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政治経済研究所の沿革と関係した人々

 以下は公益財団法人政治経済研究所の沿革とそこに関わってきた人の紹介である。とくに創設期の研究所にどのような人がいたのかと、今日までの理事長の変遷を中心に記録する。

1946年8月に政治経済研究所初代理事長に末広厳太郎が就任
末広厳太郎 1888-1951/09    東京帝大法学部長であったが1946年3月に辞職。東亜研究所(略称:東研   池田光穂氏作成page) ;  東亜研究所1938/09/01-1946/03/03(アジ歴グロッサリー)を中心に4つの財団法人(日本統計研究所、大原社会問題研究所、国民経済研究協会、中国研究所)を独立させたまま統合する、財団法人政治経済研究所設立構想の責任者となり、財団法人設立後は初代理事長になった。末広は翌1947年には中央労働委員会委員長にも就任している。しかし1950年9月に直腸癌の手術を受け、1年後の1951年9月に亡くなっている。1951年9月理事会における伊藤武雄理事長の決定(就任は1952年1月)は、この末広の死を受けたものと思われる。
    なおこれら5つの財団法人は2024年10月現在、法政大学の付置機関として日本統計研究所大原社会問題研究所が存続。国民経済協会は2004年3月末に解散中国研究所は一般社団法人として、政治経済研究所は公益財団法人として、それぞれ存続している。

1946年3月から1960年までの年譜
1946年3月 財団法人東亜研究所の解散・末広厳太郎は東京帝大を辞職
1946年6月 政治経済研究所設立準備委員会(末広厳太郎を中心に5つの組織の代表者で構成)発足
1946年8月 財団法人東亜研究所の資産を継承して財団法人政治経済研究所として設立登記 初代理事長は末広厳太郎
1946年11月 開所(創立)
『政経情勢月報』の発刊開始、その後、『政経調査月報』に改称。
1949年2月 政治経済研究所を事務局として地方調査機関全国協議会が発足
1951年8月 政経ビルの明治大学への売却決定 政経ビルに集まっていた組織は四散することに(政経ビルは明治大学8号館として使用され、1960年代には明治大学学生会館として使用された。以下の写真を参照。)。 
 売却は1946~49のインフレで継承した資産の多くを失ったためとされる
 政治経済研究所も解雇者を出して規模縮小。
    この時点では小林義雄常務理事、平野義太郎と近藤康男が理事。
1951年9月 渋谷区隠田(おんでん)に移転・末広厳太郎逝去 理事会は伊藤武雄を理事長に指名
1952年1月 伊藤武雄が理事長に就任
1952年 『政経調査月報』に代えて『政経月誌』を刊行
1952年5月 大内兵衛が会長に就任(大内は『経済学五十年』1990年8月という回想録の中で政治経済研究所については、戦時下に日銀内に作られた国家資力研究所の後継である日本統計研究所を、政治経済研究所のもとで発展させようとしたと述べる。しかしそれは会計担当者の不始末などで日銀の支援が打ち切られ、立ち消えになったとしている。同下 331-332)
(1952年後半 民間学術機関の格付け認定をめぐる文部省の日本学術会議宛て文書では、政治経済研究所の責任者は伊藤武男(武雄が正しい)で住所は渋谷区隠田1丁目4-144となっている)
1953年 『日本経済の動き』を月刊で発行開始(1980年7月まで)
1950年代 東洋経済から政経研編集で産業シリーズを発刊
1960年8月 『政経月誌』に代えて『政経研究』の発行開始
政治経済研究所沿革 及び 政経研究100号の小宮昌平巻頭言 同107の鶴田満彦巻頭言    2012年の北田芳治講演会など)
基本資料
    
