2015年エカテリンブルク+カザン+イスタンブール旅行(3)
カザン駅に到着。ついにカザンにやってきた。早朝にもかかわらずちょっとした興奮状態。
自分が昔買った「地球の歩き方ソ連編」では、カザンは外国人が訪れることのできる街ではあるが、ヴォルガ川クルーズで訪れる場合のみ可能とのことだった。ソ連当局としてはタタール人を外国人と接触させたくなかったのかどうか、理由はわからない。それが今こうして鉄道でやってきた。時代は変わった。
駅のあちこちで観光客を迎え入れようとしているのが感じられて好感度がさらにアップ。ホームでは乗客が出てきて朝の一服。それもいいが彼らには朝のラジオ体操をすることをぜひお勧めしたい。
ある車両に「РЕСТОРАН」とあるが、それはそのままローマ字に変換すると「RESTORAN」つまりレストラン。ペクトパーではない。発音としてはリスタラーンか。そんな具合なのだから、ロシア文字(キリル文字)を覚えること自体はそれほど難しくはない。
カザンは、おおざっぱに言えばモスクワとエカテリンブルクとの中間地点。ところでこの投稿の際、場所を「カザン駅」で入力しようとしたが、カザン駅というのは実はモスクワにあり、ロシアの大都市ではターミナル駅が複数ある場合、主要な方面の街を駅名とする。だからモスクワ駅はモスクワにはなくてサンクトペテルブルクにあるという具合に。カザンの場合はカザンⅠ駅とかⅡ駅はあるのだが、他の街の駅と同じように駅舎の正面は「ВОГЗАЛ(駅)」という表示があるのみだ。で、カザン駅を選択するとモスクワのカザン駅となってしまう。しょうがない。
駅から予約してあるクレムリンの側にあるホテルまでは、街の見物も兼ねて歩いて行く。ところが、地球の歩き方にある地図ではわからなかったのだが、クレムリンは小高い丘にあるのだが、その丘は山脈のように伸びている。なのでホテルに行く途中でちょっとした坂を上り、そして丘の反対側にあるホテルまでは下り坂になっている。ちょっときつかったが、涼しいので汗はかかずにすんだ。
ホテルには朝にもかかわらずチェックインできた。クレムリンを眺めながら歩いてきたので、早くクレムリンに行きたい気持ちがはやったが、まずは一旦休憩。部屋の窓からクレムリンがちょこっと見える。
列車の中では熟睡できなかったので、ホテルで休憩していたが、目の前の目標物が気になって寝ることができず。ぼちぼち行くことに。
カザンのクレムリンはユネスコの世界遺産に登録されているとのことだが、へそ曲がりの自分は「世界登録されたこと」に何の権威も感じていない。選考基準がヨーロッパのブツに偏り過ぎているような気がして、ヨーロッパ人の傲慢さと自己満足なんかにつきあってられないと思っているからである。
カザンのクレムリンは「イスラム教とロシア正教の平和的共存」が評価されたといっても、モスクは21世紀になって完成したもので、カザン・ハン国以来の建築物というわけではない。所詮は歴史的勝者の支配下による共存である。そうはいっても、ここがここが今後タタール人の、ロシアのムスリムの文化的宗教的中心地という歴史を作っていく気概を示すものであるならば、それはそれで結構なことだとも思う。今さら歴史をひっくり返すことなどできないからである。
いろいろ小難しいことを述べたが、歴史がないから新しいものだから価値がないというわけではない。当時のものがないから歴史に思いをはせることができないわけではない。クレムリンがカザンの象徴であることにかわりはない。街とカザンカ川を眺めながらクレムリンの高台に登っていき、正面玄関のスパスカヤ塔から中に入っていく。
クレムリンの中にある、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂。ロシア正教の教会。内部はもちろん華やかで厳かであるのだが、同じようなものをエカテリンブルクで見てきて、素人目にはそれぞれの違いがわからない。
ただし、ロシア正教のルーツともいえるビザンティン(東ローマ)帝国のキリスト教美術というものは、絵画にしろモザイク画にしろ、あるモデルを忠実に再現する、というよりは模写することに重きが置かれたので、美術に関しては著名な芸術家が出現しなかった、というようなことをどこかの概説書で読んだ記憶が薄らとある。どこの聖堂に行っても同じように見えるというのは、そういう傾向がロシア正教にも残っているからなのかもしれない。ただしこれは素人の想像である。
スュユンビケ塔。ピサのアレと同じく、少し傾いている。
イワン雷帝がカザンを征服した時、ハンの姫がイワンに言い寄られ、最後はこの塔から身を投げたという伝説があるが、似たような話がアゼルバイジャンのバクーにある世界遺産「乙女の望楼」にもある。ただしこちらの方は、言い寄ったのはモンゴルのハンとのこと。
クレムリンの内部に政府機関の建物があるという点では、モスクワのクレムリンと同じ。タタールスタン共和国大統領公邸がある。
クレムリン(正確にはクレムリか)とは、城壁という意味のロシア語。カザンのクレムリンはカザン・ハン国の城壁で、ロシアによる征服後も使用されたが、それまであった内部の建物は破壊され、カザン県知事の庁舎が建てられた。確かにモスクワのクレムリンよりは小ぶりだが、立派なクレムリンだ。
モスクワ・クレムリンより小ぶりとは言いつつも、やはりそれなりに広い敷地。
カザン・クレムリンの最大のハイライト、クル=シャーリフ・モスク に入ろうとしたら、お祈りの時間ということで中に入れず。仕方がないので、様々な角度からモスクを撮影して時間をつぶそうとする。
