柯隆『中国「強国復権」の条件』慶応義塾大学出版会2018年4月
中国人の経済学者が中国を語るとき前提にしている知識は何だろうか。それを考えるとき、時々戻るのが柯隆(クー・ロン)の著作だ。この本は慶應義塾大学出版会2018年4月の出版(正面奥に成城大学図書館)。
柯隆は1963年中国南京生まれ。1988年来日、愛知大学法経学部を経て名古屋大学大学院経済学研究科で学び、現在は富士通総研のエコノミスト。つまり日本式経済学にしっかり浸かった人であるためか、その議論の組み立てや問題意識はとても理解しやすい。でもやはり中国人なので、読んでいてあちこちでハッとする知識があふれている。
たとえば表2、文化大革命のときに処刑された人(p.42)。張志新(1930-75),林昭(1932-68),遇罗克(1942-70)のことは知っていたけど、李九蓮(1946-77)のことは知らなかった。李九蓮は恋人に送った手紙で、その恋人によって告発された事件で、文革の非人間性を示す意味で記憶すべきだった。あるいは、表3、反右派闘争で右派とされた人の中で、「改革・開放」政策以降も名誉回復が認められなかった人(p.86)。これは、章伯鈞(1895-69),儸隆基(1896-65),儲安平(1909-66)は理解していたが、彭文應(1904-62),陳仁炳(1909-90)のことは見落としていた。反右派闘争の狙いが、共産党に代わりうる民主派の弾圧でもあったことを記憶するためにも、この5人をすべて記憶すべきであった。
なお反右派闘争で弾圧を受けた民主党派の主張については以下を見よ。
民主党派の主張 1956
あるいは曲阜の孔子廟の破壊を先導したとされる、北京師範大学の紅衛兵譚厚蘭(タン・ホウラン 1940-1982)への言及(p.115)。私は、中国の人から曲阜観光の話を聞いたときに、しかし孔子廟は文化大革命の折に徹底的に破壊されたでしょう、と言い返しかけたことがあるが、文化大革命に際しての曲阜での文物の破壊は有名だ。その首謀者が譚厚蘭である。その行為によって、北京師範大学の名前を地に落とした彼女は、1978年に反革命罪で逮捕されたが、その後、根治できない子宮がんとわかり、1982年に起訴猶予で釈放されている。ただ文革での紅衛兵による文物の破壊は、正直おぞましい。曲阜での破壊の首謀者譚厚蘭の名前はどこかで見て、しかし忘れていた。ここで柯隆が42歳で彼女が若死にしていることを書いていて、そのことにもハッとした。
柯隆の本は『中国の不良債権問題』日本経済新聞出版社2007年。『暴走する中国経済』ビジネス社2014年。などが手元に残る。時々読み返している。
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