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2012年新疆旅行

 中央奥には武装警察のパトカー 実に新疆らしい?風景
 14年ぶりの中国ウイグル新疆ウイグル自治区訪問であった。

 ここはどこかというと、わかりやすく言えばいわゆるシルクロード。最近はチベットと並んで分離独立運動(暴動)ニュースが漏れてくる。ちょっと前にハイジャック未遂事件もあった。北京オリンピック時は外務省から渡航自粛勧告が出ていたので、ここに行こうとしたのを、行き先を変更したこともあった。
 3泊4日の日程で、名古屋発の中国国際航空を利用、北京で国内線飛行機に乗り換えた。国内線でも日本人らしき人が5人くらいいた。持っている本でわかった。
 新疆ウイグル自治区は、14年前とはすべてが変わっていた。空港は田舎のローカル空港だったのが、大きなターミナルを2つ備えた、中国にありがちな無駄に大きい大空港となった。ただし、なぜか薄汚くなるのも中国風。街への道路も、昔はバスから見えた外の景色は鄙びた雰囲気だったのが、今ではりっぱなハイウェイができていた。

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 街の様子は、以前は田舎の中心都市ぐらいだったのが、今の中国はどこもそうだが、巨大な資本がはいってきたためか、繁華街の範囲が広がり、かつもっとにぎやかになり、高層ビルがたくさんできた。以前は十数階だてのホテルホリデイインが中心部で一番高い建物だったのが、今ではその横にその倍くらい高い建物がいくつかできた。そのため景色を売りにできなくなったのだろうか、ホテルは廃業してしまっていた。

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(↑写真中央部の、屋根が三角形のビルの手前にある、頂上に丸い部分がある一番背の低いビルがそれ。営業妨害された?)
 住民については、一体どこから湧いてきたのか、漢民族が相当増えたかなという感じ。たまに暴動がおこるからなのか、漢民族と地元のウイグル人がそれぞれ自警団を作って、暴動に発展しないようにパトロールしている。だから街は安全である?街の中心部のバザールの前では、特別警察」という意味なのか「特警」と書かれたパト車が何台か停まっていた。写真は怖くて遠くからしか撮れなかった。だったら撮るなっつーの。

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 2日目は、バスでトルファンという町へ移動した。昔のバスは、おんぼろのマイクロバスタイプで、中国のバスといえば、狭い、揺れる、遅い、壊れる、と四拍子そろっており、到着に4時間かかったが、今は高速道路ができて、バスも日本と同じ、ただしやっぱりどこか薄汚いが、3時間で到着した。帰路ウルムチ市内に入る時に、検問があり、乗客は全員降りて登記していた。自分はパスポートを見せた。何か聞かれるかと思ったが、「日本人か」とつぶやかれただけで放免された。このことといい自警団のことといい、緊張感とまではいかないが、この地域らしい動きだった。

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 トルファンには、昔行くたびに会った現地人の悪徳ぼったくり日本語ガイドがいて、今回も会えるかなと思ったが、残念ながら会えなかった。もういい歳なのでそんなことやっていないのか、それとも日本語を使える危険分子ということで公安当局に捕まってしまったのか。ちなみに本音ではウイグル人は漢民族を、ブタを食う連中と言って嫌っているが、大部分は生活のためと割り切っている。

 ホテルにチェックインして部屋に入ってぶったまげたのは、部屋の中央に全自動雀卓が、いますぐにもできるように備えつけられていたこと。よく中国人は何かの待ち時間でトランプをしているが、こういう類のものが本当に好きらしい。賭けでもしているのか。

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 帰路も同じルートを使ったが、ウルムチ空港の保安検査は身体検査が徹底していて、今まで自分が経験してきた中で一番厳しかった。また、必ずチェックが入ったのはパソコン。必ず有無を聞かれた。必要ないので持ち込んではいないが、自分のノートパソコンには、当局が喜びそうなブツ、具体的には、昔撮った現地人の写真が入っている。もし日本の戦前の特高か憲兵隊が相手なら、こいつは誰だと尋問されて自白するまでぶん殴られるだろう、という妄想をしてしまう。もしかしたら、ここ新疆ウイグル自治区ではウイグル人に対してこんなことが行われているかもしれない。
 あと、帰りの北京空港では、エミレーツ航空という、アラブのハクション大魔王の国の航空会社の、エアバスA380というオール2階建ての飛行機を見た。一体何人乗っているのかと思うくらい多くの人が降りてくるのを見た。
 今回は3泊4日の短い旅行だったが、来年か再来年には鉄道に乗って国境を越えてカザフスタンに行ってみたい。「世界の車窓から」のような景色を見てみたい。今回はその下見でもあった。

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