麦家「日本佬」『人民文学』2015年第3期
麦家(マイ・チアー 本名は蔣本滸 チアン・ベンシュー 1964- 17年ほどの従軍経験あり。浙江省杭州市富陽の人。2013年より浙江省作家協会主席。)の短編小説。《2015年中國短篇小説精選》長江文藝出版社,2016年,55-76 原载《人民文学》第3期。
私の父には「日本野郎(日本佬)」という綽名がある。15歳のとき、日本軍に徴発されて担ぎ人(挑夫)として数日働き、村に帰ってから何かにつけて、日本語を口にしたのでこの綽名がついた。ただ背が高くないのに、元気がよく、あまり話しをせず気が短いなど、長じてますます日本人に似てきた。祖父にも、村に落ち延びてきた太平軍の生き残りを叩いておいはらったので「長毛爺さん(長毛阿爹)」の綽名がある。私は父の綽名を村の中のもっとひどい綽名に比べれば、大したことではない、と思ったが、そう思ったことを父だけでなく祖父にひどく叱られた。生産隊副隊長の關金は、まだ副隊長になる前、私を「小鬼子(小さな日本人)」と呼んでからかったところ、父がすごく怒ったことを根にもって、副隊長になってから父の労働点数を低く評価するようになった。
私が8歳の冬の日、うっすらとまばらに雪がつもったころ、大隊の治安保安主任になったばかりの關金が公社の武装部が派遣した人をつれてきた。その人は自分を老吳だと名乗った。老吳は、父の過去の日本軍との接触の経緯を聞き取りにきたのだった。聞き取りには家族全員が立ち会いを求められた。父は日本軍につれられ移動したこと。村ではモノを徴発したこと、その行軍での中国人の死者としては逃げ出した担ぎ人のひとりが見せしめに殺されたことがあるのみだということ、最後は町に入り、理髪店に入り、そこで数日を経たあと、村に歩いて逃げ帰ったと話した。
この聞き取りのあと、 父は結果を知りたいと何度も公社に足を運んだが結果は示されなかった。 しかしついに冬至直前のある日、父は大喜びでかえってきて、日本佬の疑いが晴れたとした。祖父は公社に行って、公章が押された証明書を入手した。公社が証明をだしたとする大字報(壁新聞)が張り出され、私たちは大喜びした。
燕がやってくる季節になったある日、「日本野郎はいるか」と關金が不意に我が家に押し入った。祖父はお前こそ「日本野郎だ」と言い返したが、その後ろには武装した二人を引き連れた老吳がいた。老吳は、父は大罪を犯したので連行するとした。その後、母と祖母が父に差し入れに行ったが、父がどのような犯罪を犯したのかはわからなかった。
その後、父は戻ってきたが、頭の毛はそられ、胸のところには「反革命分子」「漢奸(裏切り者)」「賣國賊」などと書かれた木片が掛けられていた。その日の午後、学校は休みになり、午後は「批判大会」となった。大会の檀上で、荒縄でしばられ、両腕を背中から押さえられ、ひざまづかされているのは父だった。
その日の夜、村の中を引き回された後、父は關金につれられて帰ってきた。關金は父は「黒五類」(地主、富農、反革命分子、破壊分子、右派を指し出身階層に問題があるとして差別した。本人だけでなく家族を社会的差別の対象とした。出身階層を問題にする考え方は、公式には改革開放以後、否定されたことになっている。訳注)でも最低の反革命分子で、本来なら入牢のところ、老人や子供もいるので寛大にするのだと、祖父に告げた。
父は極度に疲れていた。丸一日経った次の日の夜、祖父は父に話しを聞いた。父は実際には、理髪店にはゆかず、軍営のなかで犬や馬の世話をさせられた。この犬の世話を通じて、軍営にいた10歳の男の子と親しくなり、一緒に河に行き、そこで溺れたこの男の子を父は救ったのだった。日本人の子供の命を救ったことが罪の中身だった。そして成人したこの子が、父を探そうとし、その結果、父のことを政府は知ることになったのではないか、と父は言った。
祖父は「なんで小鬼子を助けたんだ。ほおっておくことは出きなかったのか?」「日本人に一人だっていい人はいない(東洋鬼子沒一個人是好人)」「日本人はもともと我々中国人によくすることはできない」と何度も嘆いた。
祖父は我々は五類分子とされ、人並みの扱いを受けなくなる。女の子は嫁に行けず、男の子は嫁を迎えられない。と嘆き悲しんだ。
その後、祖父は祖先を祭る部屋で嘆き悲しんだ。その声は夜半にかけておおきくなり、祖父が転倒する音がした。祖父は農薬を飲んだのだった。父は祖父を背中に担いで医者に走ろうとしたが、祖父がなお抵抗するので、やむなく医者を呼びに走った。母は祖父に近づくこともできず泣き崩れた。私は泣いて泣いて、祖父は死を選んだのだと思った。
(この小説の背景は文革期の中国農村である。三谷孝ほか『村から中国を読む』青木書店、2000年は、農村での聞き取り調査をベースにしたもので、文革期から開放期に至る農村の変化を詳しく記述している。頭のところで、日本人を中国人がどう見ていたかの描写があるので参考までに引用する。背は高くないが、牛のように強く、あまり話さないが、気性があらく、好戦的だと。ー怪的是,父亲后来的长相,脾气都越来越像日本佬,个儿不高,但壮实如牛;话不多,但脾气火爆,逞强好胜。)
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