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妄想と欲望という名の夢か誠か 第五話~壁~

妄想と欲望という名の夢か誠か 第五話~壁~

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接近


「遅いよ! 何やってんだよ!あのクソ女」
  幸夫は毒づいた。
  駅前の時計台に夕方六時。約束はその時間だったはず。だのにあの女は一向に現れない。
  スマホの時計は六時二十分を過ぎていた。
  基本他人と待ち合わせなどしない幸夫は、『待つ』という事に慣れていなかった。遅れる理由やその背景などに、寛容に想定する余地など彼にはない。しかし、『待たせる』事に関しても、さらに無頓着。『こちらも事情や予定があるので』という体で、自分が遅れる事に関してはあーだこーだ屁理屈を並べ立て、結果的にその約束は自分の中での『最優先事項』ではないと片付ける始末。
  悪い意味で器用な男でもある。

  夕方の駅前は人の往来が激しかった。学校や会社帰りの、どちらかと言うと若い世代の連中が、有象無象に駅から排出されては、駅に吸いこまれていた。
  そんな中、人混みに紛れるようにと、白無地の肌シャツのランニングに、ハーフパンツ、サンダルに、マスクと何のロゴか分からないキャップという出で立ちの幸雄。
  しっかりとスーツや、流行りのファッションで固めている世代が往来するその時間帯では、異様に浮いて見えた。さらに時計台は駅の改札口と向かい合わせで、駅から出てきた者からは、否応なしにその視界に彼が入ってくる。大多数は笑いを堪えながら、一瞥して侮蔑の色を垣間見せるなど、一様にその不協和音を面白がっていた。

   加奈子もその中の一人だった。
  六時少し前に駅に着いた彼女。駅から出ようとした刹那に、あからさまな扮装の男を発見し、約束をした相手だとひと目で理解した。    しかし、この激しい人波の中で彼と落ち合う事には、躊躇せざるを得なかった。
  いつ何時でも、『美』に余念のない彼女は、ラフな服装であってもハイブランドのアイテムでコーディネート、まさに女性誌の表紙を飾るような、一際目立つ、人目を引く佇まい。否応なしに目立つのは避けられない。
  そんな正反対の意味で目立つ二人が落ち合うなど、彼女の中では有り得なかった。その光景はきっとなけなしの金をはたいて、高級デリヘル嬢を買った中年男性とその女、若しくは変態ストーカーとそれに付きまとわれる美女、そんな構図にしか見えないだろう。
  それ故に彼女は、人混みが一段落つくの待っていたが、その波は一向におさまらなかった。
  口元に爪をあてがわせ、擬似的に爪を噛むイメージをする。
『こんな事に時間を割いてる暇は無いんだから!』
   気持ちを奮い立たせて、彼女は駅から飛び出た。歩を進めるに連れて、周囲からの羨望の眼差しが集まって来るのが分かる。それを紛れもない『美』で弾き返しながら、一直線に時計台を目指す。
   

  幸夫はヤキモキしていると、遙か数十メートル先に周囲とは違った輝きを放つオーラを発見する。眩いばかりのその煌めきは、彼に向かって一直線に突き進んで来る。
「はぁっ!うぷっ!」
その美しさに幸夫は息を飲む。

「あなたね。電話をしたのは。」
気がつけば、その煌めきは彼の目の前に立っていた。
「あ、は……そうだ」
  そのオーラに気圧され、つい『はい』と言いそうになるのを寸前で堪える。
「手短にお願い。要求は何?」
冷たくその煌めきは言い放つ。
「こ、こちらも、な、何かと、も、物入りでね」
  平静を装うが、どうしても声が上ずってしまう。
「結局お金ね。分かったわ。その代わり、これっきりにして、あの日の夜の出来事は忘れてくれる?」
「そ、それは、あ、あんた次第だよ。」
  テレビドラマで覚えたセリフを、ぎこちなく反芻する幸夫。
「あんた、クズね!で、いかほど?」
  うんざりしたような表情で返す加奈子。
「とりあえず、じ、十万、十万だ!」
  受け取れると分かった幸夫は、興奮気味に言い放つ。
「十万!  本当に十万?」
  加奈子は目を丸くして驚いた。てっきり百万単位で要求されると踏んで、五百万用意して来たが、その予想を遥かに下回る額に焦りさえ覚えた。
「そうだ。十万」
加奈子は周囲の目を気にしながら、バックの中の財布から、十万円取り出し、幸夫に手渡した。それをまるで物乞いのように彼女の手から奪い取り、ズボンのポケットに突っ込む幸夫。
「じゃ、用件は終わりね。私たちもこれで終わり。さようなら」
  そう言うと加奈子は駅に向かって歩きだした。もうこの時点でこの男とは、なんの接点もない赤の他人。
「そ、それはあんた次第だからな!」
  遙か遠くで誰かの遠吠えが聞こえたが、それとはもう無関係。加奈子は気持ちを切り替えた。今日はあのテレビで知った坂本社長を落とす初日。気合い入れて行かなければ!
  そう思うとまるで先程のやり取りなど、すぐに記憶の中から排斥出来る、そんな気がしてきた。