市川弘勝 研究歴を語る 政経研究 18  1973/11  1-12
   
北田芳治 追悼 堀江正規さん 政経研究 19 1975/08
 市川弘勝 30周年をむかえて 政経研究 21 1976/11 1-2
    末広厳太郎 本研究所の意図するもの 政経研究 21 1976/11 3-4
   平野義太郎 政治経済研究所創立のころ 政経研究 21 1976/11 5-23
   創立までの主な会議録    政経研究 21 1976/11 24-31
   主要公刊図書        政経研究 21 1976/11 50-52
  市川弘勝理事長略歴・著作目録 政経研究 31  1982/01  18-22
  松島春海 追悼大島慶一郎名誉顧問 政経研究 68 1997/05 37-39
  政治経済研究所60年史年表関係資料(1)政経研究時報10-2 2007/01 10 
  早乙女勝元 「歴史の記憶」から和解平和へ 政経研究 93 2009/11 94-98
  渡辺新 東亜研究所小史 政経研究時報 13特別号 2010/03
   渡辺新 政治経済研究所設立史:いま、政経研の設立過程をふり返る 政経研究 98 2012/06 1-24
  北田芳治 相田君と現代日本経済研究会 社会志林59(4)  2013/03 31-37
   小宮昌平 巻頭言 『政経研究』100号総目次掲載にあたって 政経研究 100  2013/06    1-2 
   政経研究総目次 1960.8(No.1)~2013.6(No.100)   同上誌 103-128
 嶌田修 特別展示会記念講演会 北田芳治 私と政経研 を聞いて 政経研究時報 16-2  2012/10  15-16
   小宮昌平 受託調査 政経研究時報 19-1   2016/06
   重富健一 私と政経研 政経研究時報 19-2  2016/10  10-12
   北田芳治 私と政経研 政経研究時報 19-2  2016/10   12-13
   阿部國博 私と政経研 政経研究時報 19-2  2016/10   13-14
 荒井信一 私と政経研 政経研究時報 19-2  2016/10   14
   鶴田満彦 巻頭言 政治経済研究所創立70周年 政経研究 107 2016/12 1-2 
 北原勇 70周年記念祝賀会来賓挨拶 政経研究時報19-3  2016/12
 山口孝 私と政経研 政経研究時報 政経研究時報19-3  2016/12
   三浦二郎 東京中小企業問題研究所の足跡 政経研リサーチペーパー No.23 2016/11
 早乙女勝元 私と政経研 政経研究時報 19-3 2016/12
   北村実 私と政経研 政経研究時報 19-3  2016/03
   齊藤壽彦 私と政経研 政経研究時報 20-1  2017/09
 大石雄爾 私と政経研 政経研究時報 20-2  2018/03
 相田利雄 私と政経研 政経研究時報 21-1  2018/07 
 小宮昌平 追悼 北田芳治さんと政治経済研究所 政経研究115 2020/12  86-91 
 高嶋信 追悼 挑戦し続けた不屈の学究、渡辺新 政経研究115 2020/12
    大門正克 追悼 1980年代、渡辺新さんと研究をともにした日々 政経研究115  2020/12
 相田利雄 代表理事退任の挨拶 政経研究時報 24-1 2021/08  19
    齊藤壽彦 代表理事就任の挨拶と今後の運営方針 政経研究時報 24-1 2021/08 20-21
    齊藤壽彦 追悼 小宮昌平さんを悼む 政経研究時報 25-3 2023/01  18
    工藤昌宏 追悼 鶴田満彦先生 政経研究時報 25-4 2023/04  16-17
    岩見良太郎 追悼 小宮昌平氏 政経研究時報 25-4 2023/04   17
    長谷川元彦 追悼 阿部國博氏 政経研究時報 25-4 2023/04   18
    公益財団法人政治経済研究所新体制(2023年6月以降)政経研究時報 26-1 2023/07 16
    齊藤壽彦 代表理事再任の挨拶と今後の運営方針 政経研究時報 26-2 2023/09  14-16
    齊藤壽彦 追悼 鶴田満彦代表理事を偲ぶ 政経研究時報 26-2  2023/09 17-18 

政経ビル
wikiwand.com 明治大学より転載
ブログ「大好き神田」の写真館より転載

政経ビル時代の政治経済研究所について 1946/11-1951/09
座談会<政経ビル時代の思い出> 大原社会問題研究所1988/06/24 二村一夫著作集より
 この座談会の中で五十嵐仁は、『政経ビル内調査研究機関所属調査研究員』という資料を引用して、政治経済研究所の研究員は、平館利雄(1905-1991  満鉄調査部に就職、戦後「民科」の創設メムバー)中林賢二郎(1919-1986 1946/10-1951/11研究所に在籍)、水田博(2012年に98歳で亡くなった水田博國學院大學名誉教授と同一と推定するが調査中)、前野良(1913-2007)、安藤敏夫、大友福夫上杉重二郎(1914-2000)など19人だったとしている。また浅原巌人は、政治経済研究所で農業センサスの仕事で実態調査のアルバイトをしたと話している。最後に二村一夫は、政経ビルについて、誰でも自由に出入りでき本や資料を読むことができたと証言している。(また途中で政治経済研究所の人として、小林義雄、安藤敏夫、渡部一高(1902-1975  米コルゲート大学などで学ぶ 1939東亜研究所  研究所では総務部長、その後、常務理事。)、向山寛夫(1914-2005  台湾史研究で著名、1991年で自伝を出版。)、磯田進(1915-2002 1942東亜研究所、政治経済研究所、ほどなく法務庁へて1949東京大学社会科学研究所)といった名前がある)
    荒井信一 私と政経研 政経研究時報 19-2  2016/10   14   も二村と同様の指摘をしている。政経ビルには、研究機関だけでなく、さまざま民間機関さらに政府機関も入居しており、とくに政経研の書庫には東亜研究所の資料があり、それを自由に閲覧できた。また、前野良中村賢二郎細井昌治といった研究者と議論もできたと。

