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「僕のボヘミアンラプソディ」



scene❶

 時を遡ること五年前。僕はイギリスのロックバンド「クイーン」のボーカリスト、フレディマーキュリーの自伝的映画「ボヘミアンラプソディ」にハマっていた。

 映画が趣味とは言えない僕が同じ映画を四回も映画館で見た。これは僕の人生の中でささやかな事件だと思う。

 僕はあの映画をストーリー云々ではなく、長い長いミュージックビデオの感覚で鑑賞していた。そのスタンスは一回目から変わらない。つまり、ビジュアルが主で音楽が従ではなく、音楽が主でビジュアルが従として観ていたわけである。

 一回目は泣けなかった。二回目はエンドロールの「don't  stop  me  now」でホロリと泣いた。そして、三回目はライブエイドの「we are the champion」からエンドロールが終わるまで号泣だった。映画を観終わって帰宅する度にYouTubeでQueenの曲を聴きまくり、そして、また観に行きたくなる。まさに中毒状態。

 そして四回目。

 その日はあえて「胸アツ応援上映」なるものに挑戦してみた。ご存知の方も多いと思うが、映画で流れる曲に合わせて、手拍子、足踏み、発声もOKというものだ。仮装もOKらしく、都内の映画館では応援上映となると、クィーンファンが様々な出立で集結し、一緒に手拍子をしたり歌ったりと、大変な盛り上がりようだという。

 そんな映画の見方も悪くないと思い、期待感と緊張感が綯交ぜになった一種独特な想いを胸に映画館へ出かけた。

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scene❷

 千葉駅から徒歩五分くらいのところにある「京成ローザ」は開館六十年という古い映画館だ。ほんのり薄暗いロビーの白い内壁はあっちこっち塗装が剥げて鼠色に変色している。その壁沿いに、まるで児童公園にあるような、赤や黄色のペンキで塗装した木製ベンチが、そして中央にはやはり、内壁と同じく使い古されてモノトーンの歪なまだら模様になった丸いスタンディングテーブルがいくつか配置されている。昭和の香り全開だ。

 開演三十分前に到着してしまったので、赤いベンチに座り缶コーヒーを飲んでいると、向かいの黄色いベンチにメガネをかけた推定六十代くらいの小柄なおばちゃんが座った。

 右手にペンライトをもち、どこで手に入れたのか、白字で「Queen」と刺繍された赤いハンドタオルを首にかけていた。さらにそのおばちゃんは、ハンドバッグから色の濃いサングラスを取り出し、かけていた眼鏡と取り替えた。流石に付け髭まではしなかったものの、気合い充分である。

 (おお、、これは期待できる)

 脳内にはすでに、昨日YouTubeで閲覧した都内某所の映画館の大変な盛り上がり様が刷り込まれている。もうすぐあの一体感を体感できるのだ。僕のワクワク感は最高潮であった。

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scene❸

 しかし、開演十分前の入場時間になってもロビーに他の観客は現れない。僕とそのおばちゃんだけが映画館に入った。おばちゃんは僕の座席のちょうど斜め前にちょこんと腰を下ろした。

 そのうち、他の観客がチラホラと友達連れで現れたが、おそらく全部で十人くらいの観客数であったと記憶している。しかもおばちゃん以外は皆、【至って普通の格好】であった。その時から嫌な予感はしていたのだ。

 いよいよ、僕にとっては四回目の「ボヘミアン・ラプソディ」が始まった。しかし、誰も歌声どころか、拍手さえない。序盤の見どころである、「Bohemian  rhapsody」のレコーディング場面に至っても誰もうんともすんとも言わない。これでは普通の映画鑑賞と変わらないではないか。

 それなら自分から手拍子なりしてみたらよかろうと言われるかもしれないが、それが恥ずかしげもなくできるのならば苦労しない。

 僕はふと、スクリーンから斜め前に座っているおばちゃんに視線を移した。すると、声は聞こえないまでも、曲に合わせて金魚のように口をパクパクさせて、音のしない手拍子を打っている。しかも、曲が終わるタイミングで両手をちょこんと肩の辺りまで上げているではないか。

 (かわいそうに。きっと本当は、思い切り声を出して歌いたいのだろう。思い切り手拍子、足踏みをしたいのだろう。思い切り両手を上げてバンザイをしたいのだろう。)

 恥ずかしさ故に中途半端でしか楽しめないおばちゃんのストレスがヒシヒシと伝わってきた。そういう僕も自分から声を出すのは恥ずかしい。

(おばちゃん、勇気を出すんだ。勇気を出してほら、手拍子をしろ。声を出して歌え。そうすれば日頃のストレスも解消だ。そうしたら僕も一緒に、、)

 などと、他力本願な小市民さ全開な僕。

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scene❹

 ストーリーはどんどん進み、いよいよライブエイドの場面。相変わらず映画館の中はスクリーンが発する音以外何も聞こえない。

 僕のストレスはもはや臨界点を超えていた。相変わらず口パク状態だったおばちゃんもきっと同じ気持ちなのだろう。ここまでくると、おばちゃんと妙な一体感を感じてくる。まあ、おばちゃんからは僕の姿は見えないのだけれど。

 そして、そのまま、ライブエイドは幕を閉じ、映像はエンドロールに移ってゆく。すると、あろうことかおばちゃん以外の観客はゾロゾロと席を立ち出口へ向かって行くではないか。

 僕はやり場のない怒りに打ち震えた。しつこいようだが、これは通常上映ではなく応援上映なのだ。応援上映としての鑑賞マナーがあるはずなのだ。

 エンドロールが終わっても僕は泣けなかった。映像よりもおばちゃんの一挙手一投足が気になって仕方なかったからだ。

 おばちゃんは、首にかけたハンドタオルを丁寧に畳んでハンドバッグにしまい、サングラスから最初のメガネにかけ直した。そして、よろよろと立ち上がり俯き加減で出入り口に向かって歩いていった。

 僕はその時になって初めて泣いた。

 頬を伝う遅れてやってきた一筋の涙は妙に暖かかった。

(了)












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