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勝鬨橋(かちどきばし)
東京であえて見に行くに値する橋として、隅田川にかかる「勝鬨橋」を上げたい。可動橋movable bridgeの一種の跳開橋bascule bridgeの典型例であり、重要文化財(平成19年2007年に永代橋、清洲橋とともに指定)。
重要文化財として同時に指定された、永代橋(大正15年1926年竣工 全長185m)、清洲橋(昭和3年1928年竣工 全長186m)が、関東大震災(大正12年1923年)で焼け落ちた橋の再建の意味があり、また、友好国ドイツのライン川にかかるルーデンドルフ橋(レマゲン橋)、ヒンデンブルグ橋(ケルン市)をそれぞれモデルにしているのに、こちらは皇紀2600年(昭和15年 西暦1940年)を記念して月島で開催予定だった「日本万国博覧会」と、都心とを結ぶために建設されたもの。着工は昭和8年6月1933年、竣工は昭和15年6月1940年。第二次大戦に突入する直前の日本で、国威発揚を兼ねて国産技術を結集して設計・建設されたもの。全長246m, 幅22mの下路式アーチ橋arch bridgeである(聖橋の形は上路式アーチ橋。一般に橋は長くなると吊り橋suspension bridgeとなるが、勝鬨橋は、全長246mあるが、2つのアーチ橋を跳開可能部分でつなぐ構造となっている。)。
なお博覧会自体は、日中戦争の激化、軍部の反対などから中止されたとされている。博覧会場に向かう通路として設計されたからだと思えるが形状は大変優美である。不思議に思えるのは、この橋が第二次大戦中の空襲の標的にならず、無傷で空襲を生き延びたことである(この点で興味深いのは、日本がお手本にしたドイツの橋はアメリカ軍の侵攻を食い止めるためドイツ軍自身によって破壊されたり破壊されようとしたことである。ヒンデンブルグ橋は1945年3月15日にドイツ軍により破壊され、またルーデンドルフ橋も繰り返し破壊が試みられたあと、同3月17日にほぼ破壊されている)。また勝鬨橋は跳開橋の典型例に分類されており、技術的に跳開は可能とされているが、陸上交通の増加から跳開されることは今後もなさそうだ。
アクセス 都営地下鉄大江戸線勝どき下車徒歩5分。
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