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張卓元 薛暮橋回顧録を読む(1) 1996

張卓元 對社會主義客觀規律的成功探索 經濟研究1996年第11期 55-59 
p.55  1996年の国慶節。私は逸(はや)る気持ちで(以先睹为快的心情)35万字の薛暮橋回顧(回憶)錄を読みとおした。書中に、一人の社会責任感のとても強い経済学者を見ることができた。彼は、60余年の仕事と研究実践において刻苦して深く研究し(刻苦鑽研)、社会主義の客観経済規律の探索に努力し、相当に成功したと人々に思わせる足跡を残した。
 薛暮橋同志は建国以後現在まででわが国でもっとも有名な経済学者であり、中国社会主義経済学の開拓者であり、基礎を築いた人(奠基人)である。50年代に私が研究所に入った後、私の知るところでは、暮橋同志はずっと中青年研究人員が仰ぎ見て尊敬を払う老先輩であった。彼はわが国経済学界の「最大の権威(頭號權威)」だった。彼の文章、観点、社会影響は大きく、常常経済学界論壇の主流を支配し続け、教育訓練(培養)をしてまるまる一世代の中国の経済学者を作り出した。
 1950年代から1960年代、薛暮橋、孫冶方,于光遠,駱耕漠などの同志は中国でもっとも有名でもっとも影響力のある経済学者だった。暮橋同志は経済理論工作者であるだけでなく、国家総合経済部門の指導者であり、彼の書く文章は、すべてが現実の生活の切迫した問題を反映しており、理論と実際との関係はとっても緊密であり、経済理論界そして実際経済工作者の中間で大きな影響を生み出していた。中国経済学界のいくつかの重大問題討論は、少なからず暮橋同志が書いた文章が引き起こしたものである。たとえば、中国経済学界建国後最初の重大問題討論は社会経済の中での価値規律作用問題の展開であったが、これは1956年10月28日に薛暮橋同志が『人民日報』に発表した「計画経済と価値規律」そして1957年第2期の『経済研究』に発表された「計画経済と価値規律再論」、この2編の文章が引き起こしたものだった。1959年4月に上海で挙行された第一次全国経済理論討論会で、暮橋同志が提供した「社会主義制度下の商品生産と価値規律」の一文は(のちに『紅旗』1959年第10期に発表)影響の大きな(重頭)文章である。暮橋同志はこの文章の力量はここに示され(力量在於)実際から出発し当時存在した各種の交換関係、これらの異なる交換関係中の価値規律の作用を具体的に分析、その後理論のとりまとめ(概括)を行っている。
 さらに指摘されるべきなのは、50年代中ごろから文化大革命の直前まで、薛暮橋、孫冶方,于光遠の三人は経済理論二週座談会を発起組織して、当時の重大で緊迫した経済問題を討論し、この座談会を通して、当時の全国経済学論壇に対して影響を与えたことである。当時議論されたのは、社会主義商品生産問題、社会主義経済の中での価値規律作用問題、労働に従った分配と生産に応じた工賃問題、社会主義経済の高速度と比例の関係問題、社会主義経済会計(核算)と経済効果問題、社会主義価格形成問題などで、すべては二週座談会上で検討された後、全国の経済学論壇に拡大された。この問題が『薛暮橋回顧録』では十分述べられていないのは残念だ。
 文革以後、暮橋同志はすでに古希(数えで70歳)の年に入っていたが、90年代の初めまでなお元気であり、わが国経済理論戦線の前線に立ち続け、かつ自身の最大の努力を尽くして、党と政府が市場志向の改革をするのに有力な理論支持を提供した。誰もがなお覚えているのは、早くも1980年夏、暮橋同志が当時国務院経済体制改革事務室顧問を務めていたとき、わが国市場志向改革の最初の綱領性草案「経済体制改革についての初歩意見」に積極的に参与起草したこと、起草小組を代表して全国省市区第一書記会議において、説明を行い二つの有名な論点を提起したこと。我が国の現段階社会主義経済は、生産手段公有制が優勢を占めるが、多種類の経済成分が併存する商品経済である。改革の原則と方向は、生産資料公有制が堅持されそれが優勢である条件のもとで、商品経済を発展させる要求に応じて、価値規律を自覚的に運用し、単一の(融通の利かない)計画調節をあらため、計画指導のもと市場の調節作用を充分発揮させることである。この観点は1984年10月党の十二届三中全会が社会主義商品経済論を確認するより4年余り早い。
