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John Kenneth Galbraith 1908-2006

ガルブレイス By David R. Henderson
Cited from Econlib.org

 1950年代から1970年代を通じてJohn Kenneth Galbraithは、合衆国で最も広く読まれた経済学者の一人だった。その一つの理由は、彼が彼を批判する人が馬鹿に見える賢い言い回しを使って、十分に書いたからである。ガルブレイスの最初の主著『アメリカの資本主義:拮抗力(countervailing power)の概念』(訳注 American Capitalism, 1952)は1952年に出版された。同書の中で彼は、完全競争モデルがアメリカ経済のほとんどにおいてもはや適用できなくなるまで、巨大企業が小企業に置き換わってしまったと論じた。しかし、恐れる必要はない、と彼は付け加えた。大企業の力は大組合の拮抗力により相殺され、消費者は競争する権力の中心により守られているのだと。
 ガルブレイスは1958年の本『豊かな社会』(訳注 The Affluent Society 1998年の第4版)で、私的部門の豊饒さと、公的部門の貧しさ(squalor)を対比して、最大の衝撃(splash)を与えた。(このとき)多くの人が彼の本を好んだのは、Thorstein Veblenが「顕示欲消費」(の概念)を用意したように、(これを)生産への攻撃と見たからである。しかしガルブレイスが(実際)したことはそうではなかった。実はガルブレイスは、消費者が望むことが普通でない楽しみに属することであるいは非道徳な起源のものでも満たされる、賞賛すべきケースがありうると論じている。すべての消費者の需要を満足させることを批判する彼の議論は、より気づきにくい(subtle)ものである。彼は書いている。「もし個人の必要が大事(urgent)なら」「それは彼自身にとり独特originalであるべきである。消費者の需要はそれが彼自身のために作られたのでなければ、大事だったとはいえない。そのうえに消費者の需要を満足させるには、生産の過程によって作られねばならない...人は生産を、生産が必要を生み出すとして弁護はできない。」(『豊かな社会』p.124)
 Friedrich Hayekはガルブレイスの議論に、最も基本的な批判を行った。Hayekはほとんどの要求(wants)は個人から始まっていると譲歩した。彼は書いたー我々の本質的innate必要は「おそらく、食べるもの、住むところ、そしてセックスに限られる」と。我々のすべてのほかの要求は、我々の周囲を見ることで学んだものである。おそらくすべての芸術的感情、音楽や文学の楽しみは、(見て)学んだものである。だからと、Hayekはいう、それが本質的でないから、(訳者補語 企業が生産した商品、見たものを欲しいという)desireが重要でない、というのは人類のすべての文化的達成を重要でないというようなものだと。
 1967年出版の『新産業国家』はガルブレイスの大作(magnum opus)である。同書において彼は、アメリカは大企業に支配されていると論じた。ガルブレイスは書いた「成熟した会社は」「売る価格と同様に買う価格を支配している。...General Motorsは全自動車の半分ほどを生産しているので、そのデザインは現在の様式ではないが、(それでも)現在の様式なのである。自動車メーカーが、ほとんどの人にとっての自動車の正しい形、現在の形を決めるのである。」
 (しかし実際の)証拠はガルブレイスの命題にやさしくなかった。最大の企業でさえ、もし消費者の好みに合う製品の生産に失敗すればカネを失っている。例えば、企業が市場の力に妨げられないガルブレイス好みの事例のGeneral Motorsのシェアは、ガルブレイスが本書を書いた時の約50%から、2005年までにはその半分以下にまで減少した。
 ガルブレイスはカナダに生まれ、1930年代に合衆国に移った。彼はカリフォルニア大学バークレーで農業経済学で博士号を得た。彼は第二次大戦中、政府の価格管理局の価格担当責任者である上席価格統制官の一人だった。ほとんどすべての経済学者とは異なり、ガルブレイスは永続的価格統制を支持していた。1943年に彼は政府を離れ、Fortuneの編集委員会に移った。戦後、彼は合衆国戦略爆撃調査報告書を作成した。その主たる発見は、ドイツへの大量爆撃は、ドイツの生産低下にとても効果的とはいえないものだった、ということであった。1949年に彼は、戦前短期間いたハーバードの経済学教授になった。彼は政治的にも活動的で、John F. Kennedy大統領の顧問、ケネディ政権下でインド大使、そしてAmericans for Democratic Actionの会長を務めた。(また)1972年のアメリカ経済学会会長も務めた。


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福光 寛  中国経済思想摘記
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