鄧子恢 四つの自由を提唱 1948/08
1948年8月。当時、鄧子恢(トン・ツーホイ 1896-1972)は中原局の第三書記。第二書記の陳毅とともに中原局の実務にあたっていた。財政問題とともに幹部を大量に要請確保する必要があった。また中原局の司令部があった河南省宝丰には、開封の学校の教員や学生があつまっていた。そこで中原軍政大学とよばれる、軍人養成の大学が作られることになった。1948年8月下旬、その全校教員学生を対象に「党の総路線と総政策」と題した報告を行った。この報告は、手元の《鄧子恢文集》人民出版社1996年には収められていないが、鄧子恢がいわゆる「四つの自由」を最初に述べた報告として知られる。「四つの自由」問題については、蔣伯英《鄧子恢與中國農村變革》福建人民出版社2004年pp.298-308に詳しい記述があり、いずれその紹介をしたいが、今回は《鄧子恢傳 第二版》人民出版社2006年, pp.352-353の記述を引用したい。
p.352 (1948年)8月下旬、鄧子恢は宝丰大白庄に赴き、全校の教師学生に対し「党の総路線と総政策」と題した報告を行った。彼は机の前にして背を伸ばして座り(端坐)閩西なまり機嫌よくまたユーモアをもって(談笑風趣)、最初から話し始めたー皆さんは蒋(介石)の支配地区でとても大きな迫害を受け、(しかし)不断に迫害に対し不屈の闘争をしました。皆さんがここに来られた熱情はとても高い。この人口5500万近い解放区は、強固に」せねばならず、建設せねばならず、この広大な区域の労働人民に対し、
p.353 恐怖と貧困の日々から安定と繁栄の日々に移ってもらわねばなりません。この偉大で巨大な責任が皆さんの肩にかかろうとしています。
熱烈な拍手が鎮まるやすぐに、彼はすぐに新民主主義理論をよどみなく述べた。人々の思想に向けて、現段階の中国革命の性質、任務、依拠する力、指導権などなどについて解説(講解)し、人々が最も関心がある党の資本主義工商業、土地改革、私有財産、知識分子に対する方針政策について解説した。彼は中国革命の性質に述べ及んだ時に、言った。目前の中国革命は旧民主主義革命ではなく、社会主義革命でもなく、新民主主義革命である。革命の目的は生産力の発展、経済の発展、人民生活を改善し、社会主義の条件を準備することにある。現在の段階は、我々の経済は国家資本、合作資本、私人資本の三者の混合により前進している。新民主主義制度は、私有財産を承認するもので、土地改革とは耕す者がその田を保有することで、国が田を所有することではない。また資本主義の発展を許可(允許)するものである。今日において、資本主義は進歩的であり、我々は資本主義を必要としており、資本主義は我々の工業農業の生産発展の助けとなる。彼は言う。資本主義制度には四大原則があり、新民主主義制度の下でも同じく「四つの自由(四個自由)」が承認される。すなわち一、売買の自由、二、雇用の自由、三、貸し借りの自由、四、田畑貸借の自由。われわれはこの「四つの自由」を承認していることは、まさに我々が財産の私有を承認し、我々がそれが発展することを許可していることを、説明している。
彼は自らの経験経歴を例証(現身説法)として、知識分子は革命の先鋒隊であるが、必ず労働人民と結合することで力をえることができると言った。知識分子はその独特の欠点を捨て去ることによってこそ、革命的知識分子になると。
彼は最後につぎのように述べた。中国革命を、農民は指導できない、民族資産階級も指導できない、知識分子もまた指導できない、その指導責任はただ無産階級にあると。
彼の講義は2日に及んだ。著名な学者嵇文甫は鄧子恢の報告を聞いた後、次のように述べた。「私は長い間教えてきて、今日、鄧先生のこのように立派な講義を伺い、敬意を払い心服し(心悅誠服)感じるところこのうえありません。(お話しには)難解で理解しがたい述語や名詞はないのに、学術性、現実性があふれています。」
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