  幸夫はその十万を持って、そのまま最寄りのコンビニに突っ走った。そして、丸ごと十万円分を課金用にチャージして、ほくほく顔で自宅へと走って帰って行った。


「おう! 幸夫、お前どこほっつき歩いとったんじゃ」
  家に帰り着くと喪服姿の雅樹が待ち構えていた。
「ごめん、おじさん。今日はちょっと忙しいけ。明日バイトには来るで」
  今日は夜九時からみさきちの配信がある。それまでの時間は、イモ娘の楽曲で応援する士気を高めなければならない。
  ボソボソ声で交わして、二階の自分の部屋へ走ろうとした矢先、雅樹の手が幸夫の腕を掴んだ。
「ちょ、話を聞けや。秀夫君が亡くなったでよ、今から通夜じゃて、お前も準備して参列してやれや」
「秀夫?」
  おぼろげに顔が浮かぶが、大して交流の無かった同級生だ。彼の人生に於いて必要のない、その程度の存在だ。通夜に参列する義理もなければそんな柄でもない。
「ほら、小せい頃、よう遊んで貰ってだろえが」
  ピンと来ていない幸夫の表情に、雅樹が急かすように訴える。
「おじさん、ごめんて。今日は大切な予定を入れてるけ、この後はほんとに忙しいんじゃ」
「バカタレが!  何が忙しいじゃ!  どうせ携帯いじくって、水着の姉ちゃん見てるだけだろうが!そんなん忙しい内にも入らんし、予定とも言わん!」
「おじさんには、分からんで!」
  雅樹の暴言に腹を立てた幸夫は、その手を思いっきり振りほどいた。
「おい!  幸夫!  お前、ちょ待てや!」
  雅樹の声音が変わった。本気で怒った時の声だ。これ以上関わるとまためんどくさい事になる!  幸夫は逃げるようにして二階へと走って行く。
「ちょ待てて!  幸夫!」
「ほれ、雅樹!  ゆきちゃんもああ言っとるで、堪忍してやって」
  掴みかかろうとする雅樹を、幸夫の母親が止めに入った。
「姉ちゃんは、甘いだて!  幸夫は常識がなっとらん!  もう四十ぞ!世話になったもんの通夜くらい出るのは当たり前だろうが!」
「あん子は擦れちょらんだけ。よう頑張っとる。雅樹も仕事助けてもろうとるでしょ?」
  食らいつく雅樹に、慣れた具合に諭す姉。
「それとこれとは意味合いが全然違うって!」
姉を振り解き、二階の幸夫の部屋に駆け上がる雅樹。
「幸夫!  開けんかい!」
  大声で怒鳴り散らす雅樹。ドアノブをガチャガチャと回しては、ドンドンと叩く。
  幸夫はイヤホンを付けて、スマホと一緒にベッドとシーツの中に潜り込む。大音量でイモ娘の楽曲を耳の中に流し込み、雅樹の声を亡きものとする。
「おら! 幸夫出て来んか!  お前はそんな薄情な男や無いはずだて!  心優しい男だと、俺も知っとるで、今日ぐらいは言う事聞けや!」
  幸夫を思う優しさと怒りがないまぜになり、雅樹の発言も声の調子も、激しく波を打つ。


  ドアを叩き、暴言を吐き疲れたのか、雅樹はその声音を一気に落とした。
「もうええ。お前なんぞ知らん。もう面倒見らんけな。バイトもクビじゃ!  クビ!  もう明日から来んでええけ! もし来たら叩き殺すけ、覚えちょれや!」
  そう言って最後に思いっきりドアを殴りつけて行った。運悪く、その暴言が楽曲と楽曲の入れ替わりのタイミングに被り、幸夫の耳にしっかり届いてしまった。
  幸夫は静かになったのを確認すると、そっとシーツの中から這い出し、鼻水を噛むようにして、ティッシュで涙を拭った。
「どうしよう……これからどうやって、みさきちを応援すればいいんだ……」
  一瞬にして職を失った幸夫は、その事実よりも、みさきちを応援出来なくなる現実に涙した。