トルコやイラン、西トルキスタンとはまた違ったイスラム建築だ。もっともこれは歴史的な建造物というわけではないので、これでもってタタールのイスラーム文化を語ることはちょっと困難だろう。
ところが、しばらくするとポツポツと雨が降り始めた。どうやらすぐにやみそうにない。困ったな、傘を買うか、でももったいないし、そもそもコンビニなんかないからどこで売っているかもわからない。どうしたものかと思いつつ、まだ礼拝の時間内のようだがモスクの中に入れてくれたらうれしいなと思い入口を窺ってみると、どうやら中に入れるようだ。入口でもらったビニール袋を靴を被せて中に入る。
案外中はそれほど広くない。脇に階段があるので、バカみたいに上へあがっていく。上がりきったところはベランダのようになっていて、礼拝場を見下ろすような構造だ。たまたまここで日本人団体さんと遭遇、といっても少人数のグループのようだが、よくこのややマイナーな所に来る気になったものだと感心する。説明されていた日本人らしき方はカザンに在住しているのだろうか。ベランダは広くないのに、皆いつまでたっても降りてこないのでごった返している。
1階に降りる。片隅でお坊さん(という方は正しくないがともかく)が朗々とコーランらしきものをマイクを使って読み上げて、それが館内に響いているが、周りはほぼ全員観光客なので、モスク観光上の演出に成り下がっているような気さえしてしまう。そうでなければただの忍耐強いマイペースの人か。
外の雨は幾分弱まってきたような気がするが、まだやみそうにないので、一旦ホテルに引き上げる。
雨が止まなければ、この日は引きこもろうかと思ったが、幸い雨が上がったので街歩きに出かける。
クレムリンの出入り口スパスカヤ塔の辺りからクレムリョーフスカヤ通りを南東方向へ進む。
正直、あまりタタールを感じるものは目につかない。観光の案内標識版はロシア語、タタール語、英語と書かれているようだが、タタール語についてはどうにもとってつけた感を感じてしまう。どれほどの観光客がタタール語を読むのか。まあないよりはましか。
雰囲気のある建物が所々目につく。由来はわからないがとりあえず写真に収める。やはり「地球の〇き方・タタールスタン編」がほしいところだ。
どう見ても京都の金閣っぽいが「ШАНХАЙ(シャンハイ)」とのこと。
クレムリョーフスカヤ通りを南東方面に進むと、カザン大学の庁舎が見えてくる。
カザン大学は、かつて若き日のレーニンが在学していたこともあったが、過激な学生運動にかかわったとのことで退学処分を受けたとのこと。レーニン本人はカザン大学のことをどう思っていたのかはわからないが、大学の方はレーニンが在籍していたことを誇りに思っているのか、大学本館の上部にはレーニンらしき人物の絵と「СССР(ソビエト連邦)」及び「鎌と槌」が描かれている。
また大学本館の道路を挟んで反対側の広間にはレーニン像が立てられているが、他のそれと違っているのは、モデルが学生時分の頃のレーニンなのか、髪の毛がある、というかそもそも誰なのか見ただけではわからない。像には「ウラジミール・ウリヤーノフ(レーニンの本名)」と書かれてあり、ここではじめてレーニンの像であることに気が付くことになる。
カザン大学を通りすぎ、そのまま坂を下りてしばらく進み、バウマン通り辺りまで行くと、偶然目に入ったのだが、「ソ連博物館」とも言うべき所。
既に中に入る前からちょっとぶっ飛んでいる。
玄関を入った時点で展示物がてんこ盛り。
ミーシャがいるぞ。
潜水服のようにも見えるアレは、実はガガーリンの宇宙服である、たぶん。
ソ連時代にあった、炭酸水を出す機械。自動販売機と言いたいところだが、機械の横でおばさんが機械を操作していたので、手動販売機といったところか。キルギスのビシケクでは今もあったような気がする。
ペレストロイカだそうだ。
トイレの中にもブツがあふれている。
ソ連はこのマシーンでガガーリンを宇宙に送っていた(嘘)。「TOSHIBA」とか「NEC」という文字が目に入るが、もしかしてココム違反?
これ欲しい。
同志レーニンだが、人民に対する露出度は金日成主席には及ばない。
ラジオっぽいが、主要な都市の名前が設定されているという超アナログぶりもハラショーだが、今はロシアから切り離された旧ソ連や東側ワルシャワ条約機構諸国の地名のオンパレードが私をしびれさせる。
くだらない、じゃなかった、すんばらしいソ連グッズいろいろ。
СОЧИ(ソチ)はやはりいいところらしい。しかしながら何故キモノ美人?
モスクワのアルバート通りのカザン版ともいわれるバウマン通り。カザンで一番賑やかな歩行者天国の通りなのだが、雨上がりのためかちょっと人通りが少ない。
ロシアは自由だ!(ったかな?)
日本でもよく見かけるが、松崎しげる似の黒い人たちが「コンドルは飛んでいく」を演奏している。
タタール語らしき看板。ヘディエ(贈り物)と書かれているので、お土産屋なのだろう。
カザン土産といったらコレ!ってくらいあちこちにあったのが「チャクチャク」というお菓子。で、ここはチャクチャク屋さんか。日本の昔ながら系のお菓子と通じるものがありそうな素朴な味っぽい見掛けだが、私は食わず嫌いなので食していない。
クレムリンの側にある、カザン地下鉄の駅、その名も「クレムリョフスカヤ」駅。入口はいい雰囲気だが、なぜか現在閉鎖中。
クレムリンを城壁の下から仰ぎ見る。