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鄧力群 人権侵害と劉少奇 1962

 鄧力群《我為少奇同志説些話》當代中國出版社2016年より。1962年6月28日の日付けがある。なお本書は1998年に劉少奇同志生誕100周年を記念して、当代中国出版社から出版されたものの再版。再版にあたり、中央文献研究室の審査決定を受けたとある(写真は国営昭和記念公園)。
   鄧力群(1915-2015)は劉少奇(1898-1969)の秘書を務めた人物。その人物による、劉少奇についての発言についての記述である。内容としてもたとえば「文化大革命」では紅衛兵の組織などにより、拘束や人権侵害が横行したことを考えると、ここで述べられている、様々な組織が、それぞれ勝手に司法権を行使して、自身の組織に属する人を拘束したり、処罰する行為を阻止しようとした、劉少奇の発言は注目される。
   この文書の日付けは劉少奇《政法工作和正確處理人民内部的矛盾》(1962年5月23日)載《劉少奇選集》人民出版社1985年pp.450-452と対応している。またこの問題については鄧力群《鄧力群自述》人民出版社2015年pp.409-430がさらに詳述している。なお最後の1行は後日加えられたものに思える。

p.132 
 レーニンはソビエト司法(法院、つまり裁判所)の二つの方面の任務についても語ったことがある。まずは搾取者を圧迫するものであり、つぎに労働者を教育し法律を自覚して守らせるものである。後ろの任務は前の任務より重要である(更重要)。
   我々は1954年に制定した国家憲法そして法院組織法によりこの両方面の任務を規定した。
 それゆえ、三つの機関(人民法院、検察院、公安機関のこと 公安とは日本でいう警察)は独裁機関(専制機関)だとの流布している(流行)言い方は一面的である。この種の概念上(観念上)の曖昧さ(不清)は、仕事の上で混乱と良くない結果を引き起こす。少奇同志は言う、この数年、攻撃(打撃)面を緩和したのは事実だ。(訳者補語 緩和したのは以下のようなことがあったからだ。)労働教養(訳注 法や規律を犯した者に労働を強制してp.132   政治教育をして労働と法を教育することを指す)は本来人民内部の問題を処理するものだが、結果として敵と味方の問題を処理するのと同じやり方(辦法)が用いられた。行政拘留は本来厳格に期限をつけるものだが、結果として長期勾留となり、法によらないやり方になった。行政拘留、集団訓練、労働教養は逮捕と変わらないものになった。単位によっては、自分(の判断 訳者補語)で拘留、労働改造を行っているが、これは法律に反しており(非法)許されないことだ。このほか、党の責任者のあるものは、気ままに人を捕まえることを指示しており(随意批准捕人)、公安局、検察院といったものを根本的に無視している(根本不要)。甚だしくは公社、工場、現場(工地)がまた気ままに人を捕まえている。このような法を破る行為は、まず断固制止せねばならない。少奇同志のこの批判は完全に正しい(完全正確的)。

p.138
3.  党派、政府、軍隊、機関、団体、工場、公社、学校の成員が、各その方面の規律に違反したとき、思想教育を進めると同時に規則(規律)により処分をすべきである。党員の最高の規律処分は党籍解除であり、党委員会は党員の懲役(坐牢)を決定できない。所属成員に「隔離反省」を実行することは拘留であり、
p.139
公安機関に申請し、人民検察院の批准を経て行うことであり、機関、党委員会はすべてこれを用いる(採用する)権利はない。党委員会がもし(このような 訳者補語)越権行動をするなら、それは党章規定違反である。
4. 人民群衆中の紛糾、盗みやスリ、愛人問題(通奸)などは調停(調解)委員会の解決によること。
5.  人民群衆の軽微な違法は、法院の処理による。
6.  刑律を犯した者は、ただ3つの機関により国家法律に照らして処理できる。いかなるほかの機関も刑罰を判定する権限を有さない。法律制裁を執行する権利がある人が、法律に従って処理する。権利のないものがこの仕事(工作)を進めることは許されない。このことが数年乱れていた。

p.142
   無産階級独裁(専制)は、党の独裁ではないし、党の指導を党の独裁に変質(変成)させ得ない。我々の党は執政党であり、無産階級と全労働人民を代表して執政し、国家大事を指導処理し、人民の意思と利益を実現する。共産党執政は共産党指導内的事情である(訳注 執政は指導が必要とするもの、という意味か。)党もまた法律の範囲で事を行い、法律の約束に縛られる。もし党の指導が党の独裁に変質するなら、幾つかの良くない結果が出現するだろう。1.ある省委員会の書記のように、指導者の独裁に変質する。2.党が大衆(群衆)の声を聴かなくなる。3.大衆は党の仕事を議論できなくなる。これは必ず大衆からの脱離をもたらし、事態は悪化してゆく(走向反面)。
   それは正に私が少奇同志の講話の聞いて以後の経験であった。
                        (1962年6月28日)
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