 1980年8月から1985年5月まで、暮橋同志は国務院経済研究センターの総幹事を務めた。この期間、暮橋同志はわが国経済理論界の中心といってよかったし、わが国経済学界を率い指導し、政府のために国民経済を調整し、改革開放を推進し、現実経済生活中の突出矛盾を解決した。出謀劃策。社会主義現代化建設において経済学界は積極作用を発揮することができた。経済学者が中南海に入ること、人々がわが国経済学界を賞賛したところである。経済学者を率いて中南海に入ったのは、まさに暮橋同志である。
 1985年5月、暮橋同志はすでに81歳の高齢であった。年齢のゆえに国務院系座愛研究センターの総幹事を再度担任せず、名誉総幹事(主任)に任ぜられた。しかし暮橋同志はなお心身とも壮健であり。90年代初めに至るまでなお文章を書いて、党と政府のために自身の研究成果を提出し、わが国の経済科学の繁栄と発展に努力した。ここでは簡単に二つの点を述べる。一つは、通貨膨張に反対する観点を堅持したことである。彼は1987年1988年に社会経済生活に出現した危険な情況(險情)に対して、文章を書き、意見を提出した。通貨膨張を制止し、貨幣流通量を統制するべきだと、このためには3年間基礎建設投資を圧縮し、工業の成長速度を下げ価格改革と経済体制改革に良い環境を創造するべきだと。残念なことに暮橋同志のこの正確な主張は、中央工作の席にあった同志に受け入れられなかった。1988年の夏に出現した市場で争って品物を買い(搶購)と銀行預金の一斉引き出し(擠兌)の嵐(浪潮)のあと、ようやく通貨膨張を抑えることと、経済秩序を整頓する方針が(事態に)迫られて実施された。もう一つは市場志向の改革理論を堅持し、改革の全面推進を主張したことである。1989年の六四以後、それほど改革に賛成でない人は、文章を書き、報告をして、改革は失敗だった(搞糟了)うまくゆかなかった(搞壞了)と批判し,はっきりと市場志向の改革に反対した。社会に出現した、改革を逆転する思想傾向に対し、暮橋同志は今一度改革の弁護に立ちあがり、商品経済理論と市場志向改革とを堅持した。彼が1990年に書いて『中国社会科学』1991年第一期に発表した「社会主義経済の若干の理論問題について」と題された文章は、社会と経済学界に強烈な影響を与えた。(この)文章は我が国の現今の社会主義経済はただ一種の商品経済でありうること、(そして)伝統的計画経済体制は必ず固く改革されねばならない、と指摘(指出)している。社会主義商品経済のなかで、国民経済のマクロ的に計画管理を調節統制する必要があるが、しかしミクロ経済活動は必ず広範な市場調節を通して行われねばならない。社会主義商品経済の新秩序を建設するには、バランスのとれた、障害のなく公平な商品交換市場が建設されねばならず、あらゆる企業はすべて等しい条件で自由競争が行えるのでなければならない。などなどと指摘している。これはおそらく暮橋同志が自ら執筆した長編経済論文の最後の一つであり、自己の社会主義経済理論の探索について系統的に述べたもので、総括的かつ概括的な文章である。当時ある人が、暮橋同志のこの文章を指導思想として、新たな社会主義政治経済学を書くことを建言されたのも、もっともである。

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