🌕「スーパームーン」

「スーパームーン🌙」

　最寄駅に着いた時、もうすでに時刻は深夜に近づいていた。腹が減った。しかし、千円足らずの小銭しか残っていない所持金で食べることができる場所はすでになく、仕方ないので僕はマックで安いハンバーガーを二つ買い、コンビニでクーポンを使って酎ハイを2本買う。駅前のロータリーにあるベンチに座り、LINEを打つ。「着いたよ」「おかえり」「ただいま」「乾杯しようか」「乾杯🍻」

　酎ハイを傾け、マックを頬張っていたら、駅に着いたばかりの電車から吐き出されたであろう乗車客がすずなりになってエスカレーターを降ってきた。多くはサラリーマンであり、そのほとんどが皆一様に疲れた顔をしていた。

　大きなスーツケースを転がした外国人が二人、僕が座っているベンチに近づいてきた。ひとりの顔は真っ黒で、顔色と見分けがつかないほど黒いキャップを目深に被っていた。薄暗がりの中で、彼の少し小さめの黒い瞳と蛭が二匹並んで横たわっているような薄い唇がぼんやりと浮かんでいる。もう一人は、彫りの深い浅黒い顔をしていて、無精髭を生やしていた。白髪混じりの頭髪は手入れされたばかりの芝生のように短く刈りそろえられている。浅黒い顔の男は、自分のスマートフォンを黒い顔の男に見せながら、僕には理解不能な言語でなにやら話している。内容は全くわからなかったが、どうやら、かなり困っているのは確かなようであった。

　僕はそんな二人に気が付かないふりをして、缶酎ハイを傾け、彼女とLINEを続けていた。すると、浅黒い顔の男が、僕に顔を近づけ、自分のスマートフォンを見せながら話しかけてきた。英語だ。「フリーWi-Fiを持っているか？」というから、「そんなものは持ってない」と答えた。男は首を左右に振りながら「この辺はWi-Fiは飛んでないのか」と聞いてくる。こんな田舎の駅にそんなものは飛んでいない。どうやら、行き先に連絡をしたいが、Wi-Fiを使わないと通信ができないようだ。「変な外人に話しかけられてる」「ええっ、大丈夫？」「悪い人たちじゃなさそうだ」「お金取られるよ」「笑笑、そんな外国人は滅多にいない」

　浅黒い顔の男は、自分のスマートフォンの画面を切り替え、僕に電話番号を見せる。「ここに電話をかけてくれ」彼に言われた通り、僕はそこに電話をした。「もしもし」外国人が話しているには違いないが、かなり流暢な日本語が電話に出た。僕はスマートフォンをスピーカーに切り替え、浅黒い男と流暢な日本語を喋る声の主と会話をさせた。得体の知れない言語でのやりとりが数秒続いた後、電話は切られた。浅黒い男は僕に礼を言い、僕の隣に座った。「もうすぐ迎えの車がくる。どうもありがとう」「どこから来たんですか」「パキスタン」「観光？」首を横に振る。「仕事？」首を縦に振って彼は微笑んだ。若い頃、イスタンブールに旅行に行った時、トランジットでカラチを訪れたことを話した。「オー」彼は両手を広げて、大袈裟に喜んだ。しかし、何分経っても車はやってこない。「大丈夫？」「うん」「お金とられた？」「取られるほど持ってないよ」「笑笑」「気をつけて」「大丈夫」

　やがて、ショートメールの通知音がして、同時に先程かけた電話番号から電話がかかってきた。流暢な日本語を喋る男が「行き先をメールしました。二人をタクシーに乗せてもらえますか？お金は会社が払います」数メートル離れたタクシー乗場にタクシーが二台停まっていた。僕は二人をタクシー乗場に連れていき、運転手にショートメールを見せ、行き先をナビに打ち込んでもらったが、ピンポイントで特定できないという。「この辺はかなり寂しいところなんです」髪が真っ白な運転手が今度は困る番だった。仕方がないので、僕はもう一度、流暢な日本語を喋る男と連絡をとり、今度は行き先を運転手と話してもらった。ファミリーマートがどうの、JA千葉がどうのと、数分の会話が続いた後、何とか行き先を特定できたらしく、無事二人をタクシーに乗せることができた。

　空を見上げると大きな満月が神々しい光を放っていた。僕はベンチに戻り、二本目の酎ハイを開けた。「大丈夫？」「うん、無事終わった」「スマホのデータ抜かれたかもよ」「そんなわけないだろ」「人助けだね。徳を積んだな」「大した徳じゃないよ」

　数秒後、彼女から電話がかかってきた。「大丈夫？」「どこからかけてるんだ」「タバコ吸ってくるって外に出た」「そうか」「月、、見える？」缶チューハイを傾けながら僕は立ち上がり空を見上げる。「よく見えるよ」「お月見だ」「乾杯しようか」「そうだね、乾杯」「声が聞けて嬉しいよ」「うん。無事で安心した」「笑笑」

　車輪がレールを軋ませる音が響く。そろそろ最終電車に近いであろう列車がホームに入ってきたようだ。スマートフォンを耳にあて、しばらく見ることができないであろう大きな満月をもう一度瞼に焼き付け、二本目の酎ハイを飲み干した。「そろそろ帰るよ」「うん、私も」「後でまたLINEするね」「うん」

　翌日、流暢な日本語を喋る男から送られてきた住所をググった。どうやら中古車を販売している小さな会社のようであった。

【了】