。

ただわたしは以下のように話をする予定でいる。まずジャーナリストのいうことはあくまでもジャーナリズムを反映したストーリー。事件や事故を扱うことを得意としているため再現性がない。ドクトリンといった原理を説こうともわたしは疑問視している。

しかもジャーナリストが説くことをジャーナリストが解釈をした場合はさらに偏見が加わる。解釈の解釈になろう。たとえ事実を積み上げてなんらかの原理をといたところでさもありなんという後付けであろう。そういう疑いが晴れない。そんなところをまず読書会で話すつもりである。

ところがわたしはこの本に書かれていることでちょっとばかりほんとうではないかという自己体験を持っている。この本にノーベル経済学賞のミルトン・フリードマンが出てくる。彼はサプライ・サイドの経済学を説きシカゴ学派の中心的な人物だ。市場原理の推進派として知られている。しかも経済学者の中でもアダム・スミス、ケインズと並ぶ代表的な学者としても知られている。

この本によるとどうもシカゴ学派の理論をアメリカの政府が他の国で応用した。なにかにつけて大事件に便乗して市場原理を持ち込んで食い物にしてきたというのだ。ここまでくると少し面白い話になる。

というのはわたしがMITであったサムウェルソン博士というのはフリードマンのライバルとして知られていた。彼は車の中でフリードマンの説くことを聞いていたとはっきりいっていた。彼はフリードマンの意見にはかなり反対をしていた。

市場はすばらしい仕組みであるが完全ではない。時には政府による規制介入や中央銀行による制御を必要とするといっていた。いきすぎた市場原理に警鐘を鳴らしていたのである。

40年前にサムウェルソン博士ははっきりと私たちに言った。市場原理を究めれば貧困格差が深刻になる。それを政府が制御しなければならない。政府にしかそれができない。さて40年後の今になってアメリカはどうなってしまったか。

こういった個人的な体験を持っているがゆえに書かれていることはほんとうかもしれない。そういう迷いが生じた。わたしたち一般の市民は食い物にされる。一部の既得権益を持った人たちが法制度を都合のいいようにつくり法案を国会で通してしまう。そこでは審査機能が働かず腐敗が暴走してしまうというシナリオが成り立つ。

さらに大事件につけこんでアメリカの大企業(外資)が他国に経済的攻勢をかけていくというのである。ほんとうかもしれない。さてではどうしたらいいのか。

わたしはこれがたとえほんとうであったとしても解決策を持ち合わせていない。こういった説に振り回わされることなく日常を地道に歩んでいく以外に方法がない。どちらかというと無関心を装い過ごす。権限や裕福な人たちとは縁遠いところにいるし声をあげたところで届くことはなかろう。

軽く笑って受け流すしか方法はない。いたずらに怒ることもなかろう。

40年前のアメリカ視察旅行。この1か月の体験はその後わたしの人生に大きな影響を及ぼした。これはほんとうである。大学はミシガン大学に留学をして経済学を学んだ。その6年後も再びアメリカにわたりジョージア工科大学でMBAを取得した。わたしにとってはあの視察旅行が起点になったといえよう。

しかもその旅行でサムウェルソン博士がいっていたことが忘れられない。市場原理を究めることには限界がある。あの経験はあれは良かったのか悪かったのか。あれがなかったらいまごろこの本を読んだところでなにも感じなかったであろう。

読書会後

読書会は無事に終わった。20人が参加しまず5人のグループが4つできた。割り当てられた部屋に入った。自己紹介のあとNHKの番組4回につき1回目の感想を話した。3巡したところで2回目に移り4回目が終えたのは12時近くだった。テーブルを8巡して会は終わった。

わたしはこの中で2つほど印象に残ったことがあった。ひとつはIMF(国際通貨基金)のこと。もうひとつは回転ドアについてだった。

IMFについてはいろいろなことがいわれている。国際連合の下部組織として新興国への緊急支援を行うところだ。緊急なので短期の貸し付けをおこなう。1年から3年くらいであろう。最近ではアルゼンチン、パキスタン、エジプトが財政破綻に近く元本の返済ができないという。IMFは厳しい審査をした上で貸付を行っている。そのため破綻した国に対しては元本の返済を帳消しにする慣行がある。そういった他から仕入れてきた情報について話をした。

もしIMFがショック・ドクトリンを意識をして加担しているとなったらちょっと懸念すべきことになる。災害といった惨事に便乗をして貸し付けを行う。こんなことをしてきたというのだろうか。

借金をした国のバランスシートにはIMFが記載されているはずだ。それがディフォルト(破綻)ということになれば帳消しにならなければならない。破産した国からは借金が消えなければならないからだ。しかしこのショック・ドクトリンの中で語られるということはIMFの本来の在り方とは違った姿で描かれている。

IMFの在り方というのは本来の姿なのだろうか。

IMFというのは短期の貸し付けを行う緊急支援のための国際機関である。長期は世界銀行で行う。この世銀とIMFのすみ分けはできているのだろうか。そういった疑問がわいてしまった。

もっといかがわしいのは国連の常任理事国としての中国の動きである。中国はIMFの方針に従うことなく、つまり融資の審査をIMFの基準でやることなく、独自の基準で新興国に貸し付けているという。ろくな審査はせず融資をする。そして破綻をしたとしても元本はそのままでいつまでも請求をするという。これは貸し付けの武器化に等しい。

つまり破綻するような国のバランスシートの中に中国の負債(借金)が入ってくる。国が破産すれば民衆は行き場を失う。そういったこともショック・ドクトリンの流れに沿うものなのかどうか。

もうひとつは本の中で語られている回転ドアのことだった。回転ドアとは政府と経済、つまり法律とビジネスの癒着をいう。企業のトップが政府の中に入り込んで立法に圧力をかける。政治家とつるんで都合のいいような法律をつくってしまうということだ。

これは本の中にはブッシュ政権の時にテキサスの石油メジャーが何度も回転ドアを使って政界と民間を行き来した。そこで石油メジャーの都合のいいような法律をつくって他の敵対勢力を抑え込んでしまったということ。こうなると既得権益者による独占になっていこう。これは違憲にはならない。

日本ではどうか。やはり東芝の例が浮かんでしまう。2007年くらいから経済産業省の役人が東芝の取締役会に入っていった。そこでは7年にわたり$15billionのものぼる不正会計が行われていたという。これは著者が説く回転ドアとはやや異質ではあるもののどこかで回転ドアというものを使ってなにかしらの不正が行われていたのではないかと疑ってしまう。

もともとの東芝の不正の発端はアメリカの原子力発電の会社(Westinghouse )への投資失敗がある種のショックだったのかもしれない。ただこれは原理の正当化にはならないだろう。

さてショックに便乗して資本主義をとことん貫き食い物にする。このようなたくらみをすることは理解できた。ただ、わたしはたとえそれに似たようなことがあってもドクトリン(原則)にはならないだろうと考えている。