ヒト逆転写酵素はコロナウイルスのゲノム組込みを媒介できる: 米国科学アカデミー紀要に掲載された論文から
RNAコロナワクチンが逆転写されてゲノムに取り込まれる事はあるのでしょうか。インターネット上などでも議論になっているのを見掛けます。前回の続きで「コロナウイルスが逆転写されてゲノムに取り込まれる可能性」を実験で検証した結果についてです。遺伝子配列と遺伝子組換えの解析の実際がどのようなものなのか。専門技術的な話になりますので少し難しいかもしれませんが、よろしければお付き合いください。
以下、米国科学アカデミー紀要に掲載された論文の続きです。
逆転写されたSARS-CoV-2のRNAは、ヒト培養細胞のゲノムに組み込まれることがあり、患者由来の組織でも発現することがある。
Reverse-transcribed SARS-CoV-2 RNA can integrate into the genome of cultured human cells and can be expressed in patient-derived tissues
Zhanga et al. Proc. Natl. Acad. Sci 2021
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/33958444/
培養中の宿主細胞のDNAにSARS-CoV-2の塩基配列が組み込まれた。感染細胞のゲノムに組み込まれたSARS-CoV-2のゲノム配列を検出するために、3つの異なるアプローチを用いた。これらのアプローチは、ナノポアロングリードシークエンシング (Nanopore longread sequencing)、イルミナペアエンド全ゲノムシークエンシング (Illumina paired-end whole genomic sequencing)、Tn5タグ化に基づくDNA挿入部位濃縮シークエンシング (Tn5 tagmentation-based DNA integration site enrichment sequencing) である。これら3つの手法はいずれも、SARS-CoV-2の配列が宿主細胞のゲノムに組み込まれることを示す証拠となった。
この研究では、まず培養細胞に逆転写酵素を強制発現させてから、新型コロナウイルス (SARS-CoV-2) に感染させています。そして細胞のゲノムを遺伝子解析し、新型コロナウイルスがゲノムに取り込まれたかどうかを検証しています。使われた逆転写遺伝子はLINE1発現プラスミドによるもの、つまり人間がもともと持っている逆転写遺伝子です。培養細胞はHEK293T細胞。これはヒトの中絶胎児腎臓由来の細胞株で、ウイルスベクター感染実験などにしばしば用いられます。
遺伝子配列決定にはディープシークエンサが使われています。ディープシークエンサは次世代シークエンサ(Next Generation Sequencer、NGS)とも呼ばれ、ゲノムレベルの大規模な塩基配列決定に使われます。イルミナ社はディープシークエンサの代表的な企業です。イルミナ (イルミナ社のディープシークエンサ) はランダムに切断された数百万〜数億の短いDNA断片の塩基配列を同時並行的に解析します。これは分子生物学 (遺伝子の生物学)、光学 (顕微鏡技術)、バイオインフォマティクス (生命情報科学、コンピュータを使った解析技術) の進歩により可能になった技術です。DNA配列を断片化し、顕微鏡を応用した技術で多検体の遺伝子配列を並列に解析し、コンピュータを使った統計解析で繋ぎ合わせます。イルミナの技術は、2007年には100万ドルだったヒトゲノムの配列決定コストを2014年までに1,000ドルまで下げたとも言われています。ナノポアは最新世代のディープシークエンサで、DNAがナノポア (合成膜上のナノメートルレベルの極小の穴) を通過する時のイオン電流の変化によりDNAの配列決定を行います。PCRによる増幅無しに長鎖のDNAの配列を読む事が可能です。
SARS-CoV-2感染の2日後に細胞からDNAを分離し、ナノポアロングリードシーケンスで解析されました (図1 A)。図1 B-Dは、SARS-CoV-2のヒトゲノム挿入解析の1つの例です。図1 B 左が模式図、右が詳細です。
図1 B 左を見ると、2つのヒトゲノム配列 (青色) の間にSARS-CoV-2配列 (ピンク色) が挟まれています。右は該当するリード (read) です (リードはディープシークエンスで決定される1つ1つのDNA断片の配列) 。対応する遺伝子配列が何に由来するかを見つけ、組換え点の詳細を調べるのが遺伝子組換えの標準的な解析です。リード上のヒトゲノム配列 (青色) はX染色体上に見つかるので (図1 C)、X染色体に由来する事が分かります。ピンク色はSARS-CoV-2配列の両端付近に見つかります (図1 D) (実際には逆転写をして、相補的な配列に変換するという作業が必要になります)。この例では、ほぼ全長のNCサブゲノムRNA配列 (1,662bp) がX染色体に組み込まれているという事が分かります。
さらに詳細に見ると、ゲノム上の20 bp (ビーピーまたはベースペアと読む。塩基対の意味でDNAの配列を数える単位) の配列が重複しています (図1 B 右 緑色枠)。このような標的部位の重複はLINE1によるゲノム挿入の特徴です。隣接する配列にはLINE1エンドヌクレアーゼのコンセンサス認識配列 (TTCT) が含まれていました (図1 B 右)。これらの結果から、SARS-CoV-2の配列はLINE1を介したレトロポジション機構によりヒト培養細胞のゲノムに組み込まれる事が分かります。
この遺伝子組換えが遺伝子解析のエラーではない事を確認するために、別のシークエンス法も試されました。HEK293T細胞から分離したDNAはイルミナペアエンド全ゲノムシーケンスでも解析されました。イルミナシークエンサでは一度に読める配列は短い (この解析では151ヌクレオチド) のですが、ペアエンド法ではDNA断片の両側から151ヌクレオチドずつ解析する事ができます。この解析法でもやはり、SARS-CoV-2のヒトゲノム挿入 (この例では12番染色体に挿入) が確認されました。
表1は逆転写によるSARS-CoV-2の挿入の総括です。ウイルスゲノムの挿入はほぼすべての染色体で見つかりました。見つかったのは合計63例です。SARS-CoV-2配列の約32%(ナノポアでは6/21、イルミナでは4/10)は、LINE1認識部位の証拠が見つかりませんでした。この事からLINE1の逆転写酵素以外の別の逆転写酵素による逆転写とゲノム挿入もあるのではないかと考えられます。
ゲノムへの挿入はエキソン/非翻訳領域、イントロン、遺伝子間領域のどこでも起こっています (図1 F)。(遺伝子は染色体上ではエキソン (+非翻訳領域) とイントロンに別れています。遺伝子のうちmRNAになる部分がエキソンと非翻訳領域領域で、遺伝子は転写後にイントロンを切り離すことでmRNAになります。これも機会があればまた説明します。)
つまり、ヒトゲノム由来の逆転写酵素発現下でコロナウイルスRNAが存在すると、逆転写されてゲノムに挿入される場合があるという事です。この実験では逆転写酵素を強制発現させた結果を観察していますが、ゲノムへの挿入は63例見つかりました。では、逆転写酵素を強制発現させなかった場合はどうでしょうか。引き続き次で見ていきましょう。
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