王蒙 「応報」(1986)
王蒙 (ワン・モン 1934-)という人。この人は若い時に共青団活動に参加するとともに文筆活動を始めた。最初は肃反(スーファン:反党分子摘発活動)を題材にした小説を書いた。1950年代に書いた小説が幹部批判をしているとみなされて、一度右派として断罪。1960年代に入ると自ら志願して新疆の人民公社に下放。ウイグル語にもなじんだという。文革時代を生き抜き復権した人である。手にした林芳訳『応報 活動変人形』白帝社1992年(元の小説の発表は1986年)を読むと、心にもないことを言いながら、ともかく反右派闘争とも呼ばれる政治闘争を生き延びる主人公を登場させている。著者の父は北京大学で教えていたとされるが、著者は大学には進まず革命青年として、文筆活動をする。しかし右派として断罪され(1958年24歳)、文筆家としての復活は20年余りを経た1979年。1986年にこの小説を発表した年に文化部部長つまり日本でいう文部大臣に就任している。この小説に扱われているのは、中途半端な知識人の中国社会での生きざまである。その時々の強いものに徹底して媚を売ることで生き延びる。それは著者自身の思いなのか。主人公の姿に著者の屈折した心理が読み取れるように思える。
(1930年代後半?)日本占領者に対する態度の問題は願い下げにしたい。答えようがないのだ。・・・占領軍に加担するのは御免だが、かといって見込みのない重慶にも行きたくない。まして山奥の延安くんだりときてはなおさらだ。僅かの苦痛も怖い。訳p.148
(主人公とその子供との対話)日本人は中国人を侮り、中国の土地を占領している。だが日本人は進んでいるし頑張る。ここで中国人は猛省すべきだ。・・・蒋介石は抗日戦争を指導している中国の指導者だね。成功してほしいものだ。・・・毛沢東、朱徳といった人たちは皆伝説上の偉人だね。共産主義を主張している。共産主義というのはなかなか立派な理想だが、実行するのは大変だ。犠牲が大きすぎる。訳p.234
(1955年の反革命粛清運動の中で) 吊るし上げに会っている間(期間 訳語を変えた)、彼は神妙に恨み言(事)一つ言わなかった。抗日戦争時代の言動には漢奸に匹敵する(伍する)ものがあったと認めた。血みどろの抗戦を戦い抜いてきた古参同志に比べれば、自分は民族のクズであると認めたのである。「祖国の裁き」を喜んで受けます、と・・・ここに銃弾を受ける覚悟ありと表明したのだ。・・・私個人が「凌辱」を受けたからと言って、偉大な中国共産党への信頼が動揺することはけしてないと、会議の内外でも公にもプライベートにも盛んに表明したものだ。p.286.
1958年の大躍進の時期になると・・・進んで労働参加を申し込んだ。p.286
(王蒙の父親は北京大学で教壇にあったというが、詳細は不明である。自身は革命の中で、大学教育を受ける機会を失っている。)
(あるとき 友人のドイツ人がパブロフの実験について語る。)一切れの牛肉を犬の前にぶら下げて鈴を振り(ふり)、犬に食べにいくように指示する。犬は大喜びで肉に食いつこうとする。その瞬間、肉切れを隠して食べさせない。この実験を数回繰り返す。「犬はとうとう発狂してしまった。」(主人公は答える。)「わたしはその犬のようなものだ」p.219
安祥と題した散文で王蒙は次のように書いている。革命に翻弄された中国人の一人であり、また人間としては自分の限界もわかっている人だと思える。
一个不理解别人的人,又怎么要求旁人的理解呢?(他人を理解しない人が、なぜ他人に理解を求めるのか?)
不要以为有了名声就有了信誉。不要以为有了成就有了幸福。不要以为有了权力就有了威望。(名声が得たら信頼を得られたというわけはないし、何かを成し遂げたら幸せというものではない。権力を得たから人望もあるというわけではない。)