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2006年キルギス旅行(1)

 中央アジア旅行第二弾として、キルギスに行くことにした。
 関西空港から深夜のウズベキスタン航空でタシケントまで行くところまでは昨年と同じ。今回はタシケント空港でビシケク行きに乗り換える。ウズベキスタン航空の飛行機は、国際線でも行き先が旧ソ連諸国だと機材のグレードが落ちるようで、久しぶりのツポレフ154。気のせいならよいのだが、中に入ると若干ガソリンのにおいが漂っている。席の上の荷棚には落下防止のふたがなく、なんだかオンボロ観光バスに乗った感じ。まあちゃんと飛べば文句はない。
 そんなことニチェボー(大したことじゃない)てな感じで飛行機はビシケクに着陸。空港には米軍のものらしき飛行機がとまっており、そこが米軍にとってのイスラム過激派壊滅のための出先基地であることを示している。それはテロの標的にもなることを示している。もっともこの辺りのすべての施設はテロの標的である。天候は曇りでなんだかうすら寒そう。
 タシケントからは、ビシケクに行く日本人旅行者と行動を共にしていたが、彼は街はずれのやや高級ホテルを予約していて、自分も同行しようかなと思ったが、街はずれなのが行動のネックなので、空港で別れた。街中に行くマルシュルートカ(ミニバス)がすぐ見つかり、タクシーの客引きを簡単に振り切ることができた。なんだか幸先がよい。気候も寒いとまではいかない程度で過ごしやすい。
 ところが、街中には着いたものの、どこで降りればよいのかがわからず、そのうちに運転手が「どこで降りるんだ」と訊いてきた。仕方がないので適当なところで降りたが、そこがどこかわからない。結局そこでタクシーを拾う羽目に。
 ビシケクは手ごろなホテルがあまりない。超高級のハイアットの他はどうなんだろうといった感じだが、それしかないのでそんな中から目星をつけていたホテルへ向かってもらう。
 一応三ツ星らしいそのホテル。中心部まではなんとか歩いて行ける距離にあるが、周囲は開発が進まず放置されたような様で、かつては近くにサーカスがあったようだが今は廃墟のようで、うらぶれた感が増している。それでもチェックインを済ませ、部屋からの景色を眺めると、キルギスにやってきたことを実感する。

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 ビシケクの街は、古来からあったオアシス都市ではなく、帝政ロシアが作った街なので、遺跡の類はない。そうはいっても現在はキルギス共和国の首都である。どんな街なのか散策してみることに。
 チュイ大通りのアラ・トー広場を歩いていると、突然前方から歩いてきた3人組に呼び止められた。なんでも観光に関するアンケートをお願いしたいとのこと。学生なのかな、ほかに観光客はいないのか、でもまあいいでしょうと思いOKしたものの、英語でのアンケートなので、時々意味のわからない単語も出てきて、最後の方は少々苦痛に感じた。はたしてこんなんでもお役に立てただろうか。
 この辺りにあるウズベキスタン航空オフィスに行き、チケットのリコンファームをし、街中で見つけた伝統的中央アジア的スタイルのレストランで昼食をとると、さしあたってすることはもうない。特にこのあたりは街全体が公園のような造りだ。こういうのをソ連っぽい街というのだが、まあこんなものだろう。だけど、無名戦士の墓っぽいところのそばでいちゃいちゃするのはけしからん!

