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于光遠「”新民主主義社会論”的歴史命運」1996~1998/2008

(于光遠『于光運改革論集』中国発展出版社 2008に収められた「”新民主主義社会論”的歴史命運」の翻訳である。pp.174-182 執筆時期は1996年刊行自著への言及があるのでそのしばらく後。論文と同名著書の序文によれば、于光遠が1988年から1998年の間に作成したメモがもとであるが、1996年刊行図書への言及があるので、1996年から1998年の間に手を入れている。参照、于光遠『”新民主主義社会論”的歴史命運』長江文芸出版社,  2005; 任立新『毛沢東新民主主義経済思想研究』中国社会科学出版社 2010; 王東『共和国不会忘記:新民主主義社会的歴史和啓示』東方出版中心 2011)

p.178  あの「新民主主義論から社会主義初級段階論へ」という本の中で私は1939年末、1940年初に始まり、1956年に至る一連の史実の考察の中で、毛沢東自身が「新民主主義論」ーこれはマルクス主義の重要な創造物であるがーをいかに提出し、発展させ最後に放棄したかを描こうとした。この時間内において、劉少奇は比較して多く「新民主主義社会」の観点を堅持した。彼は1951年に新民主主義を強固にすることを提案(提出)した。劉少奇は建国前後に少なからずつぎのような話をした。私人資本がもっている積極性は、十分発揮されるべきだ。将来中国の工業生産が過剰になったときこそ、社会主義革命の時だ。その時が来れば、私人資本の積極性は用済みだ。しかしそれは10年以上あとのこと。彼はまた言った。現在多くの人が搾取を恐れている。しかし搾取は一種の事実だ。搾取が多いと罪悪が多い、審判が必要で、銃殺だ、苦悶だと。このような考え方は間違っている。今日資本主義の搾取は罪悪でないだけでなく、むしろ功労がある。封建搾取が取り除かれてから、資本主義搾取には進歩性がある。雇用、個人経営は放任(自流)されるべきだ。豊(ゆたか)な家で雇い人が多い、馬を買うなど。人を雇うことに制限を付けるべきではない。それは放任とはいえない。将来我々は富農に対しては方法を考える。何も悪いことはないとしても、発展は一定限度までとし、将来は制限を予定する。劉少奇のこうした思想は、まさに「新民主主義社会論」の基本観点が発揮されたものである。しかし劉少奇のこれらの観点はみな「新民主主義社会論」の主要創立者に批判され、劉少奇の主張は実行することはできなかったのである。
 「新民主主義社会論」の放棄により我が国がうけた甚大な(厳重な)損失は、現在ますます多くのひとが認識するところである。

p.181 1956年後、わが国がすでに社会主義初級段階に入ったことは、承認されるべきだ。これは建国後、生産資料私有制に対して、一連の社会主義的改造が進行した結果である。1956年において、中国は一つの単一社会主義所有制国家である。この種の社会主義所有制メカニズムは中国社会の生産力状況に見合っていなかった(不合適)。社会生産力の発展に対してとても良い促進作用を発揮することができず、このあと20年以上の間、経済と社会は停滞したままであった。このとき我々は中国は社会主義に入ったと宣言した。しかし社会主義社会に入ってからも、経済は依然とても貧しく、文化は依然とても遅れている。このような社会主義社会は、発達した新民主主義社会より必ずしも進んでいる(先進)とはいえない。そこで人々はこのように問題を出した。世界にはこのように遅れた社会主義がありうるのだろうか?私の考えでは、我々の国家はかく貧しく遅れているが、なおそれは社会主義社会と承認できる。私は社会主義社会を理想化する観点を打破するべきだと考える。現在我々が議論しているのは、社会主義社会の理想ではなく、現実生活の中の具体的な社会主義社会である。この社会主義社会は新民主主義社会に比べて必ずしも進んでいるわけではない。現実の社会主義はただいくつかの最も基本的条件を備える必要があるだけであるー生産手段が社会所有に帰しているなどで、社会主義社会として承認されうる。この社会主義社会は貧しく遅れているが、なお社会主義社会である。1956年に我が国で形成された社会主義社会は、社会主義の畸形だといってよい。しかし私は、それはなお社会主義社会として承認されるべきだと考える。それゆえに現実の(具体的)社会主義社会は、現実の(具体的)新民主主義社会に比べて進んでいるわけではない。
 1956年に毛沢東は『新民主主義論』中の新民主主義社会論の観点を徹底的に放棄した。そして我々は社会主義社会への突入(進入)したことをすでに宣言したことからすれば、レーニンの過渡期の理論は、中国ではすでに有効でないというべきだろう。けれども社会主義初級段階に至って我々の工作を指導しているのは、なおレーニンの過渡期の理論である。「文化大革命」の最中やその後期において、張春橋、姚文元といった人々はなおレーニンの過渡期の語録を編集して、幹部や労働者に「学習」を迫ったが、十一届三中全会に至って我々はレーニンの過渡期の理論から抜け出たのである。新民主主義社会論については、もともとは誰もそれを再び提起しなかったが、十一届三中全会後の非社会主義経済要素(成分)の政策が拡大されたとき、人々は「新民主主義社会」を思い出したのであった。実際は「新民主主義社会」を論じたのではなく「資本主義社会から社会主義社会に至る過渡期の社会」を論じたのであり、今日すべては我々の現実からずっとずっと昔のことになってしまった。しかし歴史の教訓は必ずとても詳しく記録するべきである。新民主主義論から新社会主義初級段階論へのこの歴史の一節は我々の教育にとってこれほど身近なことはない(還很親切)。

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福光 寛  中国経済思想摘記
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