取材旅行中に遭遇した驚愕のUFO事件「オレゴントレイルUFOミステリー」
Youtube https://youtu.be/SdbAla_O5lw
宇宙現象観測所センター(SPOC)https://www.youtube.com/channel/UCTqD750RqvlJ1Q0uYlDxSMQ/feed
北島 弘 宇宙現象観測所センター 代表
監修:黒崎 明 宇宙現象観測所センター特別顧問、 元東京大学教授
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筆者の知人である紀行作家、ノンフィクション作家、編集者として著名な芦原 伸(あしはら しん)氏が取材目的のアメリカ大陸横断中に遭遇した驚くべき不思議な事件を、筆者が宇宙現象観測所センターを運営していることを知って「初めて話すけど実はこんなことがあったんだよ」と、語って聞かせていただいた。
筆者が受けたその衝撃の話を、芦原氏自身が事件後にどこにも発表せずに大事に残しておいた文章と共に紹介したい。(挿絵はイメージとして筆者が画像生成AIを利用して描いたものである。芦原氏が経験した時の情景を正確に表したものではないことは断っておきたい)
不思議な体験だった。忘れもしない、1989年10月、アメリカ、ユタ州での出来事である。
カメラマンのサミーと二人で、「オレゴントレイル」の取材旅行の最中だった。オレゴントレイルとはアメリカ西部開拓の本街道で、ミズーリ州のインデペンデンスを起点に西海岸のオレゴン州、ポートランドへと至る「北西への道」である。
かつては幌馬車隊が長い隊列を組み、インディアンと戦いながら、険しいロッキー山脈を越えた。街道の要所には砦が築かれ、今もララミー、シャイアン、イエローストーンといった西部劇ではお馴染みの懐かしい地名が残っている。
開拓者の家族は四、五カ月をかけてこの苦難の道を旅したが、縦横にフリーウェイが走る今は、ゆっくり旅をしても数日で踏破できてしまう。
ロッキー山脈を越え、スネーク川沿いに走り、明日はいよいよオレゴンに、という前の晩のことだった。
「見ろよ。あれは何だ?」
車を運転するサミーが突然、指を窓外に向けた。見ると、赤い物体が燃えながら夜空をゆっくりと斜めに降下していた。
「ヘリコプターの墜落事故か?」
アメリカの中西部では自家用機は珍しくはない。日本とは異なり、ヘリコプターの墜落事故はそんなに珍しいことではないのだ。
ゆるゆると燃え落ちる物体は、確かに小型の飛行物体のようだった。しかし、よく見ると、もう一つ別の黒い飛行物体が並走飛行しているではないか。それはあたかも墜落機を側から見守っている親機のように見えた。
「まさか、UFOじゃないよな」
冗談を言ったその時である。
気がつくと、知らないうちに私たちは今までの広い三車線のフリーウェイから外れ、突然暗い田舎道を走っていた。
「サムシング・ストレンジ(おかしいな)」
サミーが声を落として呟いた。
フリーウェイは日本の高速道路とは違い、料金所やランプはなく、途中の小さな町やガソリンスタンドに降りる出入口は細かく設置されている。
しかし、サミーは小声で、
「ハンドルを切った覚えはない」
と言った。
田舎道は未舗装で暗く、所々に水たまりがあった。牧草地を走る農道のようなオフロードで、周囲には家の灯はなく、背丈ほどの野草が路肩を覆っていた。しかも車はどうどう巡りをするように、どこまでも同じ風景の中を走っているのだ。
「あっ!」
阿鼻叫喚の世界とはこういう風景のことを言うのだろうか。
一面の焼け野原にウサギやヒツジ、ヤマネコの焼死体が転がっていた。草木は枯れ果て、焼き尽くされ、焼けただれた岩だけが空しく荒野に取り残されている。
「ファイア!(火だ!)」
火の玉がフワリと空を横切ったかと思うと、それは巨大な金の延べ棒のように火柱となって地面に直立した。
