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B'z「いつかのメリークリスマス」の歌詞を勝手に深読みしてみた

⭐️B'z「いつかのメリークリスマス」〜歌詞に表現されている二重の死別

 素人作家、深月流架の勝手に歌詞分析のコーナー。今回は、B'zを取り上げてみました。B'zの数ある名曲の中でもクリスマスソングとして、極めて知名度の高いこの曲なのですが、歌詞もクリスマスらしく具体的な物語になっていますよね。全体的な構造は、過去の回想と現在の心境、つまり二つの時間軸が交互に表現される構成になっています。では、早速、歌詞を見ていきましょう。

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「ゆっくりと12月のあかりが灯りはじめ
慌ただしく踴る街を誰もが好きになる


僕は走り 閉店まぎわ 君の欲しがった椅子を買った

荷物抱え 電車のなか ひとりで幸せだった」

⭐️さて、初っ端のAメロ。まるで小説の書き出しのようです。すっかり日が短くなる十二月のあかりがぽつぽつと灯りはじめる。時刻で言えば五時ごろでしょうか。師走の夕刻、「慌ただしく踊る」と表現しているくらいですから、そこには忙しさよりも賑わいがあるがあるということですね。イブの晩というのは容易に想像できるのですが、クリスマスイブというワードを頭から持ってこないところに好感が持てます。

 さて、「僕」は彼女へのおそらくはクリスマスプレゼントとして【椅子】を買うんです。しかも、【その荷物をかかえ電車で帰る】。物語の舞台はおそらく都会で、「僕」は電車通勤をしている会社員でしょうか。「慌ただしく踊る」街の雰囲気を捉えると、おそらくクリスマスは週末と重なっていたのではないでしょうか。さて、この曲のリリースは、1992年です。この歌詞の現在の時間軸を92年だとすれば、果たして、回想される過去は、何年になるのでしょう、、、、過去のカレンダーを紐解いてみると、ちょうど4年前の88年のクリスマスが日曜日だったようです。ということは、イブは土曜日になり、イブの夜が最も街が賑わう曜日周りだったと言えるでしょう。

 つまり、この歌詞は、主人公である「僕」が1992年のクリスマスイブに、4年前の過去を回想している物語なんです。

 さて、時系列が明快になったところで、なぜ、僕の彼女は【椅子を欲しがったのでしょうか】。うーん、難しいですよね。椅子。しかも主人公はその椅子を電車で持ち帰っているんです。ということは、少なくとも大きいソファのような椅子ではなく、コンパクトに折りたためるような椅子だったのでしょうか、、、、そんなことを掘り下げていくと、この男女はもしかしたら、新しい生活を始めたばかりの新婚ではなかろうか?という予測がまず立ちます。つまり、単純に家財用具が揃っておらず、例えば新しいテーブルに合う椅子が用意されていなかったということです。でもそれでも疑問が残る。わざわざ、クリスマスイブに実用的な椅子を持ち帰るだろうか。しかも電車に乗って、、、、

 とここまで考えてきて、僕が導き出した結論は、ずばり「僕」が持ち帰った椅子とは、子供用の椅子。それならば抱えて持ち帰る様子も想像に難くない。彼女のお腹には小さな命が宿っていて、近い将来産まれてくる子供のために椅子を用意してあげたかった。そう考えたら納得がいくような気がするのですがいかがでしょうか。

 さて、余談ですが、どうして椅子なのか?ということについてネットでは意外にも多くの方がいろんな解釈、予測をしています。つまり、それだけ多くの背景、物語が予測可能な歌詞だということです。

 とりあえず今回は僕の予測に従って分析を続けていきましょう。

「いつまでも手をつないで いられるような気がしていた

何もかもがきらめいて がむしゃらに夢を追いかけた

喜びも悲しみも全部 分かちあう日がくること
想って微笑みあっている 

色褪せたいつかのメリークリスマス」

⭐️時間軸は過去から現在へ。色褪せたいつかのメリークリスマスとはもちろん、椅子を買った年のクリスマス。「いつまでも手をつないでいられるような気がした」という表現で、当時の彼女は【今はいない】ということがわかります。さて、どうして彼女はいなくなってしまったのしょうか。この部分からはまだ予測が立ちませんので先に行きましょう。


