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僕とジャニーズと叶えたかった夢

ジャニーズという“自分の叶えたかった夢”


「人にはチャンスがあって、そのチャンスが来た時につかめる人(行動できる人)が夢を叶えられる」
そのことを教えてくれた人が故ジャニー氏でした。

自分はその言葉を支えに生きてきました。あの時の思いは正しかったのか、あの時の夢は何だったのか・・。

僕はあの頃に沢山いたジャニーズJr.の一人です。そして、表舞台には出ることなく、消えていった多くの子供たちのためにも自分たちの存在をnoteにしようと思います。

ジャニーズを夢見た少年時代


僕が初めてジャニーズを意識するようになったきっかけは1994年頃でした。
その当時、友達の家に遊びに行くと、ミュージックステーションでSMAPの「がんばりましょう」が放送されていて、そのダンスと歌に憧れを抱きました。

そこから、ジャニーズ事務所に入り歌やダンスをしたいと思うようになり、月日は流れていきます。当時は、インターネットもなく、ジャニーズに入る方法が全く分かりませんでした。

ある日、たまたま本屋に立ち寄って、ジャニーズ事務所の入り方が解説された本を見つけたのです。そこにはジャニーズ事務所へ履歴書を送る方法や色々と内容が書かれており、それでも当時は自分の夢を叶えたかったので、全てを知って履歴書を送りました。

この頃には14歳になっていました。ジャニーズ事務所に履歴書を送っていましたが返答はなく、それでも毎月送っていた記憶があります。

僕とジャニーズ事務所


月日は流れ、16歳になりました。この頃には高校に進学し、環境が大きく変わったこともあって、ジャニーズへの夢は少し遠のいていました。

そんな夏も近づくある日、ジャニーズ事務所からオーディションのお知らせが届いたのです。4年越しの夢を叶えるチャンス。そして、年齢的にもこれが最後だと思い、オーディションを受けることにしました。

そのオーディションが、ジャニー氏との初めての出会いでした。ダンス審査もありましたが、何よりもジャニー氏に自分を知ってもらうことが大事だと考え、積極的に話しかけました。

その後、事務所から連絡をいただき、レッスンに通うようになりました。何度かコンサートにも出演させてもらい、ステージから見た会場いっぱいのペンライトの光景は、今でも覚えています。

ただ、僕は地方在住だったこともあり、高校生活と両立させながら都会のレッスン会場に通うのは簡単なことではありませんでした。それでも、自分にできる限りの努力をしたと思います。

当時、オーディション会場で仲良くなったジャニーズJr.や一緒にレッスンを受けながら仲良くなったジャニーズJr.もいました。しかし、いつしかその仲間は去り、新しい子たちが数十人単位で入ってきては、また去っていく。そうした入れ替わりが絶えず続いていました。

ただ、多くの子たちが自ら辞めていったわけではありません。辞めざるを得なかったのです。
今となっては在籍を証明できない人ばかりです。
そして、曖昧な立場にいて、まるで「最初からいなかったかのように」扱われています。

彼ら全員がジャニーズJr.のオーディションを受け、同じようにレッスンに参加していた仲間です。あの時、最後に涙を流していた子どもたちの姿を、僕は今でも覚えています。

同じ夢を追いかけた彼らの存在が、いつの日かきちんと在籍証明として認められることを願っています。

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