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 当時のキルギスは、入国にビザは既に必要なくなっていたが、入国後一定の期間内に外国人登録をしなければならなかった。そのために登録事務所に出向いて登録する、というのが滞在中の必須事項だった。
 ガイドブックによると、市内の中心部に事務所がいくつかあるようで、幸い滞在しているホテルからそれほど遠くないところにあるようなので、そこへ行ってみた。
 事務所は人であふれていたが、外国人っぽい人はいない。とはいってもカザフスタンとかはあまり外国という感じではないので、そこら辺りから出稼ぎに来ている人たちがいるのかもしれない。自分も登録してもらおうと列に並びもらった紙を見てみると、それはお金の振り込み用紙のようだ。同じ建物内の会計窓口でお金を支払ったが、なんだか何も手続きが進んでいないような感じがする。かといって言葉は全く通じないので確かめようもない。仕方がない、ここまで無駄に時間をかけたが今日はもうやめておこう。明日もう少し遠くにある別のところに行こう。そこは「中央オヴィール」とあるので、そこなら確実に登録できるだろう。
 トロリーバスに乗って東バスターミナルに行き、そこからトクマクという所へ行く。ここは今回の旅行の目的地の日土地一つであるバラサグン遺跡とブラーナのミナレットがあるところ。マルシュルートカ(ミニバス)の終点からはほぼタクシーしかない。こういうところのタクシーは往々にしてぼったくりなのだが仕方がない。
 目的地のバラサグン遺跡に到着。塔が見える。これがブラーナの塔。ブハラのカラーン・ミナレットや、トルファンの蘇公塔に似ている気もするが、これらと違うのはここがオアシスではないというところ。ここはもともとは都市だったらしいが、今はただの草原の真っ只中にポツンと建っているだけ。
 そしてその周りににはたくさんの石人が置かれている。こういうものは中国の新疆の中でも北疆と呼ばれるエリアで見られる。イスラム化する前の北方遊牧民の文化らしい。唐の時代にその北西部に存在した遊牧国家西突厥のスイヤーブ城もこの辺りにあったらしい。もっともここの石人は、もとからここにあるのではなく、どこからか掻き集めたものとのこと。
 こんなところにも団体客はやってくる。この時は韓国人だった。あの人たちはほんとうに楽しそうに旅行する。団体の中に若いおなごがいるとやたらはしゃぐ声が聞こえてくる。そして野郎はさながらボディガードだ。まるで総「あいのり」状態だ。正直言って見ていて鬱陶しい。なぜか顔に変なペインティングをしている。いんちきガイドに「キルギス人はもともと韓国人の一種です」などとでたらめなことを吹き込まれたことで、キルギスに妙なシンパシーを感じてしでかしたのだろうか。ちなみに韓国人が嫌いなのではなく、団体客が嫌いなだけである。

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 キルギス到着一日目に泊まったホテルは、安くないわりにそれほどいいホテルではない。困ったことにビシケクにはいわゆる手ごろなホテルがない。その代わり民泊というものがあり、そこは旅行者が集まるところで、それでいて安く泊まれるのだから、二日目以降はそういうところに泊まることにする。
 ビシケクではめぼしい民泊が2軒ある。ただしうち1軒はモグリ、つまり無許可営業。キルギス滞在に必要な外国人登録をするには、正式な宿泊まっていることの証明が必要だ。まだ登録が済んでいないので、必然的に泊まるところは限られる。その民泊「サブルベック邸」は街の中心部に近いところにあるが、周囲は公園のように緑が多い。サブルベックとはガイドブックによるとキルギスの国民的作家の名前とのことだが、知識人階級は冷や飯を食らった、それどころか場合によっては反革命の汚名を着せられて処刑されることもあった旧ソ連時代のことだから、もしかしたら権力におもねる作家だったのかもしれないが、泊まれるのならそんなことどうでもいい。
 入口がよくわからなかったが、ここかもしれない家の門を押し開けたら宿はそこだった。初老の男性が出てきた。サブルベック本人なのか家族なのかはよくわからない。ついでに英語は話すが内容もよくわからない。ただしどうやら泊まることはできるようだ。できれば部屋を借りたかったが、有無を言わさずドミトリーを割り当てられた。
 昼寝をしていたら、なんだか重いものが落ちてきたような感覚があった。ドロボウかと思ったが何もいない。よく見たらネコがいた。ネコも眠たかったらしく、自分のベッドの上で眠ってしまった。あと、夜眠っていたら、明かりを感じて目を開けたら、思わぬ方向に人間が寝転がっているのが見えた。昼間は気が付かなかったが、ここのドミトリーは随分アクロバチックな構造のようだ。あと蚊がいるのにも閉口させられた。どうやら日本人もいないようだから、あした外国人登録が済んだら、もう一方のモグリ民泊に移ろう。

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