怪しい消防訓練
京都でアニメを制作しているスタジオにて放火事件があった。スタジオは全焼して多くの人が焼け死んだ。その記憶はいまでも鮮明だ。その頃にわたしの住むマンション近くの小さな公園で同じような事件があった。それは公園隣りの2階建てアパート。何らかの理由で全焼した。しばらくすると跡地にはアパートの焼け残は取り除かれた。そして新しく老人養護施設ができている。たまたま同じころであったので気になった。
同じ時期にマンションのすぐ隣にあった国の用地に40世帯ほどの一軒家ができた。平均価格は6千万円だという。千葉県東葛地区で駅から少し離れている。それでも駅につけば都内へ30分でいけるため高い価格帯で推移している。
わたしが住むマンションには40世帯ほどが住んでいる。さすがに5千万円をするほどのマンションではないがいまでも決して安くはない。20年以上前に住み始めた頃はなんとなくお隣さんというコミュニティが存在していた。朝、すれ違えば挨拶をする。それが急速に崩壊した。
12月に行われる年1回の総会にも出席しなくなった。この20年でコミュニティへの関心は著しく低下して出席率は悪くなった。40世帯のうち4世帯しか参加してこない状況だ。議決権を持ちながらも事案にめくらサインをしているだけだった。そうしてなんでもオーケーをだしてしまう。修繕積立金が減り、マンション価格は下落してしまう。わたしのところも20年で800万ほど値下がりした。
わたしはコミュニティ広場に散乱しているたばこの吸い殻とフィルターのポイ捨てを総会で指摘した。にもかかわらず総会運営の管理組合はコミュニティ広場にあるベンチをどうしていいかわからないまま1年近く放置していた。
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やがてベンチにはロープが張られてポイ捨ては減った。しかしロープが張られているにもかかわらず、それをずらしてベンチに座るというよそ者がいる。やがてポイ捨てにより板木や植栽に火がついてしまうかもしれない。
消火器
ある日の午前中1時間。マンションの管理組会主催による防災訓練があった。参加してきたのは10世帯との報告だった。実際はそれより少ない。まず3人の消防隊員から消火器の使い方の説明があった。説明の後に2つのグループにわかれて消火器の使い方を訓練した。
上のレバーを持つ。火のところにいく。3メートル離れる。そしてピンを抜く。下のレバーを手前に引くと消火剤が出る。結構、勢いよく出る。これが消火器を使った訓練だった。
実際に火が起きているところでどれだけ冷静でいられるか。いられないだろう。ならばこれだけのことができるのであろうか。できるはずはない。わたしはできないと疑っていた。
訓練を1年に1回くらいして体で覚えさせておけばやらないよりはいいくらいだ。しかし効果はなく多くの人はできないであろう。火を見ればだれでもパニック状態になっているはずだ。それを冷静に対処するにはどうしたらいいか。
そういった質問が出た。しかし消防隊員からの回答には満足するものがなかった。各自の意識を高めて訓練しかないだろう。しかしそれも怪しい。そうしていると30分が過ぎた。
AED
次にAED(自動体外式除細動器)の使用訓練があった。説明の後に2つのグループで実際の訓練があった。状況としてはだれかが倒れている。心肺停止状態であり自分では動けない。そういうひとがいたとするとなにをするか。まず仰向けにして声をかける。大丈夫ですか。返答がない。心臓の音を聞く。止まっているのかもしれない。すると両手を使ってポンプを押す動作をする。
30回続ける。そして助けを求めるとだれかがやってくる。その人に向かってAEDをとってきてくださいという。持ってきた人に対してたずねる。
AEDの操作ができますか。できない。するとだれかがAEDを使わなければならない。使える人がいたとする。するとアナウンスにしたがって操作するのだ。
消防隊員の説明が入った。AEDを使って救命活動をする。ただし人工呼吸はしなくてもよいように簡素化されているという。これがされなくなった理由としてはコロナの影響があるという。助けようとしてコロナに感染したとなったらどうしようもないではないか。
そうしてAEDによる電気ショックが行われた。すべて訓練である。参加者の中には訓練をまともには受け止めておらず、安易な態度でちゃらけた言葉を掛け合いながら練習をしていた。
目の前には青い顔をして心臓が止まっているひとが倒れているのだ。そんなことでAEDが使えるのだろうか。使えるわけがない。そうして1時間の消防訓練は終了した。怪しい訓練だった。
やろうという人がいない
終了間際にはこんな質問が消防隊員に向けられた。使い方が省力化されれば訓練により使えるようにはなるだろう。しかし目の前に倒れている人に向かってやる人がいるのだろうか。やろうとするだろうか。使えるけどやろうとしない。誰も助け合わない。関わりたくない。そうやってこのマンションでは誰も助けないのではないか。
こうして訓練は終了した。やらないよりはましではあるがやっても助けようとう意識はない。
団員によると通報は年間3万2千回あるという。1日100件の通報がある。ということは1日あたり100回消防車が出動しているということだ。有料なところでは1回あたり6万円ほどの費用がかかるという。ということは一日600万円を出費してしまう。これだけのコストがかかるのが消防車の出動である。
訓練は無事に終了した。ただこういったものは何度も訓練をするしかない。コミュニティが崩壊してしまったとしても訓練をするしかないのである。