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于光遠「段階論争を経て社会主義初級段階へ」1979/1982/2010

(『于光遠経済文選』中国時代経済出版社 2010に収められた未発表原稿。pp.240-250  執筆時期は不明。)

p.240 1979年2月に行われた理論工作検討会(務虛會)の分会において、蘇紹智と馮藍瑞が行った「無産階級が政権を取得した後の社会発展段階(階段)問題」という題での共同発言(以下蘇、馮の文章あるいは『段階』の一文と略称する)は参会者の好評を広く獲得し、整理したのちに『経済研究』1979年第5期上に発表された。これは大きな反響(極めて高い波(軒然大波))を引き起こしただけでなく、「社会主義初級段階」というこの提起の仕方(提法)を最終的に確立した。以下に述べるのは、この歴史情況についての私の理解である。
 読者の理解の便のため、蘇、馮の文章の基本観点、私はここでこの文章を簡単に紹介しよう。
    この文章は3つの部分に分かれている。前言と第一の部分はマルクスの『ゴータ綱領批判』とレーニンの中に書かれている「資本主義と共産主義の間」あの「過渡時期」の時の「共産主義」はつまるところ「共産主義の高級段階かあるいは共産主義の第一段階」のいずれであるかを論じ、著者(作者)は後者(共産主義の第一段階)であって前者(共産主義の高級段階)ではないと考えている。文章の第二の部分で著者はこの過渡時期はさらにいくつかの段階に分けられるべきか否かと提起(提出)している。この部分の中で、現在の中国がどの段階に属するかについての、反響(波)を引きおこす言論を発表した。文章の第三の部分は、彼らの見解によれば、生産手段(資料)の所有制についての社会主義改造のあと、中国がなお「不発達の社会主義段階」にあることを承認する必要であると論述している。

1. 胡喬木,鄧力群が『段階』に対し批判 の一文を手配する(布置)
p.241  かれらの文章が発表されたあと、6月11日、胡喬木は社会科学院大楼において、于光遠同志の秘書と出会い、彼女に少し話した。大意は、蘇、馮の文章の提出は重大問題である。中国の現段階は社会主義社会ではなく、過渡時期だと言っている。この観点を彼らは理論検討会で話している。しかし公開発表となると、問題は(検討会に)比べて重大(厳重)だ。最近、耀邦と私はともに一部の読者から手紙をもらったが、この種の言い方(提法)に反対している。私自身もこの観点には断固同意できない。

2. 中央宣伝部三次会議での『段階』一文の討論情況
p.242 7月6日金曜日、党の中央秘書長兼宣伝部部長胡耀邦の主催。参加者は中央宣伝部の5人の正副部長のほか、首都思想理論宣伝戦線各部門の責任者。今回の会議の主要討論(対象)は、国慶節30周年記念大会における葉劍英の講話の宣伝提綱である。

3.鄧力群、胡喬木は再び批判を手配し、反批判を許さない
p.243 7月10日前後、鄧力群は科学院で経済研究所の責任者会議を招集した。散会後、党員と何人かの経済研究所責任者を引き留め、再び『段階』批判の文章を書くことを手配し、再度反批判を許さないと説明した。その場で孫冶方は異議を提出し、このようなやり方は「文化大革命」時と同じではないか?といった。鄧力群は、これは中央の決定であり、党員は規律を守らなければならないといった。

p.245 その後(接着)胡喬木はこの問題にますます高圧的になり、「建国以来党的若干歴史問題決議」の主要起草者であることを利用して、蘇、馮の観点はわが国が社会主義社会の代表であることを認めないものであり、この歴史のなかにとどめるわけにゆかないとした。私はまたこの決議起草に参加しており、1981年4‐5月の間、決議稿の間にこのような話があったので、私はとくに胡喬木探し出して、彼にいった。あなたがそのようにするのはまったく間違っている(非常不対)。この会話では、私はとても怒っていたので、表現はとても激しかった。私は彼に言った。「君は少なくともわが国の社会主義社会がなお初級段階にあることは認めなければならない」。私は私の意見をますます高い大声でいい、興奮して机をたたいた。わたしの強烈な抗議によって、彼は実際字を変える理由もなく、決議中に「社会主義初級段階」という言い方(提法)を加えるほかなかったのである。

p.246 1982年の十二大会後、党の社会主義理解には大きな進歩があった。
 1984年6月鄧小平は第二回中日民間人士会議日本側委員会代表団との会見でとても重要な談話を発表した。談話の一部分はのちに整理されて『中国特色のある社会主義を建設せよ』となった。私と日本の大来はこの中日民間人士会議経済組の招集人であり、鄧小平があの談話を発表したとき、幸運にも同席した。この談話の中で鄧小平は語った。「社会主義とは何か? マルクス主義とは何か? 我々はこの問題についてこれまで完全に明確(清醒)ではなかった。」この談話の中で鄧小平は、「社会主義段階のもっとも根本的な任務は生産力を発展させることだ」と強調した。(また)「社会主義は貧困(貧窮)を消滅させねばならず、貧困は社会主義ではないし、まして共産主義ではない」と強調した。四ケ月後、十二届三中全会は『中共中央の経済体制改革に関する決定』を発表した。決定の中で「様々な経済形式を積極的に発展させる」問題が提起(提出)され、「個人(個体)経済は社会主義経済の必要かつ有益な補充である」「都市と農村の集団(集体)経済と個人経済とが発展の障碍が除去され、条件が創造される必要がある」指摘された。ただまだ私人経済をあえて提起はしてない。さらに「これは決して建国初期の社会主義公有制いまだ存在しない都市でも農村でも新民主主義経済が絶対優勢だったところに戻るということではない」としている。

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