均(ひと)しからざるを患(うれ)う 杜潤生「公平重視への転換」2006/08
《改兼顧公平爲重視公平(2006年8月15日)》載《杜潤生文集(1908-2008)》山西經濟出版社2008年,pp.1448-1449 (《改兼顧公平爲重視公平》載《杜潤生改革論集》中國發展出版社,2008,pp.187-188から底本を変更するとともに訳文を改めた。2020年6月28日)這是作者在中國市場經濟論壇上的講話要點。(写真は緑に覆われる成城大学にて。正面奥に大学図書館)
なお以下にでてくる、不患寡而患不均は、『論語李氏篇第十六』に出てくる言葉。論語は君主と臣下との身分関係を説いていると批判されるが、半面、君主というか施政者の心得も説いている。それを典型的に示すのがこの言葉である。なお論語の文章は分配が等しくあれば、貧しくはなく、安らかであると続く。論語の該当部分の解釈を最初に示します。
丘也聞有國有家者,不患寡而患不均,不患貧而患不安。蓋均無貧,和無寡,安無傾。私が聞くところでは国と家を有するものは、寡(すく)ないこと(物の不足)を患(うれ)えず均(ひと)しくないことを患(うれ)い、貧しいことを患(うれ)えず安らかでないことを患(うれ)える。均しくあれば貧しくはなく、安らかであれば傾く恐れもない。
不患寡而患不均 bu4huan4gua3er2huan4bu4jun1
不患貧而患不安 bu4huan4pin2er2huan4bu4an1
寡:少。人の数が少ないという限定した解釈もありうるが、私は缺少(物の数量が不足していること)の意味と解釈している。
患:憂慮。
均:相等。直後に「貧」の字がでることから貧富の差が小さいことを指していると考えられる。
傾:傾國,傾家。
杜潤生はこの論語の言葉を引いて、公平を強調しているが、出発には、機会の均等とプロセスにおける平等を置いている。
しかし90年代以降の発展の結果として、弱いグループへのケア=照顧が必要となってきたとしている。三農問題(三農とは農村、農業、農民の3つの問題を指す。その内容は、農村における公共サービスの不足、農業の低収益性、農民の相対的・絶対的貧困。これらは絡みあっている。)解決への着手が必要だとしている。
逆に最初から分配を平均主義にすると、フリーライダー(搭便車 ヒッチハイクの意味もある 訳注)、仕事をさぼる人(磨洋工 緊張もなくただ時間をつぶしている意味から 訳注)を招くという指摘も行われている。しかし、それだけではだめだと論語を引いて主張している。以下が杜潤生の言葉の翻訳である。(訳者)
p.1448 発展は争う余地のない道理である
まずケーキを大きくすることで、分けて食べるケーキの量が保証される。必ず気持ちを集中して(一心一意)発展を求め、経済発展方式を(状況に合わせて)変化させつつ、効果と利益を追求して、まず一人当たりGDP3000米ドルの目標を実現する。
発展は不断に持続する過程であり、公平の分配は、公平に始め、過程は公平、その結果は公平な差別である(杜潤生はここで出発点で、初めが公平であり、過程が公平であれば、その結果は公平だと言っている。初めの公平の意味が機会の公平に意味であることは、次のパラグラフ冒頭にある。訳注)
機会の均等が最初の公平の表現である。それは結果の公平を保証する(決定)。また激励の役割も認められる。教育工作を強力に進め(抓好)、公民の素質を高め,社会事業に自覚的に参与することが、収入につながる。
公平分配は、永遠の主題
古代(中国では19世紀半ば以前を指す)にも「少ないことを憂うのではなく、等しくないことを憂う(不患寡而患不均)」という言い方があった。農民は造反し、多くが公平の旗印を高く掲げた。生産活動は生産領域で相互発生的関係という社会行為であるが、
p.1449 分配問題でもある。
マルクス主義は考えた。分配の公平公正には、まず階級搾取を排除する必要がある。社会主義制度のもと、労働に従った分配では、多く働いたものが多くを得る、これは発展効率を促進する。半面、多く働いても少なく働いても同じとすると、フリーライダー(搭便車)、仕事をさぼる人(磨洋工)を招いてしまう。1950年代農業は労働日、労働点数制(工分制 労働の報酬を決めるにあたってどれだけの労働をしたかを点数で数値化しようとしたものだが、形式主義も排除できず労働の質や困難度などの評価で不満を残す結果になったとされている。訳注)を実施したが、毛沢東がこれは面倒な哲学だと批判し、一度使用が停止された。そこから平均主義が促され(激發了),生産危機を伴い、「三年困難」を深刻にした。分配の公平と、平均主義とは別のことである(兩回事)。実際上、(資本主義から社会主義への 訳者挿入)過渡の困難は公平の困難だといえる。(分配の)平均主義という誤った認識(誤區)から、統一購入統一消費を実行し、票証によって食品や不足する製品を分配することで、社会の安定を保持したのである。
90年代市場経済が導入され、効率優先と併せて
公平に配慮することが(兼顧公平)が提起された
一部の人が先に裕福になることを許すことが提起された。先に富んだ者が後から富む者を伴い共同富裕に歩む。これを実際の制度と符合させるように手配するのだが、市場経済は競争経済であり、優勝劣敗の法則は両極分化と都市と農村の格差を不断に拡大した。この新たな情況に対して、中央は多方面の決定を行って、弱いグループ(弱勢群體)を重点的に配慮している(照顧)。とくに三農の困難な状況の解決に着手して、科学発展観を用いて統一計画で全体を発展させ、社会主義新農村の建設を強調し、大きな資金を投入した。マクロ調節を通じて、収益分配をより完全にし、投資と消費を平衡させ、政府は職能を転変させ、壟断は放棄し腐敗は取り除き、億人の仕事問題の解決に着手した。踏み出した新たな一歩は、分配公平を調整である。
以上述べたことに加えて(鑒於),効率優先と併せて公平に配慮すること(兼顧)を改め、効率優先するとともに、公平を重視することを建議する。
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