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大隈記念講堂

 大正11年1922年に大隈重信が亡くなったとき、大隈記念講堂の建設が議論された。しかし翌大正12年1923年に関東大震災が起き、計画は一時頓挫。大正14年1925年頃から建設の議論が再燃し、かつ早稲田大学の建築科の教授陣を中心に改めて設計が行われることになった。設計の中心を担ったのは、佐藤功一、内藤多仲、佐藤武夫ら教授陣。戸田組(現戸田建設)が建設を担った。昭和2年1927年10月竣工。
 平成19年2007年12月、ロマネスク様式(たとえば回廊部の半円アーチのモチーフの連続。全体に窓が少ない。非対称形。)を基調とし、ゴシック様式(正面に見られるアーチの入り口はいずれも、アーチの頭部が尖頭になっている尖頭アーチというゴシック様式。そしてゴシックの特徴であるステンドグラスがその後ろに見える。鐘楼部のデザインも垂直線が上方に走りゴシック的。)を加味した近代折衷手主義建築の優品として、国の重要文化財に指定。学内では21号館とも呼ばれる。
    なお東京大学の安田講堂(大正14年1925年竣工)は国の有形登録文化財(平成8年1996年)。市政会館・日比谷公会堂(昭和4年1929年竣工)は都の指定有形文化財(令和5年2023年)である。大隈記念講堂(昭和2年1927年竣工)が、これらに先んじて国の重要文化財に指定されている(平成19年2007年)ことは注目される。
 アクセス 東京メトロ東西線早稲田下車徒歩5分。早稲田大学早稲田キャンパス内。

アーチの形は尖頭アーチ。円形のステンドグラスがアーチの後に見える。
アーチの頭部が少し尖った尖塔アーチ
時計塔下部
側面の回廊のアーチは半円形になっている
側面の回廊のアーチは半円形になっている
後背部


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福光 寛  中国経済思想摘記
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