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Ronald H. Coase 1910-2013 (1)

ロナルド・H・コース By David R. Henderson
Cited from Econlib. org

Ronald Coaseは1991年に「経済の制度的構造と機能にとっての、取引費用と所有権の重要性の発見と明確化という貢献に対して」ノーベル(経済学)賞を受けた。Coaseは20世紀における普通とは異なる経済学者であるが、ノーベル賞獲得者としては高度に普通ではない。第一に彼が書いたものはわずかsparseである。60年間のキャリアの中で、彼は僅かに約1ダースの重要な論文を書いた。そして重要でない論文はほとんどない。第二に彼は殆どあるいは全く数学を使わず、彼が「黒板経済学」と呼ぶものを軽蔑して拒否している。にもかかわらず、経済学に与えたその衝撃は大きかった。その衝撃はほとんどすべて2本の論文、一つは27歳の時、もう一つは(それから)23年後に、それぞれ発表された論文に始まっている。
 Coaseは最初の論文企業の本質の構想を、大学院生であったとき、彼が生まれ育った英国から米国への旅行中に温めた。そのとき彼は社会主義者で、古くからの社会主義政党に大統領候補Norman Thomasを訪ねている。彼はまた、FordとGeneral Motorsを訪ねて疑問をもった。なぜ経済学者たちは、合衆国において幾つかの巨大企業はとてもうまく運営されているように思えるときに、レーニンがロシア経済を一つの大企業のように運営できると誤って考えていると言えるのか。自身の疑問に答えて、コースはなぜ企業が存在するのかについて、基本的な考察を行った。彼は書いた―企業は中央で計画される経済と似ている、しかしそれとは異なり人々の自発的選択により形成されている。なぜ人々はこれらの選択を行うのか。コースは「市場取引コストmarketing cost」だと答えを書いた(現在では「取引費用」という用語を経済学者は使っている)。もし市場を使う費用がタダcotslessなら、企業は存在しない。その代わり人々は、手の届く範囲arm-lengthで取引するだろう。しかし市場を使うには費用がかかるのでcostly、もっとも効率的な生産過程はしばしば企業内に生ずる。Coaseの企業はなぜ存在するのかの説明は受け入れられ、この問題についての文献を(大量に)生み出した。Coaseの論文「企業の本質」は、1966年から1980年の間に学術雑誌で169回引用された。
 コースのもう一つ幅広く引用された(1966年から1980年の間に661回引用された)論文社会費用の問題はさらに画期的pathbreakingであり、実際、Law and Economicsという学問領域を生み出した。コース以前の経済学者は、すべての政治的な説得persuationに際して、英国の経済学者Arthur Pigouの考え方を受け入れた。もし例えば、ある牧場主の牛が近所の刈り入れを食べてしまうのであれば、政府が牧場主をしてその家畜が動き回るのを辞めさせるか、あるいは少なくとも(牧場主に)課税してそうさせるべきだと。経済学者の信じるところでは、さもないと牧場主には、家畜を止める誘因がなく、家畜は刈り入れを食べ続けるだろうと。
 しかしコースは受け入れられている見解に挑戦した。彼は、牧場主は農場主の刈り入れを(家畜が)食べることにいかなる法的責任がなく、たとえ取引費用がゼロだとしても、農場主は牧場主と互いに利益のある協定に到達できるー農場主は家畜の群れが引き返すことに支払うことによって。それは、追加の家畜の損害が、牧場主の純報酬を超過する場合に生ずるとコースは論じた。例えば去勢牛1頭当たりの牧場主の純報酬が2ドルなら、牧場主は2ドル以上を受け取ることで、去勢牛の追加をあきらめるだろう。(そして)去勢牛が3ドルの損害をなすのであれば、農場主は喜んで(2ドル以上)支払うだろうー(こうして)相互に利益のある取引が生ずるだろうと。
 次にコースは、もし裁判所が、牧場主が去勢牛が起こした損害に責任があると判断した場合に何が起きるかを考えた。経済学者は、牧場主が育てる去勢牛の数が影響を受けると考えた。しかしコースは、唯一影響を受けるのは牧場主と農場主の富だということを示した。農場主は、去勢牛1頭が自由に動きまわる権利について3ドルの支払いを牧場主に主張するだろう。しかし去勢牛は牧場主に2ドルの価値しかないので彼が進んで支払うのは2ドルまで。だから去勢牛は(結果として)育てられないことになる。法的責任がないとした場合と同じく、(私的取引により経済外部性問題が解決されたことになる。)
 この考察は驚くべきことだった。それは政府の介入は経済学者が考えたよりも弱くなることを意味した。コースの心の友で自由市場志向のシカゴ大学も驚いた。George Stiglerは言う、「経済学者はなぜこのような明らかな失敗をしたのか」。そこで彼らは当時、バージニア大学にいたコースをシカゴに招いて討論した。彼らはAaron理事の家で食事をしたーAaronはJournal of Law and Economicsを創刊 したエコノミストである。
 Stiglerの回想:我々はこの異論に強く反対した。いつものようにMilton Friedmanが最も語った。彼はまたいつものようにたくさん考えた。2時間の議論の間に、コースに20人が反対するところから全員がコースに賛成するように変わった。なんと素晴らしい出来事だろう!後になってこの時の千里眼のような議論を録音しなかったことを悔やんだことであった。
 StiglerはCoaseの洞察をコースの定理(Coase theorem)と名付けた。
 (中略)
 Coaseは公共財の王国でも問題を起こした(upset the apple cart)。経済学者はしばしば灯台を政府だけが供給可能な公共財の例に挙げる。彼らは灯台についていかなる情報ももたず、ただアプリオリに(原因として)灯台は利潤を得ては運営できず私的に所有できなかったという見解を基礎にしていた。Coaseは歴史を詳細にみて、19世紀イギリスにおける灯台は私的に提供され、船は港に入るときに使用料を取られていたことを示した。
 Coaseは1951年にロンドン大学で博士号を取得した後、合衆国に移住した。バファロー大学で1951-1958年、バージニア大学で1958-1964年、そしてシカゴ大学で1964-1979年、それぞれ教授を務め、1979年に退職した。

Coase Theorem Explained



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福光 寛  中国経済思想摘記
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