profits by Lester C.Thurow from Econlib.com 利潤 サロー
Lester C.Thurow, Profits
Cited from Econlib.com
著者はMIT Sloan School of Management 教授
資本主義社会において利潤そして損失は中心的位置にある。企業を保有する者(資本家)は、彼らの所得である利潤を最大化するように生産の試み(production efforts)を組織する経営者を選んでいる。彼らによる利潤の探究は、資本主義の有名な「見えざる手invisible hand」に導かれている。利潤が通常より上にあれば、新企業あるいは既存企業から追加投資が引き寄せられる。新たな投資は、投資がどこでも同一の水準を稼ぐところになるまで、入ってくる。このようにして高い利潤は、消費者が投資が欲しいと思い信号を送るところに、投資する企業を引き寄せる。
資本家は三つの生産への貢献(inputs)により報酬を得ている。一つは彼らの個人的楽しみ(gratification)を進んで後にすることで。今日、その資源をすべて消費する代わりに、彼らは今日の所得を貯蓄し、貯蓄したものを、将来、財やサービスを生み出す活動(工場や設備)へ投資する。これらの将来の財やサービスは、売却されるとき利潤を生みだす。それはそのときに、消費あるいは更なる投資の資金源になる。乱暴に言えば、資本家は消費しないことで資本を提供している。資本がなければ、生産の減少が生じるだろう。結果としては、利潤の一部は、実質的には個人的楽しみを進んで後にする人に支払われる「賃金wages」である。
二つ目に、利潤の一部は利潤を引き受ける人への報酬である。ほかの人が投資しなかったところに投資したことで、投資は利潤と報酬を生み出している。例えば航空会社が破産したとき、その会社の投資家はその富のいくらかを失い貧しくなる。危険な仕事を進んでする地下の鉱夫が、安全な仕事をする人より多く支払われるのと同じように、冒険事業に進んで投資する投資家は、危険の低いところに投資する投資家より多く稼ぐ。平均すると、リスクを取る投資家は、保守的な投資家より、投資についてより高い報酬を得るだろう。
三つ目に、利潤の一部は、組織する能力、起業、そして創業のエネルギーへの報酬である。創業者は、新たな製品あるいはプロセスを発明し、既存製品のより良い配送を組織することで、利潤を生みだしている。人々は「より良いネズミ捕りmousetrap」を発明した創業者に喜んで支払うのである。
経済学者は「利子」を楽しみを後にすることの代価の意味に使い、「利潤」という言葉を、リスクを取りまた「創業精神」の結果の意味だけに使う。しかし日々のビジネス用語では、保有する資本への所有者の報酬もまた利潤と呼ばれている(ビジネス用語では、貸し手の報酬は利子と呼ばれる。多くの貸付もまたリスクを取っているのだが。)
利潤動機なしに生産社会を組織する試みはすでに行われた。共産主義はその最近の最良の事例である。しかし現代世界におけるこれらの試みは、見事に失敗したのである。
(以下略)