本間要一郎(研究所研究員)の回想(2011/01/24)
 政治経済研究所には、大友福夫中林賢二郎秦玄龍市川弘勝(1911-1984)上杉重二郎重富健一(1923-2020)といった人がいた。自分は炭鉱管理の実態調査をした。しかし研究所の規模の縮小とともに、これらの人々は皆大学に移ってしまった。自分と入れ替わりに入ってきたのが、北田芳治(後掲)であった。
   本間要一郎(1924-)は北田と同じく東京商科大学の高島善哉ゼミ。1952年に信州大学に移る。その後、横浜国立大学に転じた。

地方調査機関全国協議会(地全協)の設立 1949/02/01
   庄谷邦幸 満鉄調査部と「地全協」 経済資料研究(京都大学)37 2007/03によると、庄谷邦幸(1931-)は満鉄調査部OBから、現場主義・実証主義の満鉄調査部の、現地実態調査の手法を学ぶ機会があった。政治経済研究所を事務局にして、地方調査機関全国協議会(地全協)が設立された(1949/02/01)。その会合は満鉄調査部のOB会のようであった。地全協は地域研究機関全国協議会として、存続しているとする。
 → 「日本の古本屋」で地方調査機関全国協議会で検索すると、1950年代から1980年代初頭までの範囲で同協議会が著者である図書を確認できる。

渋谷区隠田時代 1951/09-1962/06
第2代理事長 1952/01-1962 伊藤武雄
伊藤武雄 いとう たけお 1895-1984  満鉄調査部にいた伊藤は1952年1月に  
政治経済研究所理事長に就任するものの56年2月に一時辞任し、1956年3月に佐藤保雄が理事長代理になるが、その後、再び1958年1月から理事長を勤めた。なお伊藤は1946年1月に中国研究所創設に理事として参加(理事長は平野義太郎)しているが、1950年10月には日中友好協会を設立し、常任理事を勤めている。1962年には政治経済研究所の理事長職を小林義雄に託し、1969年1月に中国研究所理事長に就任している。

東洋経済「産業シリーズ」の刊行 1958~1962
   政治経済研究所編で東洋経済新報社から産業シリーズが刊行された。以下の通りである。(1) 日本の繊維産業:1958/01, (2) 日本の鉄鋼産業: 1959/01, (3) 日本の造船業: 1959/01, (4) 日本の石油産業: 1959/01, (5) 日本の電力産業: 1959/01, (6) 日本の貿易業: 1960/01, (7) 日本の機械工業: 1960/01, (8) 日本の化学工業: 1961/01, (9) 日本の銀行業: 1962/01

渋谷区隠田(おんでん)の研究所にて:北原勇 
 70周年記念祝賀会来賓挨拶で、北原勇(1931-2024)は中小企業に関する講座本を東洋経済と相談したが―その窓口はやがて政経研の研究員となる小谷崇。まとまらなかった。そこを助けてくれたのが、政経研の小林義雄で、小林が編者の一人となる形で、40人ほどの様々な分野の研究者を集め4巻本として有斐閣から出版された。そして渋谷の隠田にあった研究所での自由闊達な研究会を懐かしみ、今後もあのような研究会を組織して欲しいと結んでいる。北原勇 70周年記念祝賀会来賓挨拶 政経研究時報 19-3 2016/12
 ここで北原が紹介しているのは楫西光速(1906-1964)伊東岱吉(1908-1996)、小林義雄(1909-1995 後掲)、岩尾裕純(1915-1991)が編者になり1960年に有斐閣から出版された、4巻本の「講座中小企業」のことである。第1巻は「歴史と本質」(市川弘勝が編者に加わる)、第2巻は「独占資本と中小企業」、第3巻は「経営問題」、第4巻は「労働問題」である。

神田の田所ビル時代 1962/06-1964/11
第3代理事長 小林義雄 1962-1966/12
1962/06   千代田区神田の田所ビルに移転
(手狭となり政治経済研究所は書籍の多くを失った:中国研究所の江副敏生の指摘。江副敏生「中研の創立と東研」中国研究月報50(3)1996/03による)

小林義雄 こばやし よしお 1909-1995  東亜研究所に在籍した小林義雄のことと思われる。専修大学と國學院大學で教壇にたっている。1962年から政治経済研究所の理事長を務めた。この小林義雄の時代以降、市川弘勝、北田芳治まで3代の政治経済研究所の理事長はいずれも、戦後の政経研で所員として活動した経験があり、かつ大学に教職を得たあとも、二足のわらじとして、政治経済研究所での執筆・研究・委託調査の受託を並行して行った。若い多くの研究者を動員したことは、結果として政治経済研究所を研究者育成の場として機能させることになった。小林は1964年の有楽町線江戸川橋のマンションへの移転完了後、1966年に理事長職を市川弘勝に引き継いだ。Webcatplus
 編著 小林義雄編 企業系列の実態:独占資本の相互提携と支配強化 東洋経済新報社 1958/09
 共編著  小林義雄ほか編 独占資本と中小企業 有斐閣 1960/07
 共著 山田盛太郎編 日本資本主義の諸問題:小林良正博士還暦記念論文集 未来社 1960
    単著 小林義雄 戦後日本経済史 日本評論新社 1963
    共編著 小林義雄・伊東岱吉・加藤誠一編 工業経済論 有斐閣 1968
    単著 小林義雄 世界企業と日本:資本自由化と実態 日本関税協会 1968
    記念論文集 小林義雄教授古希記念論文集 回想録と日本経済 西田書店 1983/06

江戸川橋のマンション時代 1964/11-1995/12
第4代理事長 市川弘勝 1966/12-1982/04
第5代理事長 北田芳治 1982/04-1996/05
1964/11 新宿区山吹町の牛込マンション(新宿区山吹町357-2  江戸川橋のマンション)に移転した。調べたところ同マンションは1964/10に完成しているので、このマンションの完成直後に入居している。なお同マンションは、有楽町線江戸川橋駅から徒歩3分で交通のアクセスがよい。有楽町線は1974年10月に池袋―銀座1丁目間で開業である。有楽町線開業前の江戸川橋は、都電20系統 江戸川橋―上野広小路間の始点であった。このマンションへの移転は、なかなか賢明な選択だったと思える。)

yahoo mapより転載 左下に牛込マンション

市川弘勝 いちかわ ひろかつ 1911-1984  東京帝国大学経済学部卒。戦後、政治経済研究所所員。中小企業や鉄鋼の研究を行った。その後、東洋大学を経て名古屋経済大学。1966/12 政治経済研究所理事長に就任。1982年には北田芳治と交代した。
 市川弘勝理事長略歴・著作目録 政経研究 31  1982/01  18-22
    市川弘勝 研究歴を語る 政経研究 18  1973/11  1-12
 市川弘勝 CiNii
    北田芳治・市川弘勝編著 国家独占資本主義と日本の産業 青木書店 1967/01
    市川弘勝編著 現代日本の中小企業 新評論 1968
    市川弘勝 日本鉄鋼業の再編成 新評論 1969/07
    市川弘勝・岩男裕純編著 七〇年代の日本の中小企業 新評論 1972/05 
    北田芳治編著 現代日本の国債問題 新評論 1973
    北田芳治 現代世界と日本経済 新日本出版社 1974/01
    北田芳治・矢原順夫 総合商社 新日本新書 1974/01
 市川弘勝 30周年をむかえて 政経研究 21 1976/11 1-2
    北田芳治・相田利雄編著 現代日本の経済政策 上・下 大月書店 1979
   小宮昌平、吉田秀夫著 東京問題 大月書店 1979/08
   全商連史編纂委員会、政治経済研究所編 民商・全商連の三十年 全国商工団体連合会 1981/10
   北田芳治編 貿易摩擦と経済政策 大月書店 1983/06
   北田芳治・相田利雄編 円高不況下の日本産業 国際産業調整の進展と産業政策 大月書店 1987/05
    相田利雄・小林英夫編 成長するアジアと日本産業 大月書店 1991

北田芳治 きただ よしはる 1926-2020 東京商科大学卒 高島善哉ゼミ。1952年から政経研。1958年東京経済大学に転ずるが、政経研の仕事も継続している。現代日本経済の研究を進め、市川弘勝や相田利雄それぞれと共著がある。北田は1982/04に政治経済研究所理事長に就任。
北田芳治教授経歴・年譜と研究業績目録 東京経大会誌 208 1998/03 3-6
北田芳治 相田君と現代日本経済研究会 社会志林59(4)  2013/03 31-37
小宮昌平 北田芳治さんと政治経済研究所 政経研究115 2020/12  86-91
嶌田修 特別展示会記念講演会 北田芳治 私と政経研 を聞いて 政経研究時報 16-2  2012/10  15-16
小宮昌平 受託調査 政経研究時報 19-1   2016/06
    小宮はこの文章のなかで1971年に北田が常務理事となり、受託調査を進めようと二人の常勤者を雇う一方、小宮氏を調査部長として招いたことを書いている。しかし、受託調査で常勤者の雇用を続けることは困難で、自分一人が常務理事として残ることになったと顛末を語っている。
 また小宮が雇用された当時は、維持会費と受託調査とで研究所が運営されていたが、それが次第に難しくなったとしている。
 小宮については 齊藤壽彦 追悼 小宮昌平さんを悼む 政経研究時報 25-3 2023/01  18 も参照。
北田芳治 私と政経研 政経研究時報 19-2   2016/10
    北田は、初代理事長の末広厳太郎が中央労働委員会の会長に就任したので(1947年)、大企業は進んで政経研の維持会員になったと裏話をしている。また1950年代に一緒に仕事をしたとして、堀江正規(1911-1975)と今井則義(1918-1998)の名前を上げている。さまざまな実態調査を踏まえて、経済理論学会の第1回大会(1959/5/10 法政大学)で報告したとしている。

現代日本経済研究会(1970-1990年代)について
 齊藤壽彦(1945-)によると1970年8月に北田芳治氏を中心に「国家独占資本主義研究会」が始まり、齊藤はまだ大学院生だったが最初から参加した。この会はその後、「現代日本経済研究会」と名前を変え、やがて相田利雄や小宮昌平も参加するようになった。様々な共著の刊行が行われた。その活動は90年代初頭まで続いた。研究所との関係は、その後もASEAN直接投資研究会、あるいはセゾン生命からの委託調査などで続き、2004年から政経研究の編集責任者への就任、あるいは理事への就任という形でより深くなったとする。
 齊藤壽彦 私と政経研 政経研究時報 20-1  2017/09
 大石雄爾(1944-)によると、国家独占資本主義研究会(その後、現代日本経済研究会)への参加が機縁になったのは齊藤と同じだが、研究会の中心にいたのは(北田ではなく)相田利雄だとする。同研究会での共著の刊行のほか、「政経研究」で自由に執筆できたことに大石は謝意を示している。大石は1980年代に政経研究編集委員を務め、1990年代の終わり(1999/3)からは評議員と現代経済研究室室長を務めた。
 大石雄爾 政経研と私 政経研究時報 20-2  2018/03
 相田利雄(1943-)もこの研究会を軸に話している。このように江戸川橋のマンションの一室で続けられたこの研究会(研究会を起こして共著書を次々に刊行すること)は、多くの若い研究者に影響を与えた。相田によれば、相田利雄、渡辺隆一らが行っていた資本論研究会が先行してあり、国家独占資本主義の勉強会をしようと、その論客であった北田に面会。北田が院生を集め、場所を提供する形で、研究会が拡大したというのが経緯であるようだ。研究会は1990年代まで続いた。また相田の証言は、参加者の担当箇所やその後の所属が詳しく示している。
北田芳治 相田君と現代日本経済研究会 社会志林59(4)  2013/03 31-37
相田利雄 政経研と私 政経研究時報 21-1  2018/07

1987/02/20  政治経済研究所四十周年を祝う会 学士会館 同左発起人
近藤康男(1899-2005  近藤は東京帝大農学部教授であったが、1942年から1946年3月まで東亜研究所に勤め、その後は帝大に復帰している) 小林義雄(1909-1995 既出) 大友福夫(既出) 岩男裕純(1915-1991 既出) 星野光男(都市問題研究の草分けで東京市政調査会に在籍した星野光男と思われるが研究所との関係は調査中) 庄林二三男 井野隆一(1920-2001) 内ケ崎須美子 本間要一郎(既出) 藤井賢三郎(1919-?) 小谷崇(既出) 斉藤恒雄 渡辺勝 相田利雄(1943-既出) 安藤政武(1936-1993) 大石雄爾(1944-既出) 小林英夫(1943- 既出) 斉藤寿彦(1945-既出) 竹内壮一 宮本享久 宮脇孝久 川口昭男 渡辺隆一(既出) 政経研究時報11-1 2007/09  7

