2014~2015年イラン旅行(4)
今日は大晦日ですが、イスラムの国(イスラム国ではありません)であるイランに、年越しのイベントははなから期待していません。それよりも、あくる早朝4時の飛行機でイスタンブールに行くので、それまでどう時間をつぶすのかが課題です。といってもホテルは今晩も確保しているので、深夜のチェックアウトは問題ありません。
ホテルで朝食を済ませました。朝食の内容はテヘランのホテルより地味でしたが、まあいいでしょう。ここもビジネスマンの利用がメインのようで、観光客らしき人の姿は見当たりません。イラン人、結構みんな働いていますねってあたりまえか。イスタンブールも、スルタンアフメット地区でなければこんな感じなのかもしれません。
早く目覚めてしまって、まだエマーム広場のモスクが開く時間ではないのですが、広場でぼーっとしているのもいいかと思い、前日に続いてエマーム広場へ出掛けました。昨日は夕方でしたが、今日は朝です。時間帯が違うとまた違った景色が見られるのではないかと期待します。
イスファハーンは、テヘランよりも暖かいです。朝はダウンジャケットがないと少し寒いかと思いましたが、これからだんだん暖かくなるし、歩き回るので邪魔だろうと思い、ダウンジャケットはホテルに置いて行きました。
朝のエマーム広場。普通に静かです。なんだか健康的です。団体の観光客も見当たらないので、それを賑やかでないと言ったらそれまでですが、雰囲気は悪くありません。しばらく広場の一角に腰を掛けて、周りをウォッチングします。逆に誰か話しかけてくるかなと思いましたが、それもありません。
そのうち、広場に面したモスクが開く時間になったので、最初にマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー、次にマスジェデ・エマーム、最後にアーリー・ガープー宮殿に行きます。アーリー・ガープー宮殿には日本人観光客の団体がいました。団体って、話し相手はいるし、現地のうまいものを食べれるし、移動もラクだし、いいことづくめだなと毎度毎度思いますが、それでもやっぱり自由に動き回れる個人旅行の方が自分には合ってるなとも思います。
イランリヤルの残りが心細くなってきたので、外貨両替できる銀行を見つけて中に入ります。自分から話しかけた記憶はないのですが、気が付けば銀行の人とサッカーの話をしていました。といっても私はサッカーは全然詳しくないので、古いと思いつつも日韓共同開催ワールドカップの時に日本の強敵だった当時のイラン代表のアジジとダエイの名前を挙げると、向こうもナカタとホンダを挙げてきました。ところで、この時100USドルを両替したのですが、テヘラン空港でも同額両替したのに、50万リヤル以上もの差がありました。これにはぶったまげました。
エマーム広場の周りはバザールになっていて、お土産屋の類の店も多かったのですが、どうも中身がトルコ土産とかぶっているような気がします。イラン土産をそろそろ買わなければならないのですが、ここへはまた午後に行ってじっくり選ぶことにします。
次に、マスジェデ・ジャーメに行きます。ここへは、エマーム広場から始まるバザールの通路の終点の先にあります。地図で見るとだいたい1キロほど距離があるようです。バザール見物をしながらモスクに向かって歩きます。このバザールはテヘランの迷路のバザールとは違って、ひたすらほぼ一直線ですが、脇道があまりなく、なんだかトンネルをくぐっているようなイメージです。品物もエマーム広場のそれと違い生活必需品がメインです。いつまでたっても終点が見えないので、どこまで行ってしまうんだろうと、少し不安になったくらいです。
