于子三事件と胡適 1947/11/03
于子三(1924-1947)は浙江大学学生自治会会主席だった人物。当時、共産党は学生運動に浸透していた。これに対し現地の国民党特務は、学生運動の背後を調べる目的で10月26日朝早く、前日の夜、友人の結婚式に出席していた于子三を拉致した。その後10月29日、留置所内で自殺したとされた(于子三慘案)。背後関係を調べるため、拷問を加えられて殺された可能性は高い。国民党側は、浙江大学のある杭州市を封鎖して、事件の拡大を防ごうとした。他方、共産党側はこの事件を最大限利用して、学生運動を拡大しようとした。当時、浙江大学校長は竺可楨(1840-1974 開放後の中国に残ったことでも知られる)。北京大学校長の胡適のもとには11月3日、北京大学の学生代表が来訪し于子三事件を訴えた。胡適は竺可楨に連絡をとって、事実関係を確かめると学生たちに答えている。(《胡適談話》載《胡適全集 胡適時論集6》中央研究院近代史研究所2018年p.136)。(写真は傳通院山門。2011年3月落慶。施工は大林組・金剛組。現代の仕事であるが大変見事。)
今日(1947年11月3日 訳注)午後、本校(北京大学)学生代表三人が、浙江大学学生于子三が逮捕後自殺した件で私に面会を求めた。彼らは、本校の学生たちはこの事件に大変憤慨していると報告した。私はこのことを報告で知って今日中に浙江大学の竺可楨校長に至急電報を送り、彼に詳しい情報を電報で報告をお願いする(と答えた)。私は学生に沈着(鎮静)を保つように希望した。まずは明白な事実を調査する必要がある。併せて到達すべき目標を明確にすべきである。私が考えた到達すべき目標は二つあり、(1)この事件に直接関係する人物は厳罰に処すべきであること。(2)類似の事件が再度発生することを避けること。これらの目標をいかに達成するかは冷静に考えるべきで、決して軽はずみに、授業放棄やデモなどの行動をとってはならない。というのは学業を犠牲にすることは、外部で発生したこの事件に見合うことではなく、抑えらえた断固とした態度のもと、話すことには力があり、話せば人はそれを聞くからである。そうしなくて自ら乱れるようでは、決して外の局面に対応できないからである。私が竺校長に送る電報は、今すぐに発出される。竺校長の返信を得てから、適切な時に皆さんに実情報告をお伝えしたい。
中国散文選目次
#胡適 #于子三 #浙江大学 #北京大学 #竺可楨 #傳通院