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ハンガリー事件(1956/10)を受けての劉少奇による国内調査(1957/02~04)について

ハンガリー事件(1956/10)を受けての劉少奇による国内調査(1957/02~04)   
使用資料 魯彤 馮來剛 黃愛文《劉少奇在建國后的20年》遼寧人民出版社2011年,167-174
     黃崢《風雨歷程:晚年劉少奇》人民文學出版社2018年,66-71
写真は1956年9月 中国共産党第八次全国代表大会で政治報告を行う劉少奇。

 (1956年2月フルシチョフがソ連共産党20回大会で秘密報告を行いスターリンの全面否定を行った。中国共産党はスターリンの全面批判には納得できないとしたが、他方でスターリン批判が、中国共産党が独自路線を歩むことを可能にする側面を歓迎したと考えられる。)その後10月にハンガリー事件が起きた時、ソ連共産党は中国共産党に事件の対応について協議することを求め、劉少奇、鄧小平、王稼祥が中国共産党代表団としてモスクワに飛んでクレムリンで協議した。ソ連共産党はこのように中国共産党の意見も聴取して、ハンガリー事件の対応を決定したことは注目できる。
 このとき劉少奇は、スターリン時代の大国主義がハンガリー事件の原因の一つだと指摘したとされているが発言の詳細はなお明らかではない。
 ロシアから帰国直後の1956年11月に行われた中共八届二中全会で劉少奇は、ハンガリー事件の教訓として、農業軽工業発展の重視、人民生活に関心を寄せ、社会主義民主を拡大、官僚主義特権思想に反対、指導者の権力の制限などを挙げたとされる。
 1957年1月。毛沢東は省、市、自治区の党委員会書記の会議において、社会主義社会における敵と味方そして人民内部の矛盾をよく研究する必要があると指摘した。劉少奇は、この毛沢東の指摘を受けて自ら調査組を組織指導した。劉少奇自身が引率して、中国を北から南まで縦断する形で1ケ月あまり。各地の事情を聴取して回っている。ハンガリー事件後、中国共産党が全国の状況を党の指導者が、実際に回って把握するという、このような対応をとったことは注目できる。2月18日午後、劉少奇自身が率いて北京を出発。河北省保定を最初にあとは各都市を南下して長沙まで。さらにそのあと広州に至っている。最終的に北京にもどったのは4月14日とされる。
 この調査旅行を通じて、劉少奇は次のような状況を把握したとされる。中小学を卒業したものの多くが進学もできず就業もできない状態にあること。農民の生活が苦しく、都市と農村の生活水準の格差が大きいこと。都市労働者の住居宿舎が不足していること。豚肉など副食品の供給が不十分であることなど。以下を劉少奇の言葉をみると、劉少奇としてはこの大旅行には、各地の状況の把握しようとした面とともに、中央政府の考え方や姿勢を各地方政府に伝える意味があったことも、うかがえる。
 「学生諸君が提出してくれた問題は本当に多い。関連機関に対応を頼むべき多くの具体的問題がある。ここではそのいくつかを議論したいと思う。最初の問題は卒業生の進学問題だ。今年の卒業生の進学問題にみんなが関心をもっている。学生諸君は気になって仕方がないし、教職員もお父さんお母さんも心配されている。今年の上級学校の受け入れ数の計画はまだ最終決定ではない。皆さんにいくつかの数字を示せるだけである。すでに入学している者は6000万あまり。高等小学卒業生500万のなかで400万は初等中学に進学できない。初等中学卒業生109万のなかでおおよそ80万は高等中学に進学できない。高等中学卒業生のうちおおよそ8万人は大学に進学できない。」(1957年3月22日長沙市の学生・教職員代表との座談会での発言)
 「現在およそ全国のあらゆるもめごとは皆経済性質の利益のもので、政治目的のストや授業放棄、示威デモはおそらくそう起こるものではない。・・・私は省委員会、市委員会そして各部門に毎年二回人々に意見を求めて、あらゆる問題を提出させることを提案したい。・・・意見を求めたあと、すぐ解決できるものはすぐ解決し、すぐ解決出来ないものは会って説明し理由をはっきりさせて、人々に返事をする。そうすればいいと思うのだが。もしもなにも意見が出ないところがあると、問題が底にたまって大きくなり、いつか火山が爆発する。」(1957年3月24日湖南省幹部会での発言)
 広州は経済活動が活発で、地下工場、自由市場、小商人などが、禁止にも拘わらず、到るところに見られた(屢見不鮮)。1957年4月、広東省幹部から当地の経済事情について報告を受けたあと、劉少奇はつぎのように自由市場に肯定的な発言を残している。
 「自由市場は国が民生を計画するうえで助けになり、我々の助けになる。我々の欠点を明らかにし、国営商業の足らないところを補い、人民の役に立つ。政策的には利用し、制限し、改造するべきだが、なくす必要はない。社会主義の計画はただ大項目についてできるだけであり、我々が計画できないところは自由市場が穴を埋めることができる。これはすごく愉快なことではないが、(自由市場の)良いところだ。もし問題を見つけたなら、将来の計画のなかで改善してゆけばよい。自由市場開放は、経済生活をさらに良く組織することになり、計画経済をさらにより完全に、また多様に、豊富多彩にできる。」(1957年4月7日広東省幹部の経済工作報告に対しての発言)

#劉少奇 #ハンガリー事件 #自由市場     #計画経済

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福光 寛  中国経済思想摘記
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