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少年の頃の想い出❶「カツアゲ」
「カツアゲ」という言葉を聞くと思い出すことがある。
中学時代、いわゆる番長グループに属していたガタイのいい先輩から目を付けられた。坊主頭に剃り込み、耳には十字架のピアス、短ランの裏地はタマムシ、チェンジボタンには麻雀の絵柄。これぞツッパリの模範生というべき出で立ちの男であった。
ある日の放課後、校舎の裏側に呼び出された。
「お前んち、魚屋なんだってな」
「はい、そうですが、、」
「よし、レジから金抜いて俺のところにもってこい」
「無理です」
きっぱりと断った。
瞬間、胸ぐらを掴まれ、学生服のボタンが弾け飛んだ。そのまま往復ビンタを張られ、生い茂った雑草の中に突き飛ばされた。
耳の中からキーンという異音が聴こえ、四階の音楽室から聞こえる吹奏楽の音色が歪んだ。尻もちをついたところの雑草はぐしゃりと折れ曲り、土埃にまみれた僕に奴は殴りかかってきた。
その時、教務主任がその場にたまたま現れなかったらさらに二、三発、拳を見舞われていたに違いない。
以来、奴につきまとわれるようになった僕であったが盗みを働いてまで金を払う気はさらさらなかった。逃げ足と危険察知能力だけは優れていたので、奴が根負けするまで逃げた。逃げて逃げて逃げまくった。
それでも運悪く捕まって殴られたこともあった。しかし、奴に従うことだけは頑なに拒んだ。
そして浮かんでくるもうひとつの光景。
「何やってんだ、馬鹿野郎!」
二階の自室で受験勉強をしていると階下のリビングからビールを飲みながらナイター中継を見ている父の怒号が響き渡る。父は筋金入りのジャイアンツファン。どうやら今日は勝負の雲行きがあやしいらしい。
もともとが短気な父。ジァイアンツが負けて機嫌が悪くなると取り付く島がない。
「やれやれ」
僕は小さく溜息をつき、机の引き出しから耳栓を取り出す。父に文句を言う勇気はなかった。触らぬ神に祟りなし。
幼い日の夏休みを思い出す。
お昼近くに魚市場から帰ってくる父に新聞を渡すのは僕の役目だった。
僕の家では「中日新聞」を取っていた。父に渡す前にスポーツ欄をチェックする。中日巨人戦でジャイアンツが負けていた場合、紙面をあらかじめ抜き取り、丸めてゴミ箱に捨てた。全く違う記事のページも抜けてしまうがそんなことは意に介さぬ。
中日新聞は中日ドラゴンズの親会社。巨人戦で勝った翌日は凄まじい。「龍、巨人を丸呑み」とか、スポーツ新聞も真っ青な見出し。そんな記事を父に見せたら一日中不機嫌の流れ弾が容赦なく飛んでくる。
それなら、他の新聞に変えれば良いと思うかもしれぬ。実際、そんな話も出たが、母が猛反対した。実は中日新聞は活字が大きくて読みやすかったのだ。
そう、なんのことはない。僕にはハンパなツッパリなんぞよりおっかない男がもっと身近にいた。父の目を盗んでレジから金を抜くなど考えただけでもゾッとする。
果たして、カツアゲを強要していた先輩も根負けして僕につきまとうのをやめた。今でこそ笑い話だが当時はスリル満点の毎日を過ごしていたということだけは最後に記しておこう。
校内暴力で荒れに荒れていた母校であったが、なぜか、坊主刈りいう頭髪ルールだけは全員がしっかり守っていた。不思議なものだ。
そして、子供の頃、散々私を苦しめた中日新聞はといえば、今なお東海地方を中心に絶大な人気を誇っているようだ。ちなみにスポーツ欄を抜き取った新聞を父に渡して咎められたことは一度もない。
【了】