「歌いながら線路沿いを 家へと少し急いだ

ドアを開けた君はいそがしく 夕食を作っていた


誇らしげにプレゼントみせると 君は心から喜んで
その顔を見た僕もまた素直に君を抱きしめた」

⭐️さて、時間軸は再び四年前に遡ります。椅子を抱えて帰宅すると、彼女は忙しそうに夕食を作っている。細かい表現になりますが、なぜ「いそがしい」のでしょうか。あるいは彼女も働いていて「僕」より先に帰宅し、急いで夕食を作っていたのかもしれません。でも、僕はそうは捉えない。

 「いそがしい」という表現は客観的なものではなく、おそらくは、「僕」の主観が入ったものなのでしょう。例えば「いそがしく」を「大きくなったらお腹を気遣いながら」と置き換えてみたらどうでしょう。前述の通り、彼女のお腹には子供がいて、もしかすると、もうお腹が大きくなっていたのかもしれません。「大きくなったお腹を気遣いながら」まめまめしく動いている彼女の姿は、「僕」から見ればきっと忙しく見えたはずです。



「いつまでも手をつないで いられるような気がしていた

何もかもがきらめいて がむしゃらに夢を追いかけた

君がいなくなることを はじめて怖いと思った

人を愛するということに 
気がついたいつかのメリークリスマス」


⭐️再び時間軸は現在へ。さて、ここで、彼女がどうしていなくなったのか、核心に迫る歌詞が出てきます。「君がいなくなることをはじめて怖いと思った」ここですね、、「いつかのクリスマス」つまり、椅子を持ち帰った年のクリスマスの時点で、【彼女がもしかしたらいなくなってしまうかもしれない】ことがわかっていたということになります。

 そうなってくると、彼女がいなくなった理由は、突然の別れでもなく、死別だとしても事故ではない。消去法で残ったのは、「彼女は重い病気にかかっていて、おそらくは死を待つだけだった」ということ。病気の身体の中にも新しい生命は宿っており、きっと彼女は新しい生命を無事産み落としてから安らかに死んでいきたかったのかもしれません。

 だんだんとこの曲の歌詞に描かれている世界が、実に重たく、悲しみに満ちたものになってきました。



「部屋を染めるろうそくの灯を見ながら 離れることはないと
言った後で急に 僕は何故だかわからず泣いた


いつまでも手をつないで いられるような気がしていた

何もかもがきらめいて がむしゃらに夢を追いかけた

君がいなくなることを はじめて怖いと思った
人を愛するということに 
気がついたいつかのメリークリスマス」

⭐️そして物語はクライマックスへ。

 再び過去の回想をしながら、悲しみに暮れる「僕」の姿が描かれています。


 

「立ち止まってる僕のそばを 誰かが足早に
通り過ぎる 荷物を抱え 幸せそうな顔で」

⭐️そして、締めくくりの歌詞。これはもちろん現在、つまり1992年のクリスマスイブで間違いないでしょう、

 僕はイブで浮かれている街の片隅に立ち、四年前のクリスマスイブを回想していたわけです。その心は悲しみに満ちていています。荷物を抱え、幸せそうな顔で通り過ぎる人々をやるせない表情で見つめている「僕」の姿が想像できます。

 僕なりの結論を言えば、彼女は病死。彼女のお腹にいた子供も、それが原因で死んでしまった。つまり、二重の死別がこの歌詞には表現されているのです。

 総じて言えば、この曲の歌詞には希望に満ちたものは一ミリグラムも含まれておらず、主人公である「僕」の前向きな姿も表現されていません。ただただ、四年前を回想し、悲しみに暮れ、そこに止まっているだけなのです。

 この曲は三十年以上たった今でもクリスマスソングとしてあちこちで耳にするわけですが、決して、浮かれた気分で聴いてはいけないような気がします。

 いずれにしても、88年のクリスマスイブの街の描写で始まり、92年のクリスマスイブの街の描写で終えるという歌詞構成は、非常に秀逸で、まるで短い小説を読んでいるようでした。

 以上、素人作家の勝手に歌詞分析でした。また違う曲を分析してみようと思います。それでは。

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