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張聞天 当面の主要矛盾は何か 1961/08

《張問天社會主義論稿  修訂版》中共黨史出版社2010年, pp.149-151 張聞天の「社会主義政治経済学筆記本」から。要するにノートにメモ書きとして残された記述である。だからこそ残された本音である。ここまで問題の所在が、はっきりと理解されていたことが分かる(1961年8月15日―17日)。(写真は澤蔵司稲荷慈眼院にある異様な石造である。仏師を示すようにも思えるが正体不明である。像の左側の碑文も判読困難だが、寛文と書いてあるようにも思える。だとすれば1661-73年のもの)

p.149   一
 社会主義と資本主義の矛盾は思想意識の上でなお長期存在する。しかし今日思想意識の上の主要矛盾は、実際に対して思想が遅れているかあるいは進み過ぎているか否かにある(是否在于思想落後或趙越于實際)。当然この種の矛盾は階級の烙印を帯びているが、主要な問題は客観規律を正確に認識できないことにある。生産関係方面において、社会主義と資本主義の矛盾はなおまだ多少存在するが、主要な地位は占めていない。この方面の基本矛盾は、生産力の発展不足にあり、日増しに増加する社会と個人の需要を満足させられないことにあると言えるかどうか(能否說)。
    社会主義の基本矛盾、基本規律、その本質は当然新しいものである。不断に発展する生産と、不断に高まる需要の間の矛盾と統一である。基本は統一であるが(生産が需要を満足させている)、しかし矛盾もある(生産が需要p.150   を満足させられない)。この種の矛盾統一は、生産力と生産関係の矛盾統一の表現形式である。

    二
 ソ連の新経済政策の時期、すなわち社会主義建設初期、当時の社会の基本矛盾は、誰が誰に戦勝するか、資産階級と無産階級二つの階級の、(また)資本主義と社会主義二つの道(道路)の闘争であった。集団農場の勝利に至るのを待って、スターリン憲法(1936年12月6日第八次臨時ソビエト代表大会で可決されたソビエト社会主義共和国連盟憲法のこと 訳者)が公布され、社会主義建設と私人資本主義消滅が宣告され、誰が誰に戦勝するか問題、二つの道問題は基本的に解決された。以後の問題は、もはや誰が誰に勝つか(問題)、(あるいは)二つの階級、二つの道の闘争問題ではなく、不断に発展する生産で人民需要を満足させる問題になったのである。
 わが国の情況は、一九四九年から一九五七年の間、社会の基本矛盾は二つの道の闘争であった。しかし一九五八年の後は、このように言うことはできなくなった。資産階級思想の残余との闘争は長期的であるが、今後、二つの階級、二つの道の闘争がなお社会主義の基本矛盾ということはできない。

    三
 社会主義の本質であるモノ、基本矛盾を、共産主義の要素と旧社会の残余の矛盾に帰結させ、三つの差異(差別)、所有制の差異、労働報酬の差異、全てを旧社会の残余、資本主義の残余だとするのは不正確である。この種の差異と旧社会の差異は、根本的性質において同じではない。これは資本主義の残余ではなく、これは社会主義生産関係の特徴である。この差異を改めねばならないこと(社会主義から共産主義に近づけること 訳者)は、この差異と「闘争」することはできず、
p.151   この差異を利用して、生産を発展させ、最後にはこの差異を消滅することである。

   四
 社会主義の基本矛盾を、二つの階級(資産階級と無産階級)そして二つの道の矛盾としてしまい、社会主義の発展過程において、この矛盾が常に一貫して存在するとすること、これは階級矛盾と闘争を拡大化するものではないか?社会主義建設問題上の様々な異なる意見、これをすべて二つの階級、二つの道の闘争と見ること、これは当然、帽子をみだりにかぶらせることになり、闘争を無原則に(任意)拡大した。雙百方針(百花斉放と同義、1956年中国共産党は国民に自由に意見を具申すること:百花斉放を求めたが、その直後に言論を取りしまる反右派運動に転じた。)は当然実現できなかった。

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