終点の手前ぐらいのところだったか、人が大勢群れているのが見えてきました。そして大音量の演説らしき声も聞こえてきました。何やら世の不当を訴えているような口調です。イスラム教シーア派には「アーシュラー」という儀式があり、それは、第3代イマームのホセインが現イラクのカルバラーというところでウマイヤ朝軍に敗死したのを「殉教」とし、毎年それをシーア派は追体験する形で大いに嘆き悲しむという、関係も思い入れもない人からするとかなり異様なものですが、ただ今はアーシュラーの時期ではありません。とはいうものの集まっている人々の胸を打つしぐさはまさしくアーシュラーのそれでした。決して広くないバザールの通路でそれをやられると避けることができません。とうより異教徒がそれに近づくのは危険な気がします。写真を撮るのもやばいです。そこを迂回して再度バザールに入ると、先ほどの集団がこちら側に向かって行進してきます。仕方ないので、通路の脇で行進をおとなしくやり過ごします。
こんなことがあった末にたどりついたマスジェデ・ジャーメですが、すでに一般開放時間を過ぎていました。どっと疲れが出ました。
エマーム広場から連なるバザールの小道をたどり、途中怪しげな集会をやり過ごしてマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)にたどり着いたものの、一般人が入場できる時刻が過ぎていたため、結局中に入ることはできませんでした。
次に、イスファハーン観光のもう一つの目玉といえる、ジョルファー地区に行くことにします。ここからは相当距離がありますし、バザールを引き返すのも苦痛なので、タクシーで移動します。適当にタクシーを捕まえ、ヴァーンク教会まで行ってもらいます。タクシーはなんだか遠回りしているような気がしましたが、どうやら高速走行できる環状道路を走っているようで、ちょっとしたドライブ感覚でした。
イスファハーンには、アルメニア人が固まって住んでいる(いた)ジョルファー地区というところがあります。シャー・アッバースは新首都イスファハーン建設のために、コーカサスの街のジョルファーから多くのアルメニア人技術者などを呼び寄せ(連行?)て、この辺りにまとめて住まわせました。シャーはアルメニア人のキリスト教信仰を認めたので、この地区には独特の文化が作られました。
タクシー代を払って、ヴァーンク教会に向かいます。あてずっぽうに進みましたが、門らしきところの前で人が屯していますので、おそらくここでしょう。ところが門が閉まっています。時々中から人が出てきますが、誰かが中に入ろうとすると、中の人に制止され入ることができません。門が開くときに中がチラッと見えるのですが、何か特別なことが行われているようには思えません。ちょっと訳が分かりませんが、入れないのは確かのようです。すごく残念ですが、ここを立ち去ることにしました。
その時、ポケットに手を入れたら、スマホがありません。あれ?また落とした?半年前の夏の旅行でも、キルギスでスマホを落としています。この時もタクシーに乗っていて、その時に落としたと思いますが、状況は全く同じです。全然過去に学んでいません。どうしようか、どこかの電話から呼び出してみようか、とりあえずホテルに帰ろうか、とか考えていると、一人のイラン人が声をかけてきます。振り向いてみるとスマホを持っています。さっきのタクシーの運転手です。まだここにいるものと思い、引き返して持ってきてくれたのです。親切なイラン人に助けられました。うれしかったです。これこそ革命イランだ!それに比べて半年前のキルギスときたら・・・。
ジョルファー地区散策を兼ねて、ホテルまで歩いて帰ることにします。途中、一人の日本人男性がいましたので、ヴァーンク教会に入ったか尋ねたら入れたとのこと。どうやら少し前までは入れたようです。残念だなと思って歩いていると、突然ふと思いつきました。今日は12月31日。もしかしたら午後からお勤めのミサがあるのかもしれません。それでもう出て行けと。想像ですが納得できました。できましたが残念です。金曜モスクの件といい、ハズレを連発しています。
神は死んだのか?
