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孫冶方 真理は時に少数の手に 1979

 以下は孫冶方《經濟學界對馬寅初同志的一場錯誤圍攻及其教訓》載《經濟研究》1979年第10期59-66の第三節「真理は時に少数者の手に(真理有時在少數人手裏)」その全訳である(op.cit., 63-64)。馬寅初の人口理論については、人口縮小が始まった現時点で評価が変わってくる可能性があるが、ここで注目したいのは、1950年代末の馬寅初に対する苛烈な批判、そして孫冶方のこうした批判への再批判である(写真は順天堂大学病院7号館エントランス 2021年6月25日)。
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 最後に私はなお学風問題を話さねばならない。解放後、馬老は1955年の全国人民代表大会で人口問題を提起した。我が国の人口繁殖はもはや再び「無組織」「無規律」を続けることはできない。我々は現在、計画経済を有しており、同時にまた計画生育を有するべきである。彼は結婚年齢を遅らせること、避妊を全力(大力)で宣伝すること、さらに行政手段をもちいて生育を統制(控制)すべきだと論じた。一人の人民代表として、人民代表大会に提出された提案は、もしも内容に誤りがあれば、討論方式を用いて解決するとし、この提案は主観願望は良いものだとするだけでなく、かつ述べるところの道理もまた十分だとするものだ。当時、馬老の主張はかつて毛主席が最高国務会議で賞賛した(表揚)ものだった。しかし、その後、彼(馬老)の意見は真剣に扱われないだけでなく、彼に対して批判、包囲攻撃が行われたのであり、この放(自由に批判せよとの学術上の個人攻撃 訳者注)の政策は(学術の自由の観点から見れば 訳者注)風刺であり、政治影響はとても良くなかった。
 馬老批判の中でまず一つの問題はまず現実(唯實)主義ではなく唯上主義であった。当時の批判文章はまじめな研究でないだけでなく、馬老の人口理論の精神実質の現実経済生活にとっての意義を分析するもので、上部(上級)の意図を根拠にして、ひとたび始めると、粗暴な、強い言葉で理性を失った(奪理的)手段が取られて、一部が抜き取られて彼の人口理論の個別論点に分析が加えられた。加えて自身の主張に主観的推断を加えて、彼の観点は実質上マルサス主義と変わらないと頑(かたく)なに唱えた。事実は、馬老は、一度ならず自身が話す人口問題とマルサス主義との違いについて声明を出している。糧食の成長はマルサスが述べたように算術級数的に成長するものではないと。もし我々が当時客観的に彼の主張を研究したなら、彼が声明で自身とマルサスが違っているとしたことが実際と符合していることを見出したであろう。しかし当時、彼を攻めるとき、彼のこうした声明はすべて顧慮されず、ただ彼はマルサス主義を宣伝(販売)しているといった。馬老はかつて次のように言った。彼の人口の主張について賛成反対のいずれを問わず、道理のあるものなら、聞いていいと。彼は特に指摘した。或る種の興奮した人がいて、彼らは情勢で動くのだが(見風使舵),共産党員反対が多いと見ると、すぐに反対する。又なお口に出せないことがあると。さらに憤慨気味に述べている。「この種の人々はあの一行(いっこう)のなかにいつもいる。共産党は彼らのような人の話を聞き、遅かれ早かれ騙されるのだ。」この話は今日聞いてもとても実感(現実感)がある。我々のこのような経済理論工作者は当初職業の立場を守らず、かつ流れに乗って(推波助瀾)、良薬を毒草にした、(これは)思い起こすに心が痛むことだ。
 馬老は解放後人口問題で幾つか正しくない話をしている。たとえば人が多いとほかの人を侵略する類の話だが、これは人民内部の矛盾に属し、学術討論の方法を用いて解決できる。さらに彼は自身でこの誤りを誤りと認めている、それならなおさらむやみに帽子を与えたり、力で押さえつける(圧服)やり方を取るべきではない。マルクスは学術問題ではいつも合理的であった。すなわちほかの人と何かの問題で原則が異なっていたとき、決して相手を棒で殴ってやっつけたりしなかったし、他の人が科学上いささかでも貢献があれば、指摘して肯定した。たとえば、マルサスはマルクスの筆の下で最も卑しい人物だと言えるが、やはりそうであって、マルクスはあるところで彼をすべて肯定したことがある(①この問題については「経済研究」1979年第9期に発表の張立中同志が書いた《マルクスとエンゲルスはこのようにマルサス人口論を批判している》の一文は、大変良い説明を行った。)。正にエンゲルスが説明したとおりである。「マルクスは過去の人に何か本当の進歩そして正しい新思想を見付けさえすれば、彼はいつも彼らに対して善意の評価を下した。」(②マルクス『資本論』第1巻581ページ注(17)。)
 まとめるに、当時の馬老に対する批判は学風としてとても問題が多いものだった。批判する文章はいずれも道理を種々述べるものだが、実際上は人々に、人口の抑制を唱えるもの(提唱節育者)はまさにマルサス主義者であり、我が国の人口が多いことはただよいことで、いかなる問題も生むことはあり得ない、などの一種の錯覚を必然的に起こさせた。この種の観点は二十年にわたり増加した二、三億の人口に相当の責任がある。馬老は始終彼に強く加えられ批判を不服として、1959年11月に次のように述べている。「わたしは年齢は八十に近く、負け戦はわかっているが、単身馬に乗り、応戦して死ぬまでだが、決して圧力に屈したりしないし、あの種の批判者に説得されて投降もしない。」馬老のこの真理を堅持し戦う精神は、我々すべての理論工作者の学習に値する。実践は真理を検証する唯一の基準(標準)である。実践は馬老の人口理論が正しいことを証明している。(馬老の人口理論は)我が国の具体状況に適用され、広範な群衆の中で展開される人口抑制宣伝において一定の指導意義がある。我々は現在一方では馬老の人口理論を肯定せねばならない。他面では当時彼の批判した時の学風に存在した種々の問題を総括すべきである。(総括により)失敗を繰り返すことがないように(以免重蹈覆轍)、雙百(百花齊放,百家爭鳴のこと。1956年中共が学術の発展のために自由に争論することを求めた。しかし結果としてこれが翌年の反右派闘争につながった。訳者注)の方針貫徹に不利(よくない事)なことを(繰り返さないようにすべきである)。
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福光 寛  中国経済思想摘記
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