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自然と人工

自然とは何か?人工とは何か?この問いは意外に難しそうだ.人工とは人の手が加わったものを人工と呼ぶのだけれど,まずは人とは何かが曖昧なので,人工と自然の境界を,具体的な例を元に考え出すとよくわからなくなる.例えば,里山は人工なのか自然なのか?火山は限りなく自然に近いように思えるが,地球温暖化が影響しているなら,多少の人工が入っている.
 すなわち,人類が誕生して,人工物や人工のものが生まれたことだけは明らかなのだが,人工と人工ではないもの,すなわち自然の境界は常に曖昧で,さらに技術が進む未来においても,その境界はずっと曖昧なままに残されるように思える.
 自然の定義をからも同様で,自然とは人為が加わっていないありのままの状態ということだが,自然を定義するにも人を定義しなければならないので,人工と同じ議論になる.
 ただそれでも,人工と自然の違いはあると考えるのが普通で,人工とは,特定の人間の意図によって,特定の目的の基に作られ,特定の役割を果たすものと感じているように思う.
 里山は人間の手によって作られるが,放っておくと,人間の意図や目的を超えて,自然と融合して成長するようなところがある.そうなると単なる人工ではなくなり,自然と融合していく人工ということになる.里山だけでなく,朽ちた建物も,古びた道具も,時間が経てば全部自然と融合していく.
 そうした里山に似ているのが,コンピュータやロボットだ.コンピュータやロボットは単なる道具ではなく,センサとアクチュエータ(モータなど)を持ち,知覚し行動できる.特に近年のコンピュータやロボットは,設計者が想定していなかった振る舞いすることがある.その振る舞いはエラーではなく,利用者が受け入れられるようなものなのたが.おそらく仕組みが複雑になり,設計者が全てを理解することができなくなっているのだろう.そう考えると,コンピュータも自然に戻ろうとする里山に似ている.
 これからの未来社会は、人間は人工物(コンピュータやロボット)に囲まれながらも,人工物は人間の当初の設計意図を超えて自律的に活動するようになるとともに,人間はそうした人工物に適応しながら,生きていくようになる.そして,そもそも人工と自然の区別がつきにくいように,人間と環境の区別や人間とその他のものの区別はさらに,つきにくくなっていく.
 これまでは人工物の時代だと言われていたが,それは人間と融合しにくい人工物の時代で,融合しにくいが故に,人工物が目立ったのだろう.これからは,人工物を意識しないで人工物を受け入れ,人工物と共生する時代になる.

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