「November Rain」【前編】
【1991年11月】
「ちょっと、校長!あいつらの要求を呑んだって、本当ですか?」
教頭の猿田は、酒の飲み過ぎで赤くなった頬をさらに紅潮させて、校長の白木に詰め寄った。ワックスでガチガチに固められたバーコード頭が、蛍光灯に照らされて醜く光っている。
「要求を呑んだって、教頭も大袈裟だわね。たかだか合唱大会の合間に、バンド演奏をさせて欲しいって頼まれただけじゃない。しかもたった一曲。七分だけよ。何をそんなにキリキリしてるの?また血圧上がっても知らないわよ」
白木は真白に染めた豊かな頭髪を右手で撫でながらそう答えたが、書類にペンを走らせる手は止まらない。校長席の机を叩いて凄んでいる教頭のことなど、まるで眼中にないようだ。
「しかしですね!伝統ある我が校の合唱大会ですよ。合唱曲の合間に、あんな安っぽいロックバンドなんぞ興醒めです。伝統ある我が校の理念に反しております。そもそも、我が校の素晴らしさは由緒正しき伝統ある歴史でしてロックバンドなどと、、」
「だまらっしゃい!」
白木は手にしていたボールペンを猿田に向かって投げつけた。ボールペンは猿田のシワだらけの広い額に命中して、絨毯の上に落ちた。
「な、、何するんですか、校長!」
「口を開けば、伝統、伝統って、あなた、バカの一つ覚えみたいにそれしか言えないの?だからいつまで経っても教頭止まりなのよ!」
「な、、、!」
白木は老眼鏡を外し、鋭い目つきで猿田を睨んだ。男性顔負けの行動力と斬新な教育方針で、校長まで昇り詰めた女である。昔気質の教師陣とのトラブルは常に絶えないようだ。
「あたしは忙しいのよ!教頭みたいに【ヒマ】じゃないの。あたしにグズグス文句を言うヒマがあったら、花壇の草むしりでもしてらっしゃい!」
白木はよく通るハスキーボイスで猿田を一喝した。白木の武器は結局のところ、この声に尽きるのだ。猿田は歯軋りをしながら、すごすごと校長室を後にした。
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「すげーな、ヨッちゃん。スラッシュ顔負けのチョーキングビブラードだぜ!」
「おい!高原。教師に向かってヨッちゃんとはなんだ!ヨッちゃんとは!清水先生、って呼べ!」
「清水先生、なんて、ダッセー呼び方できるかよ。義行なんだからヨッちゃんでいいじゃん」
高原は自分の坊主頭を右手でペシペシと叩きながらそう言った。小柄な高原には大きすぎるベースのストラップを、ギリギリまで下げている。
「にしても、高ちゃんよお、お前、いくらなんでも、ストラップの位置、低すぎじゃね?」
スネアの音を立てながら、そう横槍を入れてきたのは、ドラムの早瀬だ。肩まで届きそうな髪を赤く染めている。
「るせーな。ダフを意識してんだ、ダフ・マッケイガンをよ!わかってるくせに!」
「あっはっは、坊主頭でちびすけのダフなんぞ、聞いたことねえぞ」
「なんだと!いくらハヤチンでも言っていいことと悪いことがあるぜ!」
突然、バーン、とピアノの不協和音が響いた。
「あんたたち!いい加減にしなさいよ。練習進まないじゃない。あと三日しかないのよ、三日!」
ピアニストの西原が、黒縁メガネの縁を右手でつまみながら、切長の眼を釣り上げて怒っている。
「ソウデス、ソウデス、、ケンカハイケマセン」
腕組みをし仁王立ちになり、眉間に皺を寄せて頷いているのは、ボーカルのケントだ。ヨッちゃんの家にホームステイしている留学生。バンドの話をヨッちゃんに持ちかけたら、ちょうど、適任者がいる。って、連れてきたのがケントだ。180センチを超える長身で金髪のロン毛。それだけでも迫力満点だが、痺れたのは、奴の声質だ。
いくらアメリカ人っても、アクセルの声を出せる奴なんてそうそういない。奇跡だ。まるで小説みたいだと、高原は思う。
「そうだそうだ。西原の言う通りだぞ。よし。もう一回、最初からやってみようか。西原、頼むな」
「オッケー!」
西原の白くて長い指がピアノの鍵盤に触れる。「November Rain」の美しいイントロが館内に響き渡る。
ガンズ・アンド・ローゼスの「November Rain」。あいつは、この曲を聴いた後、死んじまった。全くバカな女だ。
「りっちゃん、天国からちゃんと見ておけよ。俺たちの晴れ舞台をよ!」
高原の呟きは、西原の奏でる美しいピアノの旋律にかき消された。
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【1990年11月】
HI!
