見出し画像

劉志英「近代上海華商証券市場的歴史演進」1872-1949

劉志英《近代上海華商證券市場研究》學林出版社2004年pp.1-65

p.1  上海は近代中国の金融の中心で、近代上海金融市場はそれ自身発展の特徴(特色)がある。上海の証券市場もまた近代中国で規模最大でもっとも典型的市場である。上海証券市場を主体とする華商証券市場の歴史変遷(演進)大きく三つの時期に区分できる。
 第一時期 1872-1922年 近代華商証券市場の萌芽と創立。
 第二時期 1922-1937年 政府公債が主である華商証券市場の隆盛。
 第三時期 1937-1949年 企業株券が主である華商証券市場の繁栄。
 本章は近代中国転軌経済の特定環境から出発、近代上海華商証券市場の様々な現象と転軌経済環境の有機的連係を明らかにする。歴史的動態的角度から、近代華商証券市場の全体的な変化過程を解釈し把握する。

p.2  第一節 近代華商証券市場の萌芽と創立(1822ー1922年)
  一、取引所(交易所)設立前の上海華商証券市場
 西欧国家の証券取引市場は一般にまず発達した公債取引があり、そのあと株券取引の発達がある。しかるに近代中国においては、社会政治経済形態の特殊性から、最初の有価証券とその取引は株券から開始された。かつそれは西欧商人(洋商)がもたらしたものだった。1843年の上海開港後、外国資本と外国株券は相次いで侵入し、上海には西欧商人が株券を取引する場所が出現した。19世紀50年代から60年代、上海に設立された外国人商会(洋行)、外国航運企業、保険企業はすでに多くは株式会社(股份公司)の組織形式を採用していた。西欧商会の証券取引は上海で活発になり始め、株券取引は遅くとも19世紀70年代初めにはすでにありふれた現象となっていた。上海で比較的早い華文新聞の「上海新報」は1871年に株券相場表の掲載を始めた。1871年の相場表に列挙されている西欧商会の株券は滙豐銀行の旧株、新株、旗昌輪船公司の旧株、新株など20余種である。この株券市価の騰落は定まらず、変化はかなり大きいが(これは)当時の上海西欧商会の株券取引が非常に頻繁であったことを示している。この間に中国人商人もまた西欧商人証券取引に介入したが、取引に参加した人数は多くなく、かつ多くは上海で輸入商、茶商、骨董商などを兼営するもので、取引するものはすべて西欧商会の株(洋股)であった。

p.19 第二節 政府公債が主である華商証券市場(1922-1937年)
 「信交風潮」の前、株券と政府公債は等しく上海華商証券市場の主要交易品種であった。風潮の後、株券の信用(信譽)は大きな影響を受けた。商務印書館、招商局、中国銀行など一部の大会社の株券はなお証券取引所内に上場(挂牌)を続けたが、実際の取引量はとても少なかった。株券取引が少ないために、証券取引所は生存維持のため、次第に北洋政府発行の公債を取引の主要対象とするようになった。風潮後しばらくする間に、上海華商証券市場は株券の先物売買を暫く停止することを宣言し、その取引は主要には政府公債を主とするものになった。1927年南京国民政府建立後、証券取引所の公債売買は一度盛んな(蓬勃)様相を呈した。会社株券は時々は証券取引所で上場取引すらなくなり、
p.21  少数の株券がたまたま取引所で上場されたがその取引量は極めて少なく、ほとんど上場されても取引はなかった。1937年八・一三戦時が爆発するまで、上海の華商証券市場と本国企業の必要資金とは、およそいかなる関係もなかった。公債取引は上海証券市場で98%の圧倒的多数を占め、その効用は財政を補充する薬に限られ、上海華商証券市場は名実ともに政府の「財政市場」となった。

p.35 第三節 企業株券が主である華商証券市場(1937-1949年)
 抗戦時期、上海の華商証券取引市場は時局の発展とともに、変化し巨大な転変を出現させた。戦前一時は盛んを極めた政府公債取引は次第に零落(冷落)日ごとに縮小した。これに対して十余年にわたり寂しかった株券取引がp.36   零落から次第に盛んになり極度に繁栄。上海華商証券市場はこれにより株券取引畸形発展の「黄金時代」に突入した。抗戦勝利以後、再建された上海証券取引所、その営業範囲は本国民営と国有企業が発行する株券を中心に政府公債に及んだ。つまり抗戦以来、上海華商証券市場は次第に企業株券を主とする証券市場に変化したのである。

p.41 二、全面被占領(淪陷)後の上海証券市場
 1941年12月8日、太平洋戦争が勃発(爆発)、当日、日本軍は租界を進軍占領した。このあと1945年8月抗戦が終わるまで、全上海は日本-偽政権の統治下にあった。しかし上海の証券市場は静まり返っていた(沉寂)わけではなく、それどころか中国株(華股)を中心に株券取引は際立って活発で、日本-偽政権時期の上海証券市場は畸形的な繁栄、発達が出現した。
 太平洋戦事発生後、日本偽政府は、公債、外国株取引を明確に禁止を命令。同時にこのほかの投機市場は、環境関係から次第に停滞。ただいくつか取引を許された中国株取引があるのみだった。新興の中国人商人の株券会社が雨後の筍のように発展し、大部分の遊休資金は群れて中国株に向かった。

p.45  三、抗戦勝利後の上海華商証券市場
 抗戦勝利後、上海の華商証券市場は三つの異なる時期を経験した。1945年10月から1946年9月のブラック取引。1946年9月から1948年8月にかけては上海証券取引所取引段階。1949年2月―5月は復業後上海証券取引所の取引段階。

新中国建国以前中国金融史

main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp