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葉兆言「滞留于屋檐的雨滴」『江南』2017年第3期

 葉兆言(イェ・チャオヤン 1957-  南京出身。南京大学中文系在学中に執筆始める。多作で知られる。お母さんは演劇界で、またお爺さん(祖父)は教育界でそれぞれ活躍。)の短編小説(最初に『江南』2017年第3期に発表され《2017中國年度短篇小説》灕江出版社2018,pp.153-161に収められた。)。表題《滞留于屋檐的雨滴》は、屋根の庇(ひさし)を雨が潤す、といった意味であろう(写真は東京ドームシティにて)。
 ときは1978年12月。北京で大事な三全会が開かれているとき、著者の友人の陸少林の父親が南京のとある病院亡くなったという書き出しではじまる。 
 陸少林が、母と姉がいやに冷たい雰囲気の中、父の死を悲しんでいると、お母さんがあの人はお前のお父さんではないから、と衝撃的な話をする。ところで陸少林と著者は、当時、再開された大学入試統一試験の真っ最中。しかし陸少林は、お母さんから聞かされた話で入試どころではなくなってしまう。その気持ちを葉兆言は耿耿於懷(コンコンユウホアイ 心に何か不愉快な思い:耿耿がありそれを取り除くことができない)と表現している。
 陸少林は入試に結局受からず、通信の学生になるがそれも途中でやめてしまう。陸少林の養父は中学の教師で、解放軍に入って朝鮮戦争に従軍したこともあるが、「文化大革命」のときには国民党特務(スパイ)だとして打倒された。陸少林の話では事実、国民党に参加したことがあったようだ。
 なぜ陸少林のお母さんがお父さんに冷たかったか。お母さんの言い分は、あの人は陸少林にやさしくすることで自分を責めたのだと(ここからは想像になるが、「文化大革命」のとき、養父は徹底して批判されたはず。そのことでお母さんも批判されたに違いない。お父さんに対してお母さんが引け目を感じるのは、そのとき、お母さんは本当のお父さんを庇わず離婚した可能性が高い。その裂け目が家族の間に残ったのではないか。お母さんは養父のお父さんと別れいろいろな男性と付き合ったのではないか。)。そしてお母さんは陸少林に厳命する。決して本当のお父さんを探してはいけない。その後、会いにもこないのだからと。
 陸少林は大学には進まなかったが、大学で古代文学史や古漢語の講義を聞き、調理人を務めるとともに趣味で硯を作るようになった。やがて陸少林の勤めていた店が、再開発で取り壊されると、陸少林は失職し、以後はいろいろな仕事を転職して歩くようになった。他方で硯の出来栄えはすばらしかったが、彼はそれでお金を稼ごうとはしなかった。
 陸少林は、本当のお父さんを探そうと、小説を書くことや、新聞に公告をだすことを私と相談していた。しかし陸少林は亡くなってしまった。今私は、彼の本当のお父さんと茶館にいる。茶館の外では雨がしとしと(下下停停)と降っている。屋根の庇(ひさし 屋檐ウーヤン)を雨が濡らし雨滴が垂れている。遠路訪ねてきた白髪の彼のお父さんは突然横を向くと嗚咽で、話を続けられなくなった。陸少林は小説家ではなく、小説を書くことはなかった(なお最後までお父さんの詳細は語られない。それがまた想像をかきたて余韻を与えている。)。

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