今井・渡邊「民営化の是非」2008/2013
以下の3つを取り上げる。
①今井健一「企業所有の収斂:民営化への道」今井健一・渡邊真理子『企業の成長と金融制度』名古屋大学出版会2006年、122-149所収
②今井健一「国有企業改革 民営化の是非」関志雄 朱建栄編『中国の経済大論争』勁草書房2008年、30-55所収
③渡邊真理子「論争ー国有経済の堅持か、民営化か」加藤弘之・渡邊真理子・大橋英夫『21世紀の中国 経済篇』朝日新聞出版2013年、91-100所収
(写真は丸の内線後楽園駅に入線する池袋行き02系車両 2019年10月31日)
今井①は1990年代半ば、当初は中国の民営化は, 中小企業からはじまりMEBO方式management-employments-buyout(従業員全員あるいは大多数が参加する方式)が主流だったとしている(①133)。初期のものは比較的均等に振り分ける形式だったとする。やがて経営破綻した企業などについて、経営者・経営陣に傾斜した方式があらわれ、最終的にはこうした方式が主流になったとしている。簿価を下回る価格で買収する権利を与えたのは、1)過去の貢献への評価2)身分保障が失われることの代価 の意味があったとする。職務・成績に応じた賃金格差を認めることで、労働規律の改善が見られたとしている。
経営効率の改善(のための合理化)、賃金水準・配当水準・内部留保をめぐって、従業員が多数を占めるMEBOは、効率的経営が妨げられやすい。という見方が広がったこともあって、1990年代後半、経営者幹部に資本支配、民営企業による買収が中小企業民営化の主要形態になったとする(①138)。中央政府の方針転換は1998年とされている。
他方、大企業(国有大企業)については株式会社への転換corporatizationという方針が取られたが、経営権を民間に譲渡することを回避しているため、結果として上場企業の資本効率は低いとしている(①140)。
今井②は2004年の民営化論争を取り上げている。MBOを通じた国有資産の流出が生じているとする郎咸平がしかけた論争である。
最初に問題にされたのは、地方企業が保有する郷鎮企業の民営企業家への売却をめぐって、地方政府による債務の減免措置、損失(貸倒引当金 在庫評価損など)の前倒し計上、純資産を大幅に下回る価格での保有株売却が生じたとの指摘である。
次に問題にされたのは、より一般的に国有企業の経営陣への所有権への移転について、企業成長に貢献したという理由で経営者・経営陣に所有権を移転することの合理性である。所有権を移転せずに業績に応じた給与などのインセンテブを払えば、企業経営の効率化は可能と主張されたとしている。同様のインセンテブ論は、北京大学の林毅夫も1990年代半ばから行っていた。
論争はこの郎―林と、張維迎ー周其仁らの、経営者の報酬を株式所有という形で具現化することが正当かつ効率的という主張とが、ぶつかる形になったとする(②40-41)。
おそらく政策当局にとって重要なことは、民営化に批判的な国民が少なくないことが浮き彫りになったことである。結果、2005年4月に国資委と財政省は連名の通達で、総資産4億元以上の大企業に関して経営陣への国有株譲渡を原則禁止し、それ未満の中小企業について第三者による改革案策定を義務付けるなどの方針を打ち出した(②46)。
渡邊真理子③はその後について述べているが、郎による2004年の批判を買収価格のデリケートさを無視していると批判している。ただその論拠は、買収する側の経営立て直し能力が買収価格に影響するというもので(③114)、一見、荒唐無稽の主張にも見える。
企業買収では、買収価格の客観性を買収する側、被買収側が争うのだが、買収する側の経営立て直し能力といった計量しがたい要因をいれれば、客観的な数値の算定は最初から不可能だろう。したがって買収の数値の算定にそもそも立て直し能力は入れようがないように思える。確かに、立て直しするためにはこの価格で買い取りたいといった問題はある。立て直し能力によってその価格が違うことも事実だろう。しかしその場合も数値の客観性を出そうと互いに努力するはずである。議論しているのはその客観性である。
このような渡邊の郎批判の意図はどこにあるのだろうか。渡邊は「国進民退」を批判し、郎による批判以後の政府の方針転換がその後の「国進民退」を導いたと批判している。その結果として、現状は完全な国有経済に戻るわけに行かず、完全な民営化へも進めない状態(③94)にある。その発端になった郎の議論の脆弱性を指摘したいのだろう。しかし私見では、渡邊による郎批判は成立しない。
また経営陣への所有権の譲渡にも、合理性を欠いた面があることを認めた方が良いように思える。経営者に株式という所有権を企業を支配できる大きさで与えることは、経営への貢献とは無関係な子孫にまで受け継げる形で企業の所有権ー支配権を与えることになり、これは私物化であり合理性を欠いている。郎ー林の主張は正しいと私も考える。