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白山神社

 天暦年間(947-957)に加賀一宮白山神社を現在の文京区本郷一丁目あたりに勧請したのが始まり。江戸時代に入り綱吉(1646-1709  五代将軍1680-1709)の別邸(白山御殿 現在の小石川植物園)に移して祀られた経緯から、綱吉やその母桂昌院(1627-1705)の格別の庇護をうけることになった。現在地に動かされたのは明暦元年(1655年)のこと。近くにある心光寺が1653年に現在地に移されたことと符合する。
 白山神社はその後、1703年、1719年と二度に渡り社殿拝殿を火事で焼失。二度目の焼失後は、社殿のみ再建されたという。明治32年に拝殿が改築、昭和8年に大改修されたとも。現在目にする建物はかなり新しく見えるのは、この昭和8年の大改修後のものだからであろうか。ただそうだとしても二次大戦の空襲による焼失は免れたことになる。
(なお拝殿前の狛犬の台座の寄進の年号を見ると、拝殿左側の台座には弘化1844-1848再興の文字が、右側の台座には安永1772-1781の文字が読み取れる。)
 文京区の白山という町は、もともとこの白山神社の門前町が発展したもの(また花街が発達していた)という言い方がある。しかし年月を経て、その痕跡を現在の白山周辺で辿ることはむつかしい。わずかに明治時代のかなり立派な鳥居から、往時の門前の賑わいが伺えるのみである。なお境内に孫文(1866-1925)がかつてここを訪れたことを顕彰する碑があることは、中国の人たちには良く知られている。

 アクセス 都営地下鉄三田線白山駅下車すぐ。

2020年5月7日撮影
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福光 寛  中国経済思想摘記
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