ラジオの前の君、元気かい?
しかし、天気の悪い日が続くよなあ、、
全く嫌になっちまうぜ。
俺は雨が降る前日になると決まって頭が痛くなるのよ。
母ちゃんはよく俺を天気予報がわりにしてたよな。気象庁よりよっぽど信頼できるってよ、、
あ、タケちゃん今笑ったね。
そんなデリケートな身体かよって。
人には何かしら取り柄があるもんなんだよ。
ザー、、ザー、、、さて、
今日の一枚目の葉書、行ってみようか、
ザー、、、ザー、、、ザー、、、
、、、県にお住まいのザー、、ザー、、、
、、、ちゃんから。
おい、これ読んでいいのかよ、タケちゃん。
うーん、いいのかほんとに、、
えー、、ゴホン、、、ザー、、、ザー、、、
ジンさん、こんばんは。
私は、ザー、、ザー、、、、に通う女子高生です。
毎日が辛くて生きているのが嫌になりました。最後に、ジンさんに私の大好きな曲をかけてもらって、そのあと、死のうと思います、、、
おい、、ザー、、ザー、、ちゃん、ちょっと待て。死ぬってどういうことだ?まだ高校生だろ。早まるな!生きてりゃあ、辛いこともある。でも生きてさえいりゃあ、そのうち良いこともある。未来なんて誰にもわかりゃあしねえ。
俺もこの曲、大好きなんだよ。死んじまったら、大好きな音楽だって聴けなくなるんだぜ。七分以上ある長い曲だ。今回は大サービス。フルコーラスで流すからよ。最後のスラッシュのソロまで噛み締めて聴けよ。
生きることの大切さ、あいつらが教えてくれるはずだ。タケちゃん、オーケー?フルコーラスだ。
ガンズ・アンド・ローゼス、November Rain、、、、、
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【1991年11月】
「なあ、高ちゃん、ほんとにやるのかよ?」
「あったり前じゃん。りっちゃん死んじまったのは元はと言えばあいつのせいだ。このまま黙ってられっかよ」
「でもよお、いくら、白木のばっちゃんでも、許しちゃくれねえぜ」
高原は、右手に持ったチェリオの空瓶を愛おしそうに左右に振りながら俯いた。しばらく左右に振れていたチェリオの瓶は、突如、高原の手から離れた。瓶はピンク色のペンキで落書きされた文字にぶつかり、粉々に弾けた。「LOVE &PEACE」。コンクリートの壁にはそう書かれている。
高原は肩を震わせていた。俯いた姿勢で、両手の拳をぎゅっと握りしめている。橋の上から、アスファルトを滑るトラックのタイヤの音が聞こえた。太陽は空の高い位置から河原に散らばる石ころやら、生い茂った雑草やらをじりじりと焼いている。
「りっちゃんは、あんなことで死ぬような女の子じゃなかった」
「高ちゃん、、、」
「世の中納得いかねーよ。りっちゃんみたいな女の子が死んじまって、奴はのうのうと生きていやがる、、」
「そうだけどよ、、、退学とかになってもいいのかよ」
「ケッ、早ちんも意外と臆病だよな、気合い入れるために赤く染めた髪型が泣いてるぜ」
「んだと!!」
「その顔よ。早ちんがその顔で怒ったら、死神も逃げ出すぜ」
「へっ、やったろうじゃんか。退学なんてなんぼのもんよ」
「そうこなくちゃな。なに、ヨッちゃんが味方についるから大丈夫だろ」
高原は、コンクリートの壁に立てかけられた茶色い楽器ケースを肩にかけた。ふたりは芝生が敷き詰められた土手を並んで歩く。正午の太陽が、二人の濃い影を芝生の上に映し出している。高原の腹が、ぐう、と鳴った。
「高ちゃん、ラーメン食って帰ろうか」
「だな」
二人は足を速めた。一陣の風が手入れの行き届いていない芝生を揺らす。それに合わせて二人の黒い影も、一瞬揺らいだように見えた。
【つづく】