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王丹 中華人民共和国史十五講① 共同綱領と五反運動 1949-52

王丹 中華人民共和国史十五講 ちくま学芸文庫 2014年 王丹のこの本は2回ほど通読している。今回は第1講から第3講までからメモを作成した。

p.35  中共の建国がなされたばかりのころ、最高の政治権力機構は名義上は中国人民政治協商会議であった。・・・注意すべきは、このときに「共同綱領」が確立した国の体制は「新民主主義」であって、「社会主義」ではなかった点である。

p.36  「共同綱領」はこのとき臨時憲法に等しく、中国がようやく最初の憲法を制定したのは1954になってからであった。…1954年9月15日、第一回全国人民代表大会が招集され、「政治協商会議」は国会と同様の権力機構から単なる諮問機構に変わり、民主党派は名義のうえだけの「最高権力機関」全国人民代表大会に割り振られた。国務院が政務院にとって代わったが、国務院の総理、副総理には
p.37
民主党派が一人もいなくなり、彼らは歴史の舞台から退出したも同然であった。

pp.43-44  「共同綱領」は明確に、「中華人民共和国の経済建設の根本的方針は、公私兼顧、労使両利、城狂互助、内外交流の政策をもって生産発展、経済繁栄の目的を達成することにある」と指摘していた。この政策に言及したものでもっとも有名なものは、劉少奇の「天津講話」である。・・・のちに「搾取有功論」と言われることになるものである。

pp.46-47
1948年8月23日 中央の華北局への指示
われわれの任務は、資本主義の管理制度を批判的に受け容れ、その合理性と進歩性を引き出して、不合理性と反動性とを取り除くことである。
薄一波 若干重大決策與事件的回顧  2008年 p.10

p.56以下~67
1950年3月 毛沢東帰国後 モスクワに金日成迎え 侵攻計画了承 中国の同意を条件 金日成は5月13日北京で毛沢東に会い 同意求める 5月15日同意与える
6月25日開戦 27日アメリカは出兵を宣告 7月7日国連安全保障理事会決議採択
7月中共 国境防衛軍増強
8月中旬 長選人民軍釜山付近に達する
9月15日 米軍仁川に上陸 27日ソウル占領
10月1日 朝鮮外相 中国の出兵と支援要請
  2日 政治局会議反対多し
  4日 彭徳懐 毛沢東が賛成
  8日 スターリンは即時軍事援助に難色
  11日 金日成を東北に退かせる判断
  13日 毛沢東 単独出兵を決断
  19日 鴨緑江超え 25日米軍と戦闘開始

1952年7月10日停戦交渉開始 27日停戦協定調印 中国側の死者50万人軍費20億ドル

p.68  朝鮮戦争発動を決断した毛沢東の対外的思惑
国際的対抗勢力として隆盛にあったアメリカおよび西側諸国に対して、大国としての地位を一挙に築いてしまった 軍事強国の姿を確立した

p.69  いっそう大きな収穫は対内的な思惑の部分にあった。
(内戦の勝利により)中共だけが中国人民を率いて、外侮に抵抗し、中華民族の自尊心を取り戻すことができる

p.71    中共は、西洋列強に果敢に対抗するという姿勢を、朝鮮戦争を通じていっそう確かなものとした。戦争は、建国直後に迅速に国民の求心力を生み出し、人民の心の中に中共と毛沢東の威光と声望戸を確立するのに大いに役立ったのである。

p.71  朝鮮戦争の負の側面
第一 ソ連との関係に変化 金日成の計画をめぐるスターリンの態度の変転 ソ連の態度への不満
第二 アメリカの軍隊の台湾海峡への進出 (→ 1951春 台湾進攻は困難)
第三 国際的孤立

p.73
中国が国連軍およびアメリカと対抗しながら、最終的にソ連に依存するしかなくなること、それこそスターリンがもっとも望んだ成果だった。

p.75
スターリンは・・・金日成が朝鮮戦争を発動するのをそそのかすことで、中共を正面からアメリカと敵対させた。中米同盟の可能性を
p.76
徹底的に断ち、中共をしっかりと社会主義陣営内部に引き留めることができる方法を、みごとに探し当てた

p.92
「五反」運動の目的はきわめて簡単明瞭で、ブルジョア階級を懲らしめて「気力を奪い、気勢を削ぐ」ことであり、ブルジョア階級がけっして批判の対象となる五つの違反行為をしたからではなかった

p.92
「三反」運動から「五反」運動へ転ずることは、中共および毛沢東の真の目的であった。全面的国有化は、社会に対する国家の全面的な掌握・統制であり、社会生活のすべてを国家の掌握・統制のもとに帰することであった。言い換えるなら、社会改造こそ「五反」運動の真の目的だった

pp.94-95  1952年3月22日の毛沢東指示から
五毒(賄賂、脱税、横領、工事の手抜き、情報の剽取のこと 福光補語)」を一掃し、投機的商業を壊滅させて、ブルジョア階級全体を国家の法令に服従させ、国家と経済と人民の生活に有益な商工業を経営させる。国家の規定する範囲内で、私営工業はできるかぎり発展させるものの、私営商業は徐々に縮小する。国家は年とともに私営産品に対する一手販売、商品発注計画を推進し、私営商工業に対する計画性を高める。私的資本の利潤額を再画定し、私的資本の利益獲得を保証する一方、その不法な暴利取得を阻止しなければならない。

p.100
「五反」運動は、対象が商工ブルジョア階級であったため、もたらされた直接的な結果は、経済の地滑り的な悪化にほかならなかった。

p.102
運動がもたらした経済の地滑り的な悪化に対して、国内情勢の安定が模索された。毛沢東は運動のリズムを調整することを決定したのである。

p.107
「三反」「五反」運動がもたらしたもっとも主要な社会的効果は、完全な階級としての中国商工ブルジョア階級がもはや存在しなくなったことである。

p.108
「五反」以後、民族ブルジョア階級はもはや事実上、以前の態様では生存できなくなり、社会主義改造を受け容れるほかに選択はなかったのである。

p.109
「三反」運動をへて、大量の留用人員(旧体制から受け継いだ人員のこと 補語)は各級の政権機構から一掃された。

p.110
運動をへて、これまで盛んであった「機関による生産」がほぼ瓦解し、各派閥の財産がすべて中央の財政に帰したのである

中国経済思想摘記目次

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