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岡本隆司『近代中国史』2013

岡本隆司さんの本を読むと、中国についてああそうなんだと何か少しわかったように思ってしまう。それでいてそのわかりよさに少し危うさをいつも感じる。以下は岡本隆司『近代中国史』ちくま新書 2013年を書棚から取り出して再び読んだメモである(写真は飯田橋駅付近横断橋より九段方面を望む 2019年10月30日)。

p.32-33  毛沢東時代の中華人民共和国は、対外経済とほとんど断絶したがゆえに、国内の統合を果たしえた、といっても過言ではない。そして現在、「改革開放」で各地が外との結びつきを強めるために、中国の統合が揺らぐ可能性があって、いよいよ政治的思想的な統制を強化せざるを得なくなっている。

p.39   14世紀・・・10世紀以来、温暖に転じていた世界的な気候は、この時ふたたび寒冷化し、それにともなって、疫病も蔓延した。有名なペスト流行は、その代表例である。 

p.49   中国ではこれに対し、行政機能をほとんどもたない・・・市鎮が、ぶ厚い層をなしている。
p.50   (19世紀) 中国は行政上の都市化率がはるかに低い。つまり権力のコントロールがゆきとどいていない。

p.55   軍事費と社会福祉費・・・現代日本では、前者が少なく後者が多い。あるいは前者よりも後者を、為政者が重視している。現代の中国はまったく逆である。・・・中国歴代の政権は、もっぱら軍事力を維持するために財政を運営してきた、と言っても過言ではない。

p.56   本質的には軍隊・官僚という純消費者の権力集団を養うため、つまり政府権力が自己保存するためだけに、財政が存在していたともいえる。

p.57   財政支出としては、ごく小規模な額にすぎない。・・・驚くべき「小さな政府」だといっても過言ではない。

p.58 (給与が十分ではなかったので)文官・軍人ともに、給与のピンハネ,公金の横領、賄賂・供応の授受は、当時あたりまえのことだった。それは清代に限らない。・・・現代中国・・・はどうだろう。・・・不正の常習・腐敗の蔓延は、周知のことがらである。それは伝統的に汚職を不正だとは認識p.59   してこなかった社会だからであって、決して今にはじまったことではない。(官吏の俸給の少なさと汚職との関係についてはpp.81-82にも記述がある。)

p.59   中国の所得税収入は、微々たるものである。税収全体の1割にも満たない。歳入の多くを占めるのは、法人税と日本の消費税にあたる種々の間接税である。

p.60   ごく一握りの大企業や富裕層が、大口の納税者になっている・・・中国では大企業の納める税が、財政収入を成り立たせている

p.62  清代の財政収入は地主と大商人、要するに各産業部門の大企業だけが負担していたことになり、現代と共通する特徴である。

p.63  中国の政府権力が収支の対象とした「社会」は、今も昔もきわめて狭小な範囲に限られている、ということである。

p.63  中国はこのように、権力が相手にする社会とそうでない社会とに分かれていたことになる。前者は納税に応じる一握りの富裕層の人々が構成しており、大多数の庶民からなる後者の社会を搾取していた。直接に政府権力を支えているのは、そんな納税階層だったわけで、かれらの支持を失えば、権力は存立しえない。

p.65  (現代の中国)・・・いわゆる「国進民退」の現象も、そこから生じた。国有企業が財政出動・公共事業で肥え太り、民間企業はそれによって、圧迫吸収されて没落する。財政支出はもっぱら国有企業を相手とし、民間はそこから切り捨てられる。「国」の社会と「民」の社会、いまの中国では、分かたれた二つの社会が存在しており、それは清代とみまがうばかりの姿だといっても、過言ではない。

#中国 #岡本隆司  

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