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バルーン宇宙葬は葬儀の在り方を変えるのか

愛知県豊田市で生まれ育ったわたしにとっては故郷は豊田市である。実家もそこにあり両親の墓がある。遺骨も埋葬されている。千葉県東葛地区から豊田市の実家にいくには一日がかり。まず最寄りの駅から東京駅にいく。新幹線に乗り換える。普通ならば名古屋駅までいく。しかし名古屋駅から豊田市にある実家までは車で2時間かかる。もうひとつの新幹線の駅として豊橋駅がある。そこから電車を乗り継いで豊田市駅につく。さらに1時間かかる。日帰りをしようとすればできるがかなり疲れる。

あるオンラインイベントでバルーン宇宙葬について話題になる予定がある。この話題を提供した原文の筋書きはここに収められている。

最近の日本における葬儀の在り方に変化が起きている。通常は火葬をして遺灰をとりお墓にいれる。それを納骨という。こういったことが行われなくなってきた。

ひとつは日本人の死者が増えていること。2022年は150万人が他界した。しかし近くの墓はいっぱいで買えない。どこか場所を探す。それでもなかなか見つからないという。お墓をわざわざ買わない樹木葬というのもある。

次にお金をあまりかけたくないという背景がある。バルーン宇宙葬は安い。墓もないので遺族がお墓参りをすることがない。通常の葬儀は100万円かかる。永大供養でいつまでも祖先のことを祈る儀式がある。しかもお墓を維持するのに月2万円払い続ける。遺族にとっては負担になる。

離れたところにお墓があるために車や電車で出かけると負担が増す。そんなこともあってか年々バルーン宇宙葬を選ぶひとが増えている。ただこういった葬儀の在り方をオープンに家族で話せるだけの関係があるかどうか。そういったタブーをおおっぴらに話して気分を害さなくていいかどうか。

わたし自身はこのような葬儀があることは別に問題ではないと認識している。ただあまり好ましいものではない。少なくとも葬儀は身内だけにする。集まった人が年に1回だけ思い出してくれる。その方がいいではないか。

あのひとはああいう人だった。こういう人として覚えている。そういうことが身内でけで話せるのはいいことであろう。

愛知県の実家にある墓にはお参りにいくことはなくなった。そして家族が千葉県にいることもありこちらの親戚と過ごす時間が長くなった。豊田市と縁が遠のくのは寂しい。ただもう一方の家族と折り合いをつけてどのような葬儀を希望するかは話しておいてもいいだろう。

大学生の読者の方々はどのような感想をお持ちだろうか。親がオープンに話してくれるのならいいだろう。親はこういうひとだったと毎年一回思い出す。上空を見上げるより通常の葬式の方がいいのではなかろうか。