李維漢 1962/64年の批判に反論する
李維漢 回憶與研究 中共黨史出版社 pp.684-695より 民主党派の扱いをみると、李維漢の主張は、共産党による民主党派の指導が中心で民主党派の主体性をあまり議論していないように見える。ただ1980年の宗教に関する提言は、宗教についてかなり寛容で、信仰の自由をかなり明確に説いている。
社会主義統一戦線について pp.684-686
p.684 1962年と1964年の二度の批判では、社会主義統一戦線の提起の仕方が階級矛盾を抹殺 階級闘争を取り消すもので階級闘争消滅論であり投降主義だとされた。この種の批判は実際には符合せず、誤りである。第一に当時社会主義統一戦線論じたのは、統一戦線の性質問題、すなわち統一戦線の中の労働者階級と資産階級を論じたのであり、統一戦線内部の階級矛盾や階級闘争の有無を論じたのではなく、この二つの問題は関係はあるが区別もあり、混ぜて一口に話すことはできない。第二に当時話していた社会主義統一戦線では、社会主義制度が基本建設されたあとの社会主義統一戦線の性質を議論している。この歴史時期において、社会上も統一戦線内部においても、階級矛盾と階級闘争は依然存在している。しかしそれはもはや主要矛盾ではない。これまでの批判で、階級矛盾を全社会主義歴史段階を通じての主要矛盾としたり、民族資産階級の消滅をはるか無限のかなたとしたが、これはマルクス・レーニン主義の基本原理に反しており、毛沢東思想科学体系の基本観点にも反している。・・・
社会主義政党について pp.686-687
p.687 過去の批判においてある同志は私が民主党派をして「中央から基層までの各組織で、強固な社会主義指導核心を 建設する」ことを提案し、民主党派を社会主義事業の指導核心とすべきと、説いたとした。これは完全に一種の誤解である。私の話はとても明らかであって、第一に民主党派内部に社会主義指導核心を建設することを話したのであり、民主党派をわが国社会主義事業の指導核心にせよとは言っていない。第二にこの指導核心は民主党派内の共産党員と党員でない進歩分子から構成されるが、民主党派内の資産階級代表人物は含まない。第三にこのような指導核心を社会主義的指導核心と称するのは、この指導核心の社会主義性を指している。明らかに、このように言うことは、民主党派の国家と社会主義事業における地位や作用の問題に影響するものではない。
社会主義宗教に関してp.689, 693
p.689 私は1962年に民族工作会議において宗教は社会主義に貢献(服務)できると話したことがある。この言い方の含意は、はっきり(不夠)明らかである。党の方針政策指導のもと、宗教界人士、宗教工作が社会主義服務をすることができ、まったく問題がない。宗教とその教義は唯心主義意識形態の産物で、唯物論であるマルクスレーニン主義とは根本的に対立する。過去において私が「社会主義宗教」を語ったという批判は、事実ではない。私は「社会主義宗教」の主張を提出したことはない。
私の宗教問題に対する基本理論観点と政策観点については、かつて1980年12月19日中央統一戦線部部務会議での書面発言で簡単にまとめた。主要点は以下のとおり。(1)宗教の根源は自然の暴力(圧力)そして社会の暴力に対して無知と無能が生み出す力である。(2)宗教信仰は歴史の産物で、歴史の中で生まれ発展消滅する。その発生の根源からすると、それは根源が消滅すると自然に消滅する。菩薩は人民自ら作り出したもので、ただ人民自身が捨て去る(丟掉)できる。行政はただ宗教感情を助長するだけで、宗教を消滅させることはできない。(3) 宗教は一つの(一定的)社会生活であり、しかるべき活動場所が必要である。(4)宗教には、群衆性、民族性、国際性、複雑性、長期性という5つの性格がある。(5)宗教は歴史の中ではかつて圧迫された人民が団結奮闘する紐帯 旗幟だった。これは安易に否定できない。(6)宗教矛盾は民主改革と所有制改造の完成後、次第に労働人民間の信仰不信仰の矛盾となる。(7)宗教信仰の自由、改革自由の政策を実行する。子女信仰宗教の放置(包辦)を批判する。宗教信仰自由の旗幟は我々の手にある。(8)政教分離を実行する、宗教と教育は分離する。(9)和平改革方法で、宗教制度を改革、封建的搾取や特権を排除する。(10)党内では無神論の教育を進め、信徒の群衆のなかでは少しずつ科学普及教育を進める。(11)宗教界人士の団結、教育、改造を行い、反革命は鎮圧粛清する。(12)共産主義思想の(紅色の)神職人員を育てる(培養)。政治的に我々に近く宗教学識に富んだ学者を育てる。(13)宗教は科学ではない。しかし宗教問題は科学研究の一分野とすべきである。
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