それ以降のことはサミーと私の記憶は一致していない。 突然の恐怖から記憶の糸が混乱したのかも知れない。サミーはその後、さらに闇を走るムース(大鹿)の大群を幻のように見たというが、私の記憶にはその幻影はなく、ただ夢中になって引き返したことしか、意識の中には残っていないのだ。
しかし、難を逃れて、ともかく知らぬ間に、ふたたび、私たちは同じフリーウェイの上を走っていた。わずか三時間ほどの出来事だった。 その後、ポートランドで私たちは別れた。
旅の成功を祝し、互いの健康を祈り、カリフォルニアの白ワインで名物のクレイフィッシュ(ザリガニ)を食べながら乾杯した。「写真にとっておくべきだったよ。あれはきっと高く売れたぜ」
サミーが髭面の顔をくしゃくしゃにしてウィンクした。
新聞にも、テレビにも件の「出来事」の報道はなかった。
ユタ州はソルトレイク(塩湖)で知られ、荒野と砂漠が続く地形である。
本物のUFO事故か、原発実験か、真相は想像の闇の彼方だが、広いアメリカではこんな「個人的体験」は日常茶飯事なのかも知れない。
と、ここまでが芦原氏の驚きに満ちた記録である。
なにか凄まじいUFO接近遭遇事件のようだ。
芦原氏の文章にある、気がつかないうちに広いフリーウェイから突然、田舎道をはしっていたとか、二人の記憶が一致していなかったとか、再び知らない間にフリーウェイに戻っていたということから、二人の記憶に残っていない何か特別なことが起こっていたと考えられなくはないと思うのは筆者だけだろうか。このことに関して芦原氏自身に確認したが、時間の消失はなかったと記憶していると語っている。
今回の事件の場所を検証してみたい。
「1989年10月、自動車でミズーリ州のインデペンデンスから西海岸のオレゴン州、ポートランドへと至るオレゴン・トレイルで、ロッキー山脈を越え、スネーク川沿いに走り、明日はいよいよオレゴンに入る」ということから、生成AIでその事件の場所が特定できないか、検証してみた。
そうすると、「1989年10月にオレゴン・トレイルを旅していた場合、ロッキー山脈を越え、スネーク川沿いに走り、明日はオレゴンに入る予定であるという状況から判断すると、現在の場所はアイダホ州とオレゴン州の州境付近である可能性が高い。 アイダホ州とオレゴン州の州境地帯は、スネーク川が流れ、自然の美しい景観が広がっています。具体的な場所は難しいですが、例えばアイダホ州のボイジ(Boise)付近などが考えられます。これからオレゴン州に入る前夜の場所としては、この地域が一般的に通過される経路の一部となります。」という回答が得られた。 地図の赤丸のあたりになる。
次にアメリカ国内で航空機やヘリの墜落事故が当時報告されていたかどうかを調べるために「航空機事故データベース」などを調べたが、それらしい事故を確認することはできなかった。
UFOの墜落事故もMUFONなどの主要研究団体のデータベースを検索したがアメリカ国内ではなんら当時の記録は残されていなかった。
では、他にこの事件の目撃者や類似のUFO・UAP事件が報告されていないかを調べたが、事件の直接の目撃者の記録は見つけることが出来なかった。
しかし、同じ10月にアメリカのすこし違う場所で大きな事件が報告されていたのを発見した。
それはモハベ砂漠事件あるいはモハベ事件として有名である。
その事件とは、1989年10月21日の夜、アメリカ南西部のモハベ砂漠に9つの光る物体が忽然と現れ、夫婦がUFOから現れたエイリアンによるアブダクションに遭遇したというものだ。
彼らはUFOを目撃し、数日後夫婦は異常な経験を訴え、共通の記憶としてUFO内で様々な経験をしたと述べた。 二人は身体的変化や時間や記憶が失われていることを報告し、地元当局や研究者らの調査が始まったのだ。 このモハベ事件の真相も依然として謎のままとなっている。 モハベ砂漠は米国南西部の4州にまたがる広大な砂漠で、多くのゴーストタウンがある場所だ。モハベ砂漠の片田舎のカフェに起こる様々な人間模様を描いた名作映画「バグダッドカフェ」が有名だ。今回の事件からは南に954㎞も離れている。東京から鹿児島の桜島位の距離だ。