江東区北砂時代 1996/01~
   
1996年1月に、北砂に政治経済研究所が移ったことについて、一つ言えることは、北田や小宮など、研究所を守っていた人たちの了解もあって研究所は北砂に移ったこと、さらにその移転の結果、研究所の活動を現代まで伸ばすことができたことである。後述するように、江戸川橋のマンション時代には刊行が乱れていた『政経研究』は、この移転後は年2回定期的に刊行されている。
   
第6代理事長 阿部國博 1996/05-2000/04
第7代理事長 山口孝 2000/04-2015/06
第8代理事長 鶴田満彦 2015/06-2019/06
第9代理事長 相田利雄 2019/06-2021/06
第10代理事長 齊藤壽彦 2021/06-

北砂の土地の取得と北砂への移転 1996/01
 1996/01 阿部國博を通じ染野美津代さんから北砂の土地の寄贈を受ける
     阿部は小宮昌平の学生時代からの友人との縁で研究所のメムバーになって長い。染野さんは家業の運輸業を辞めるにあたり、倉庫と車庫に使っていた土地(175坪 580平方メートル)を、阿部に譲渡を申し出たのは1990年のこととされる。世のため、人のために、使うこと。祠へのお参りを絶やさないことが条件。財団法人である政治経済研究所に寄贈することで、税金の発生を回避したとされる。後述するように阿部は93年5月に研究所の理事、96年6月に同理事長に就任している。研究所は北砂の現在の場所(江東区北砂1-5-4)に移転した。
 阿部國博『自伝 多生の縁』エディポート 2003/11    262-277
 阿部國博 私と政経研 政経研究時報 19-2  2016/10   13-14

附属大島社会文化研究所の設置 1996/01
 附属大島社会文化研究所を設置。大島慶一郎医師(1908-1996)より私財の寄付を受けた。また同研究所の北村実(1933- 現在 早稲田大学名誉教授 日本科学者会議参与)を受け入れた。以下の北村の説明によると、独自の例会を2010年代まで継続した。
    大島慶一郎と大島慶一郎関係文書について
 松島春海 追悼大島慶一郎名誉顧問 政経研究 68 1997/05 37-39
 北村実 私と政経研 政経研究時報 19-3  2016/03

北砂移転の1996年以降『政経研究』刊行は安定化
 1981年より前は隔月刊と称しているが、正確に隔月に刊行されていない。1981年からは季刊と称しているが、これも不安定で刊行数が減り、93-94年には年1回に陥っている。95年は発行されていない。江戸川橋時代の研究所は、刊行物の面から見ると「末期的」だった。それが北砂に移動した1996年からは、政経研究が年2回に安定して刊行されるようになった。
 小宮昌平 「政経研究」100号総目次掲載にあたって 政経研究 100  2013/06 1-2
 政経研究総目次 1960.8(No.1)~2013.6(No.100)   同上誌 103-128  

阿部國博 あべ くにひろ 1924-2023 1948/09 東京大学経済学部卒業後、日本鋼管に勤める。川崎製鉄所勤務。1950/05 に開始されたレッドパージで1951/01に失職。1953/06 中央経理を経て、1954/02  北区上十条に第一経理を設立。小宮昌平とは学生時代友人。その関係で小宮に誘われ早くから研究所メムバー。1957/06 税経新人会設立(幹事)。1958/08 税経新報創刊。1993/05 政治経済研究所理事 1996/05 同理事長(2000/04まで)2004/05 同会長。政治経済研究所の財政基盤の確立、戦災資料センターの建設・開設。全商連(全国商工団体連合会)税経新人会全国協議会などでの活動も知られている。
 阿部國博『自伝 多生の縁』エディポート 2003/11
 山口孝 私と政経研 政経研究時報 政経研究時報19-3  2016/12 
 早乙女勝元 私と政経研 政経研究時報 19-3 2016/12
   長谷川元彦 追悼 阿部國博氏 政経研究時報 25-4 2023/04   18

1996/11 創立50周年

山口孝 やまぐち たかし 1927-  明治大学大学院後、高校教員を経て明治大学 会計学。日本科学者会議(1965設立   日本学術会議の学会名鑑中の「日本科学者会議」)事務局長を務めていたころに、中国に長期間渡る北田芳治氏の留守居役として研究所に。1993 常務理事 1999 専務理事 2000/04に政治経済研究所理事長(2015/06まで)。2008/06に東京家政学院理事長(2014/06まで)。
 山口の指摘では江戸川橋で、小谷崇氏の努力で雑誌は継続していたが政治経済研究所はその日暮らしで困窮していた(既述の『政経研究』刊行の不安定さがそのことを傍証する)。そこで大人物である阿部國博さんを理事に招いた(阿部自身は、小宮昌平氏との縁で研究所とは古くから関係があったと証言する)。阿部の仲介で江東区砂町に土地を得ることになった研究所は、事務室、会議室、図書室の3部屋からなる建物を建てて江東区に移った。
 阿部國博 私と政経研 政経研究時報 19-2  2016/10   13-14
   山口孝 私と政経研 政経研究時報 19-3   2016/12
 
