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飯田橋歩道橋にて

 飯田橋歩道橋の建設は1968年とされるので、建設後56年の月日が経っている。今、2025年2月完成を目指して、エレベーター付設工事がすすめられているので、この歩道橋は今後も活用されるのだろう。
 歩道橋の多くは1960年代から1970年代にかけて日本全国で建設された。人と自動車を分けて、交通事故を避けるというのが大義名分だが、歩道橋を敷設して、横断歩道を撤去したり、横断歩道を敷設しないことがあったわけだから、歩行者よりも自動車を優先する、根本的に誤った思想に人々が陥っていたといえる。こうした人よりも自動車を優先する考え方が次第に強く批判されるようになり、歩道橋の建設は減っていった。(以下は関東地方整備局の資料から同整備局が管理する横断歩道橋の建設年を示した資料。1960年代後半に急増、1970年代前半まで高い水準。その後、急減している。近年は、歩道橋の維持管理コストの面からも、安易な増設は批判されるようになっている。)


 歩道橋近くに横断歩道が復活し、多くの歩道橋が無用の長物になった。今、超高齢社会となり車椅子で移動する人が増えた社会状況で改めて反省すると、歩道橋は、車椅子で移動するような弱者をそもそも、歩行者から切り捨てていたと痛感する。
 さて飯田橋歩道橋であるが、ここは外堀通り,目白通りなど実に5本の幹線道路がクロスするところ。横断歩道が排除された理由は理解できる。飯田橋歩道橋は、全国的にも大きな歩道橋の一つではある。そうはいっても結局は単なる歩道橋で、商業施設などとのリンクがない。実はこの飯田橋歩道橋はJR飯田橋駅の東口に近い。今、JR飯田橋駅は西口が人通りの中心。東口は有力な核施設に乏しく、西口に比べて全体に寂しいことがこの単なる歩道橋につながっている。他方、西口は繁華街の神楽坂の入り口に近く、東京理科大、東京歯科大など多くの教育機関が近くに点在し勢いがある。


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福光 寛  中国経済思想摘記
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