火柱が地面に直立した点に限れば、このモハベ砂漠事件は芦原氏の事件と同様、火柱が出現したとの話もある。
時期は異なるが、ユタ州ソルトレイクシティ南西にあるグレートソルトレイク砂漠内に位置するダグウェイ実験場の砂漠でも光の柱が目撃され、その光の柱の周りを飛行するUFOが目撃されたという記録もある。
少しさかのぼって、3年前には、米国アラスカ上空で日本航空B747機による巨大UFO遭遇事件が発生している。1986年11月17日にJAL1628便が、巨大な謎の飛行物体に遭遇した事件として世界的に有名な事件となっている。
同じく3年前、日本の調査船が海上で調査員や船員など多くの人が巨大なUFOと遭遇した有名な事件として開洋丸事件もある。1984年12月18日にフォークランド諸島近辺で最初の遭遇があり、
1986年12月21日にもウェーク島近辺で遭遇している。
開洋丸は水産庁の漁業調査船である。事件の詳細は「調査船「開洋丸」が遭遇した未確認飛行物体の記録」として「日経サイエンス」1988年9月号に発表された。専門家や科学者たちによるレーダー観測が伴った重要な事件となった。大きな重要な事件であるがいまだに謎のままである。
と、この頃にはそれまでには無かったような、いくつかの大きな事件が発生していたことがわかる。
今回の事件で一体何が起こっていたのか筆者が独自に想像してみよう。
オレゴントレイルのハイウェイを走っていた芦原氏とサミー氏は本業である取材旅行の最中だった。ちなみに芦原氏とサミー氏はそれまでUFOや宇宙人などに特別興味を持っていたわけではない。
アイダホ州のボイジ(Boise)付近に差し掛かったころ、この遭遇事件が始まった。1989年10月の夜の出来事である。
突然、赤い物体が燃えながら夜空をゆっくりと降下しているのを発見した。ヘリコプターの墜落事故か小型の飛行物体のように思えた。もう一つ別の黒い飛行物体が、あたかも墜落機を側から見守っている親機のように、並走飛行している。
「まさか、UFOじゃないよな」とその時、この上空で起こっている驚愕の出来事に、恐怖を感じながらも落下していく燃える飛行物体を追いかけるように、知らないうちにハンドルを切っていた。あるいは、この飛行物体の母船からの何らかの操作によって、見てはいけない事故を見てしまったとして、その現場から瞬間移動させられたのだろうか。
結果、広い三車線のフリーウェイから外れ、突然暗い田舎道を走っていたのだ。
その後、草木は枯れ果て、焼き尽くされた一面の焼け野原にウサギやヒツジ、ヤマネコの焼死体が転がっていた驚きの光景を目にしている。
実際に飛行物体が墜落したかあるいは燃えて破壊された飛行物体の一部がそのあたりの地上にまき散らされたことによる土壌汚染や熱により小動物や植物に被害が出たのだろうか。
しかし、当時墜落事件としての記録は無いことから、飛行物体の墜落は何らかの方法で免れたか、あるいはとうとう最後に墜落したが、傍らを見守るように飛行していた母船のような飛行物体が墜落機を回収して飛び去ったとも容易に想像できる。芦原氏らは墜落しつつあった火の玉状になった飛行物体が墜落し、それが母船に回収される瞬間を目撃していたとも考えられる。母船から飛行物体本体やバラバラになった一部などを回収するための巨大な火柱のような、いわゆるトラクタービームのような強烈な光の束を目撃したのかもしれない。
そして、飛行物体の母船による何らかの影響で意識が再び薄れていき、知らない間に再び瞬間移動されたのか、あるいは無意識に自分で運転したのか、フリーウェイに無事に戻った。その後二人は恐怖の記憶と共に帰路についた。この間三時間くらいの出来事であった。
筆者はこれを「オレゴントレイルUFOミステリー」と呼びたい。
芦原氏はまじめな信頼できる著名な知識人ということもあり、実際に遭遇した驚愕のできごとだったものと確信している。
宇宙現象観測所センター(SPOC)