北田芳治と日本科学者会議
   北田芳治の日本科学者会議との関係を出版物で確認すると、1975年6月に出版された日本科学者会議編「インフレーションの経済学」大月書店に、書き手の一人としての登場が最初と思われる。翌年の1976年12月の「日本の科学者」11巻12号の公害をめぐる座談会に登場。「日本の科学者」では15巻2号1980年に1本、18巻11号1983年に2本寄稿している。

東京大空襲・戦災資料センターの開館(2002/03)とその意義
 
  「平和祈念館」構想が1999年に凍結され(東京都では98-99年に予算案に計上したものの、展示内容、歴史認識などが争点となり、都議会の合意が必要との付帯決議がついたことで執行が困難になった)、「東京空襲を記録する会」が都に預けていた資料の引き取りを、記録する会の代表の早乙女勝元は求められた。そこで早乙女勝元が、資料の保管場所を一緒に考えて欲しいと、知人の阿部國博が理事長を務める政治経済研究所に要請。政治経済研究所は、この要請を検討し、1999年8月に、募金により資料センターの建設に取り組むことを決定したと、阿部は前掲自伝で説明している。多くの募金を得て、センターは2002年2月に完成。2002年3月に開館。 
 
平和祈念館構想は東京都が主体となって、進めていた時期もある。したがって、阿部の心算の中で、北砂の土地の活用が具体化したのは、1999年の記念館構想凍結後だとすべきであろう。2000年3月に、センター建設計画を発表、同時に募金活動が始められた。阿部國博、早乙女勝元自ら多額の寄付を行ったと伝わる。募金総額は当初1億円。その後さらに増築のため1億円募集した。センター開館は、東京大空襲と戦災を後世に伝えるという公益性を、政治経済研究所に加えることになった。これは地図上に「戦災資料センター」が表示されることによく示される。
  

Yahoo Mapより転載 戦災資料センターは博物館という施設の性格上、地図上重視される。バス停北砂1丁目が近い。半蔵門線住吉より徒歩15分ほど。JR錦糸町南口からタクシーで10分である。

附属東京中小企業問題研究所の設置 2006/01
   濱口武人弁護士の仲介により雑誌「中小企業問題」の刊行で活動実績のある東京中小企業問題研究所(1976年4月30日設立)を統合。金光奎、三浦二郎を受け入れた。
三浦二郎 東京中小企業問題研究所の足跡 政経研リサーチペーパー No.23 2016/11

(小宮昌平、岩見良太郎、武居秀樹編 東京問題研究会著 石原都政の検証:世界都市 マネーゲーム 大東京主義 青木書店 2007/03)

公益財団法人への移行を認定された 2011/10
 財団法人から公益財団法人への移行を認定された。これに伴い、 附属の二研究所は大島社会文化研究室、東京中小企業問題研究室とそれぞれ組織変更された。

2012/03  センター開設10周年
     早乙女勝元 「歴史の記憶」から和解平和へ 政経研究 93 2009/11 94-98
     早乙女勝元「東京大空襲・戦災資料センターの趣旨と沿革」

2013/06   刊行誌「政経研究」第100号に到達
 小宮昌平 「政経研究」100号総目次掲載にあたって 政経研究 100  2013/06 1-2  

鶴田満彦 つるた みつひこ 1933-2023 東京大学経済学部卒 立正大学を経て中央大学商学部 経済理論学会代表幹事1992-1998  2015/06 政治経済研究所代表理事・理事長。
 鶴田は研究所の縁がどのようにできたかについて、最後まで語らなかった。鶴田はとくに70周年記念事業に貢献があった。鶴田の時代に政経研究時報の年4回発行が定例化している(2018年度から:これより前は安定していない)。
鶴田満彦教授 略歴・著作目録 商学論纂 46(4)   2005/05  475-483
工藤昌宏 追悼 鶴田満彦先生 政経研究時報 25-4 2023/04  16-17
齊藤壽彦 追悼 鶴田満彦代表理事を偲ぶ 政経研究時報 26-2  2023/09 17-18 