ジョルファー地区からゆっくりとホテルへ向かって歩いて行きますが、途中スィー・オ・セ橋を通っていきます。
スィー・オ・セ橋からホテルに向かう途中で、ドネルケバブの昼食をとります。明日にはトルコに行くのに、ほかに食うものがないのかよと自分に毒づきながら食べます。イランは客を呼び込むという習慣がないのか、これがイスタンブールなら景気のいい声で「ブユルン!」とか声をかけてくるのですが。お国柄の違いなのでしょうね。
ホテルを素通りしてまたエマーム広場へ向かいます。ここでお土産などを買おうかと思ったのですが、何か「これがイランだ!」と思えるような決定的なブツが見つからなくて、なおかつここでブツを持って歩いて行くのがおっくうに感じられて、結局何も買いませんでした。ホテルまで歩いて行く途中、イランタバコを買おうかと、いくつか商店を眺めてみましたが、イランのたばこってスゴイです。何がスゴイかというと、パッケージに写真があり、それはヤニで黒くなった肺の写真です。なんだかタバコが本当に不味くなりそうなパッケージなので買いませんでしたが、皆さんにそれをお見せできないのが残念です。
ホテルに着いたら、歩き回って疲れたので、ホテルをチェックアウトする時刻まで夜寝です。幸いよく寝ることができました。
真夜中の12時過ぎ、新年明けましておめでとうの時間ですが、独自の暦を持っているイランでは、不信心者の暦などには関心がないようで、ごく普通の夜です。夜逃げ頃の時刻にチェックアウトです。レセプションでタクシーを呼んでくれました。さあトルコに帰るぞ!と思うととてもうれしいです。
昼間はほどほどに暖かったのですが、夜はかなり寒いです。タクシーは、ほとんど車が走っていない道を思いっきりかっ飛ばします。空港までは結構距離がありました。空港に着く直前に、運転手がペルシア語で「どこに行くのか?」と聞いてきた気がするので「イスタンブール」と答えたら、了解したらしく、タクシーは空港の敷地に入ったら、照明がついているターミナルから離れた、ちょっと小ぶりな建物の前に停まりました。一瞬「?」と思いましたが、まあいいかと思ってタクシーを降りました。建物の前におじさんがいましたので、ここは国際線ターミナルかと尋ねましたが、こちらの質問がわからないようです。仕方ないので、なにか廃墟のような建物の横をとおりながら、照明がついている建物へ歩いて行きました。中に入ってみると、そこは国内線ターミナルでした。ちょうど飛行機が到着したようで、そこそこ賑わっていました。建物の中に国際線カウンターはないかと見まわしましたがありません。とすると最初に行ったところがやはり国際線のターミナルなのでしょうか。元の所まで引き返します。先ほどの小ぶりな建物の中に入ると、国際線の出発案内がありました。どうやらここでよかったようです。しかしながらここがただのバスターミナルなら納得しますが、国際線ターミナルとは到底思えません。まあいいでしょう、ここで待っていれば間違いないのですから。
しばらくすると、先ほど国内線ターミナルへ行く際に横にあった廃墟のような建物に明かりがついているのに気が付きました。どうやらあれが国際線ターミナルのようで、ここはただの待合室のようです。様子を見てみると、中に入ってもよさそうなのでそこへ移動します。チェックイン、保安検査を済ませてボーディングを待ちます。途中、建物の中に銀行がないか見まわしましたが、見当たりません。というのは、エマーム広場で両替したリヤルが大量に余っています。仕方がないので、空港で無駄遣いしようかと思いましたが、テヘラン空港ならそれなりに商店があるのでしょうが、ここイスファハーンは写真からもわかるように国際線としてはローカル空港のようで、小さな商店が1軒あるだけです。それでもここでしかイラン土産は買えないので、よくよく選んで買ったつもりなのですが、ここで買ったあるお菓子のパッケージには、ペルシア語で商品名が書かれていますが、よく見ると右下に「Turkish Cotton candy」と書かれているのにあとで気が付きました。一体なにやってるんでしょう。まあもらう側にしたらイランもトルコも同じようなものです。気にしない気にしない。それでもリヤルがまだ相当余っています。このままではイランリヤル札が一番のお土産になってしまいそうです。
ボーディングの時間になりました。飛行機に乗り込むと女性のCAがいましたが、スカーフを巻いていません。やはりスカーフは邪魔です。イラン人男性は気の毒です。トルコは自由だ!ということで、飛行機はイスタンブールへ向かって飛び立ちました。