6. 民主党派の主張 1956
1956年に共産党からはいくつかの重要文書が出されたが、いずれも共産党と民主党派との関係については相互監督の方針に肯定的だった。この状況の中で民主党派からは、さまざまな建言が実際におこなわれた。以下では李維漢 回憶與研究 pp.630-641(1956年統一戦線面臨的新形勢和新任務)からできるだけ、そのことに関する記述を拾うことにするが、これを李維漢はどのような気持ちで書き残したのであろうか。
重要文書については2点の記述を拾う。毛沢東の「十大関係を論ずる」(1956年4月)と、党の第八回大会報告(1956年9月)についてのものである。
p.631 (1956年)4月25日、毛沢東同志は「十大関係を論ずる」という重要講話を発表した。ソ連の経験をいましめ鑒戒として、わが国の社会主義建設の経験を初歩総括し、「党内党外で、国内国外の積極要素、直接間接の積極要素を十分動員して、わが国に一つの強大な社会主義国家を建設する」という戦略方針を提出した。党と非党の関係方面については、「二つの万歳」の思想を提出した。彼は我れ我れの方針は民主党派、資産階級のいずれもともに動員する(調動起来)ことにある。二つの万歳をすべきで、一つは共産党万歳であり、もう一つは民主党万歳である。資産階級は万歳は不要で、さらに六年(両三歳)もかまわない。我々国内には民主党派が林立し、我々が意識的に民主党派を気に掛けることは、党、人民、社会主義にとってとても有利である。すべてを打倒し、他の党派がすることを完全になくして、ただ共産党の方法だけを残すこと、同志の中に違う意見がほとんどないこと、人々に何も検討させないこと(無所顧忌)、このような仕方はとてもよくない。これはその後、党と民主党派の長期共存、相互監督の方針にまとめられた(概括)ところである。
p.632 (1956年)9月に中央は偉大な歴史意義のある党の第八次全国代表大会を開催した。大会は指摘している。社会主義制度は我が国にすでに基本的に建設されている。国内の主要矛盾はすでに労働者階級と資産階級との矛盾ではなく、人民の経済文化の迅速な発展需要に対して当面の経済文化が人民需要を満足させられない状況との間の矛盾であり、全国人民の主要任務は社会生産力の発展に力量を集中し、国家の工業化を実現し、人民の日ごとに拡大する物質文化需要を着実に満足させることにある。(確かになお)階級闘争はあり、人民民主独裁を強める必要はあるが、その根本任務はすでに新たな生産関係の保護と生産力の発展にある。大会は人民民主統一戦線を今一歩強化することを求めるとともに、合わせて党と民主党派の長期共存、相互監督の方針について掘り下げて記述している。
p.636 (1956年)6月から年末まで。この期間、ソ連共産党第20回大会(1956年2月)はスターリンを全面否定したことから、国際反動派は無産階級独裁攻撃と社会制度逆流に沸き立った。党内外で群衆の一部は思想不安定(動蕩)になった。毛沢東同志の『10大関係を論じる』講話が党内外に広範に伝達されると、人々の政治熱情は刺激され、統一戦線内部に民主活発化の局面が表れた。年後半社会主義改造が全国範囲で基本完成。資本家は企業を提出(交出)した。衣冠が整い、気持ちも高ぶり、一部の人は我々に対しより多くの政治権利を求める動きを表面化させた。このような内外の要因の影響のもと、7月10月の座談会で、章乃器と章伯鈞は代表して、党の指導、国家政治生活の多方面の問題に鋭く厳しい批判を提出した。
1. 党と民主党派の長期共存、相互監督の方針
党外の人士は党に対し、この方針に満足と支持をあまねく示した。「思想上の大解放」「民主党派の新生命の開始」と認識され、民主党派の任務と前途を明らかにした。ある人はこの方針は(共産)党内で徹底(貫徹到底)されないことを憂慮(顧慮)し、ある人はこの方針は一種の策略で、対外宣伝のためで民主党派の人心の安定のため、のものだとした。
民主党派の中共監督問題では、章伯鈞らの人々は以下を提案した。第一、監督は法律的に保障されるべきで、民主党派は担当政府部門に質詢権を保有すべきである。第二。民主党派は人民代表大会で資本主義国家の「議会党団」と類似したものの設立が許され、各党派の「議会党団」は単独で内外記者に発表権を保有する。第三。政府部門と政治協商会議は民主党派が提出した批判と建議を、誠実に処理、対応せねばならない。
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2. 党と資産階級の関係
章乃器は中央統一戦線部が階級闘争を粗略に行っていること(簡単化)、統一工作の凡庸化(庸俗化的傾向)を厳しく批判した。一部の党員、進歩分子が党の和平改造方針を疑ったり歪曲していると非難、執行は78%に及び、商工業者は情のない仕打ちを受けたとして、三反五反案件の再審査を主張、処分が重すぎたものの名誉回復(平反)を求め、次のように言った。「現在工商界はただ頭を半分上げたところだが」、工商業者に自らをさげすむ必要はない、勇敢に闘争に立ちあがれと呼びかけている。章乃器のこの観点は、当時一部の民主人士資本家から歓迎され共感された。
3. 党と非党の関係
羅隆基,章乃器などは、共産党員と非共産党員が不平等だと提起した。党外人士は党員を恐れ、党員を見るとその意のまま(唯唯諾諾)自分は党員より下位だと感じている。
座談中、党外人士の職はあるが権利がない(情況は)あまねく見られ、章乃器は彼の糧食部長としての職と権利は「闘争して得たものだ」と言った。多くの人が党員幹部の傲慢、大衆から乖離した官僚主義に強い不満を持ち、「現在の官僚主義のひどさは国民党よりひどい」とさえ言っている。
4. 人民政治協商会議について
この数年の政協の拡大した扱いと、工作内容の充実には満足が示された。一部の人は政協委員が政治待遇で普段はなにもすることがないとして、「開会されると熱くなり」「閉会されると冷え切って」「政協は座談の組織、挙手の機構」になってしまったと批判している。章伯鈞は中国は両院制を実行するべきだと主張、政協を建議、監督、審査の機関、資本主義国の上議院に相当するものに変えることを主張している。彼はまた民主党派の指導者たちが政治討論会を開き、定期的に国家の大事を討論し、(共産)党と政府に政策方針の建議を提出するとした。彼のこの主張は、高級民主人士の反応が冷淡であったため取り下げられた。