2016/11/23  創立70周年記念祝賀会 私学会館
鶴田満彦 政治経済研究所創立70周年 政経研究 107 2016/12 1-2

相田利雄 あいだ としお 1943- 東京大学大学院単位取得退学後 法政大学社会学部 労働問題や中小企業問題など 同大学大原社会問題研究所所長を務める 2019/06   政治経済研究所代表理事・理事長。相田理事長時代はセンターのリニューアルがあったのに、2020年以降のコロナ禍が重なった。戦災資料センターでは、コロナ禍で来館者や寄付金の減少が指摘されている。他方でコロナ禍で始まった、会議や研究会のオンライン(Zoom)化は、研究所がその地理的制約を離れて活動を拡大する契機となった。
  相田利雄教授 略歴・職歴等 社会志林 59(4)  2013/03  3-6
  相田利雄 政経研と私 政経研究時報 21-1  2018/07  14-16
  相田利雄 代表理事退任の挨拶 政経研究時報 24-1 2021/08  19

2020/06  センターのリニューアルオープン
   センターは既述のように、増築やリニューアルの時期があり、現在の施設条件は、このリニューアル後のものである。

研究活動の公開の現状と課題
 研究所主催の公開研究会の開催は、研究所の新たな側面と考えられる。開催場所は都心の大学の会議室で始まっている。
    初回がいつかや、いつから定例化したか、年度の設定回数の変遷などは調査中である。2009年5月20日に金森久雄氏を招いた公開講演会が明治大学研究棟の会議室で実施されている。その状況をみると、回数を打たずに開催していることから不定期開催で、会議室で実施されていることから参集人数も大きくないと推定される。回数について、公開資料で確認できた限りでは2016年度2回、2017年度3回、2018年度3回、2019年度3回(最後の1回はコロナ禍で中止)。会場はいずれも明治大学或いは早稲田大学の会議室をお借りしている。
 コロナ禍の2020年度からはzoom方式に代わり、必然的に会場は研究所に変わっている。ここから回数は年度で4回開催されている。考えて見ると、都心の大学で行われていた公開講演会が、研究所で開催されるようになったことや、回数が4回で安定したのは重要な変化である。
 なおZoom使用に伴って公開講演会では、些少の会費を一般参加者から徴収している(なおZoom使用以前は資料を配布する場合、会場で資料代500円を徴収)。会費の大きさは2022年3月以降は500円。その前は700円だった。
   このほか2016年度から研究所の現代経済研究室が公開研究会を実施しており、こちらも2020年度からはzoom方式が始まったが、無料で公開されている。zoomを使うことで、研究会参加者の範囲は、国内全域に拡大し、参加数は時に大変大きくなっている。研究所の活動は、インターネットの活用により一段大きくなる可能性を秘めている。
   出版物のPDFのネット公開も、研究所の情報発信の重要な手段になる。年4回刊行(2014年度以降年4回発行が定着)の『政経研究時報』は現在、刊行後まもなくPDFをネット公開されているが、このことは一般には知られておらず、情報の活用も進んでいない。
    年2回刊行(北砂移転の1996年以降年2回発行で安定)の『政経研究』のPDF公開は、基幹誌であるのになお部分的である。なお国会図書館によるデジタル化事業により、現在1999年分迄は国会図書館でデジタル化されたものを入手可能である(CiNii政経研究)。
   研究所では100号2013/06から114号2020/06までは冊子体でPDF化して公開している(政経研究:政治経済研究所)。ただそのあとは公開していないし、目次の公開も118号2022/06で止まっている。実は121号2023/12まで刊行は進んでいる。こうした遅れは、情報発信機関として致命的である。刊行と同時にネット上でも、目次と本文が読めることが望ましい。
   なお目次については確かにCiNiiを開けてISSNに政経研究のISSNである0287-0630を入れて検索すれば、直近までの目次が表示される。しかしその知識がある人は少ない。現在の政治経済研究所のHPは、CiNiiのpageを掲げて、ISSN番号を表示するだけで、どうすれば目次がでるかの説明がない。この点は改善が望まれる。

齊藤壽彦 さいとう ひさひこ 1945-  慶應大学大学院単位取得退学後 千葉商科大学商経学部 金融論 1970年代より研究所の研究会に出席 政経研究編集委員長    2004/05 政治経済研究所理事 2021/06 政治経済研究所代表理事・理事長 
 齊藤壽彦 私と政経研 政経研究時報 20-1  2017/09  22-23 
    齊藤壽彦 代表理事就任の挨拶と今後の運営方針 政経研究時報 24-1 2021/08 20-21 
   齊藤壽彦 代表理事再任の挨拶と今後の運営方針 政経研究時報 26-2 2023/09  14-16


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福光 寛  中国経済思想摘記
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