イナカとコドモ②
どうもヒロシです。
前回に続き、イナカとコドモ。
前回は「オトナっておもろい!」をどう社会やコドモに還元していくか?
みたいな感じの話でしたが。
じゃあコドモとイナカの関係は?って話を。
今回も、とある田舎の農家さんちの話。
その農家さんちの高校生のお子さんは、地元の人口減少や高齢化が進み、後継者不足や起業する人の減少で町からお店が減っていってしまっていることにさみしさと危機感を覚えたそう。
町からお店が減れば町の魅力は薄れ、賑わいが消え、さらに人口が減っていく。もし久々に帰った地元がゴーストタウンのようになっていたら悲しいですよね。
そこで高校生たちは、町で(地元で)起業するプロセスを学びその魅力を伝えるため、まずは自分たちがカフェを開く経験をしようと場所を探し期間限定でお店を開いたそう。
この話を聞いて、例えば自分が育った都内のあの町で、そんなことを考えた高校生がいただろうか?考えたとしてそれを実践する環境があっただろうか?と考えた。きっと当時(もう20年弱も前の話だが)、そんな危機感も環境もあの町にはなかっただろうと思う。
話は飛びますが、今移住してきた神戸市郊外の北区にはいくつかの町があり、それぞれに特色がある。かつてのニュータウンブームで一大住宅地となった町。郊外らしく道の駅とイオンで週末にぎわう町。そして、ザ・農村。
それぞれに魅力があり課題があるが、総じて言えるのは高齢化と人口減少、いびつな人口ピラミッド。そんな共通の課題を抱えながらも、中でもいち早く対策に動き出した町、それが特に人口減少と高齢化の進む「ザ・農村」だ。
課題が顕著なぶん早い段階で危機感が生まれたのか?ニュータウン住民よりも土地に愛着がある分、何とかしたいという思いが強かったのか?気質として移住者や新しいチャレンジを受け入れる土壌があったのか?
少なくとも、危機感は他の地域より強かったと思う。
話は戻って、その高校生のいる町も、ザ・農村。自分が移住してきた町も、ザ・農村。高齢化と少子化の急先鋒。。
そんな農村で感じるのが、「コドモを見守る目」と「チャレンジのフィールド」。
まずもってコドモはとっても貴重な存在で、村の未来だ。どれくらいの人がそう思っているかは分からないが、でもやっぱり地域が見守っているなという感覚がある。マンションの隣の部屋にだれが住んでいるかも分からない都会と違って、歩いているコドモがどこの子かだいたい分かる、というのもあるかもしれない。「赤の他人」ではなく「知人の子」、ってだけで「甲子園の外野席の観客」と「ベンチ入りした高校球児」くらいの格差がある。知らんけど。
そしてそんなコドモたち、若者たちが何かやろうと思った時にはきっとフィールドを提供してくれる。
何故なら場所があるからッッ!!!人口密度ッッ!!!!!
というノリはさておき、農村にもこれからの多様な生き方があふれる社会を楽しく生き抜く力を養う環境はあると思うのだ、というお話でした。たぶん。
農村は都会に比べれば色んなものがないし、暮らしは不便かもしれない。
でもそれぞれの家が自給自足していた時代からさほど変わらない環境が残っているということでもある。ある意味、半ベーシックインカム(カロリーベース)が可能な社会。だからこそチャレンジもできる。
失敗したって米作っときゃあ死なないよ、ってことでとっ散らかってきたのでこの辺で!