ドライマティーニ

  夜八時。
  加奈子は赤いドレスを身にまとい、とあるショットバーのカウンターに腰掛けていた。
  ドライマティーニを口に運びながら、ある男の来店を待つ。
  今日は赤いドレスとは対照的に、今日のメイクはどちらかと言うと、幼さやあどけなさを意識した、可愛らしい仕上がりだ。パッと見二十代前半と言っても通用する程に若さに満ち溢れていた。
  他の客達はチラチラと彼女に目を向け、バーテンダーでさえ、気になっているようで、事ある毎に彼女に視線を傾けていた。
「いらっしゃいませ!」
  入口のドアの開く音と同時に、バーテンダーの品のある挨拶が店内に響いた。
「いつもの」
  入ってきた客は、そう言うと加奈子とひとつ空けた席に腰を降ろした。そして、スマホを取り出し、あらゆるメッセージを確認すると、その電源をオフにした。
「お疲れ様です」
  バーテンダーが丁度いいタイミングでおしぼりを差し出し、合わせてナッツやドライフルーツの入った小皿をカウンターにそっと並べた。
「ありがとう!」
 男は爽やかにそう言うと、ドライフルーツを口に頬張った。その食べる仕草や表情が、どことなく子供じみていて、加奈子には可愛らしく映りこんだ。
「式谷君、アイドル好きだったよね?」
「お恥ずかしながら」
「誰推してたっけ?」
「僕はサンキッスです」
「あぁ!なかなかのドルオタだね」
「社長が手掛けてるのは、確か……」
「イモ娘だよ!」
「失礼しました」
「次回サンキッスのライブ、隠れゲストでうちの子達が応援に行くから、お手柔らかにね」
  彼らが何を話しているのかは、加奈子にはさっぱり分からなかった。しかし、朗らかな坂本社長の笑顔は、本当に少年のようで、見ているだけで心が癒された。
  バーテンダーと談笑中、坂本も一つ隣の席の加奈子が気になっているようだ。数秒に一度、見とれるような視線を彼女に投げかける。彼女に見とれて行くうちに、グラスの中に三つ程添えられたオリーブが、坂本の目に入った。
「珍しい飲み方ですね」
  つい、口が滑ったようだ。
  加奈子は一呼吸置いて、目を丸くしながら、さぞ驚いたように振り返った。
「わ、私の事ですか?」
「そう、あなたの事です」
  優しく微笑む坂本に、負けじと恥ずかしそうにはにかむ加奈子。
「いや、お恥ずかしながら、僕もその飲み方でね」
 そう言うと坂本はグラスを手に取って見せた。そこには二個のオリーブが添えられていた。二個=二杯という意味だ。
「あら、奇遇ですね。でも周りからは大人気ない!とか笑われたりしませんか?」
「ふふ、笑われてますね。ここの式谷君とか特に」
  坂本は上手い具合にバーテンダーも話に巻き込み、和みやすい雰囲気を作り出す。
「いえいえ、滅相もない。皆さん、色んな飲み方があるので」
  バーテンダー式谷が、軽く笑いを誘う。
「お隣、空いてます?」
  先制パンチを繰り出す坂本。
  加奈子は一呼吸置いて、口を開いた。
「どうぞ、空いてますよ」



  それから意気投合した二人は十二時まで、飲んで語って、互いを認知し合った。そして、また逢う約束をし、連絡先を交換した。
  正直言うと、前回のIT企業の社長よりも、社交的で、何より将来性が高かった。坂本を虜に出来れば、ここ数年はもっと豪華に贅沢に遊んで暮らせる。加奈子は出出し上々な雰囲気にほくそ笑む。
  そして、他の男たちからもまた声が掛かり始めた。きっと見目麗しい豪華な贈り物や、あらゆる贅を凝らしたサプライズが、これからも彼女を待っているはず。

 帰りのタクシーの中、スケジュールを再確認しようと、バッグからスマホを取り出す。心なしか画面の上で踊る指先も軽やかだ。
  その刹那、けたたましい振動で、スマホは鳴動を刻み出した。
  おもむろにその着信相手の番号を見る。
  至福の笑顔も束の間、彼女は無愛想に舌打ちを打つのであった。

つづく

https://note.com/hiroshi__next/n/na5da4b834aa5





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