薛暮橋 経済改革私見 1992/09
薛暮橋が1992年9月に発表した「改革就是爲了發展解放生產力」から。この文章は《回顧録》にも採録されている。ここでは《薛暮橋改革論集》中國發展出版社2008年156-191から採録した。ここで述べていることが彼の結論だったのではないか。
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しかし1979年に《中国社会主義経済問題研究》を書くまでその1983年修訂版までは、私はなお「価値規律は社会主義条件下、一般にすでに自発的には調節作用しない、通常は(常々)国家により自覚的に調節作用が利用される。国家は価値規律を利用し(価格政策を通して)各類製品の生産と商品関係を調節する。調節の主体は国家、すなわち国家計画である。それゆえ我々は言う。社会主義経済の中で、国家計画は主要な調節者である。」当時私は考えた、価値規律の作用は制限されていい。理由は価値規律は商品経済の規律で、商品生産は歴史的には生産資料私有制を基礎とし、無政府状態が特徴的だ。現在私たちは基本的に生産資料私有制と生産の無政府状態とを消滅させた。生産においての決定作用は、すでに国民経済は計画があり比例に沿って規律を発展し、そしてこの種の規律が要求する国家計画を体現している。価値規律の作用はすでに制限を受けている。しかし私はまた一般的に価値規律は作用することはない、という意見にも同意しない。長年、我々の欠点はまさに価値規律の利用についてあまりに少なくし、制限をあまりに多くしたことであり、経済上既に相当大きな損失を受けた。それゆえ我々は言う、社会主義価値規律の作用はすでに制限を受けているが、決して価値規律がもはや作用しなくなっているとは言えないと。さらにそれゆえすべて主観意思で客観規律に制限することはできなしいし、そうすることは壁にぶつかるだろうと。私が本書中でなお指摘しているのは、一部の学者は社会主義経済を計画経済と呼び、資本主義経済を市場経済と呼んでいるが、この種の言い方は両種の制度の区別のある面を反映しているが、その理解の絶対化はできない。というのも資本主義経済の市場経済は別の時、別の場合には一定程度国家関与を実行し、誘導性計画を行うからである。また社会主義国家の計画経済は、市場を排除しないし、それどころか国家計画の指導下、市場の作用を広範に利用することが必要だからである。
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1979年以来、市場排斥から市場発展へ、単一の商品市場の発展から発展開放する統一的市場体系へ、認識を一歩一歩進め実質的に進歩してきた。その帰結の中で以下の何点かが最も重要である。(1) 市場メカニズムの運用と社会政治制度の性質にはいかなる必然的関係もない。計画と市場は経済調節の手段であり、社会化された大生産の基礎上、商品経済の発展は客観的に必要であるが、(それは)社会主義経済と資本主義経済の標識(symbol)ではない。(2)活発に変動する価格は市場活動(運行 be in motion)の基本要素である。市場価格が示す情報を十分くみ取り、
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国民経済計画を編成する基礎にすべきである。同時に市場の資源を有効に配置により、企業が競争圧力を形成する積極作用が十分発揮されるべきである。(中略)
(6) 市場の活動主体は、必ず損益の責任を自身で背負う(自負盈虧的責任)そして自主経営の権利(をもった)企業であるべきである。ただそうであって、企業は市場の価格信号を能動的に受けて、かつ迅速に反応できる。ただそうであって、市場は健全に進行する。(7) 市場は万能かつ完全無欠ではない。市場メカニズムは、環境ガバナンス、インフラ、社会サービス、公民教育など社会コストと社会便益(収益)を反映も体現もできない。市場は貧富格差問題も解決できない。同時に、市場調節は総じて事後的で不確定、短期的である。事前確定的、長期的な計画指導との結合が必要である。(8) 市場メカニズムを確立するには、法政の建設、思想文化観念との更なる新結合が必要になる。そうでなければ市場メカニズムは有効に力(作用)を発揮できない。
中国経済思想摘記目次
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