張聞天 社会主義内部の矛盾 1964/01
《張聞天社会主義論稿》中共党史出版社2010年pp.240-241 「社会主義政治経済学筆記本」より(1964年1月31日)(写真は占春園にて)
p.240 社会主義社会内部における多くの矛盾(工農矛盾など)は、資本主義(に向かう)趨勢としてはただ可能性としてのみ存在する。矛盾それ自身は、資本主義と社会主義の間の矛盾ではなく、かつ社会主義内部の矛盾(全民所有と集体所有の矛盾)である。ただしもし(矛盾を解決する)方法が不正確だと、資本主義傾向を生み出す可能性がある。たとえば個人私有制は小生産者の残余であるが、しかしそれは社会主義経済の補充部分であり、小生産階級と同じではない。われわれが反対すべきなのは、このような残余ではなく、この種の残余の一面(片面)が資本主義傾向の発展を強めることに対してである。例えば労働に応じた分配は、もしも分配上の差異(差別)を過度に拡大するときには、非資本主義的分配原則であるというにとどまらず、資本主義の腐食作用を発展させうるものである。
社会主義の矛盾は不断に解決が必要であり、最終的解決には社会主義が達成されたそのあとに至るものである。この種の矛盾は、社会主義にとって必要であり必然的でもある。
社会主義は成熟していない共産主義であるため、資本主義社会の残余を伴っている、それゆえ社会主義内部矛盾の解決が適切でないときには、資本主義復活(復辟)の可能性がある。しかし正確な路線により社会主義内部の矛盾を解決するなら、資本主義発展の可能性は現実になることはできない。
思想の誤りは、あるものは資産階級思想の影響であり、あるものは思想方p.241 法の誤りである。この二つのものは関係があるが、混ぜて議論することはできない。(推論するに、共産主義社会内部でも階級矛盾を反映しない思想矛盾は、なお存在する。毛主席も言っているにように、唯心主義と唯物主義の間の闘争はなおあるであろう。進歩と落後の間の闘争もまたあるであろう。)正確に解決が必要である。資本主義的思想観点に反対することが必要であり、同時に誤った思想認識と思想方法に反対する必要がある。この二つは共同的であるが、同一ではない。それゆえに、闘争的教育的任務があり、同時に学習的実践的任務がある。有益な言論(香花)と毒草を区別するには、一定の思想認識水準が必要である。
社会主義社会の階級はすでに元の階級ではない。階級は消滅を始めているが、なお階級差別はある。それゆえ階級はなお完全に消滅はできない。
工農身分の者に付着した資産階級思想との闘争、これは階級闘争である。というのはこれは資産階級思想の残余、影響に反対するものだからである。しかしこれはまた、階級闘争ではない。というのは対象が労働者と農民であって、資産階級ではないからである!
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